第8話:穏やかな中に潜む修羅場

 昼頃からしとしとと冷たい雨が降り始めた。


 自宅の奥、しんとした道場にて京志郎は冥刀・門をすらりと抜いた。


 白銀ではない、ほのかな赤。


 神秘的な輝きが京志郎の瞳を満たす。


 煌めく地肌に嬉々とした己の顔がしかと映る。


 京志郎は刀のことになると見境がない。


 そのため大半の収入は刀のために消えるのが常だった。


「地獄の刀を手にする日がくるなんてなぁ」


 軽く振るう。ひゅんと鋭い風切音。赤い残光に京志郎は口角を緩めた。


「――、京志郎さん」


 予定のない来訪者が道場へやってきた。霞だ。


「霞か。依頼か?」


「いいえ、まだ調査中よ。あの海燕を討伐してからか、嘘のように情報が入ってこないわ」


「勘づかれたと思っていいだろう。いずれにしても一筋縄ではいかないようなやつらだ」


 京志郎は刀を鞘に納めた。


「依頼じゃなければいったい何の用があってきたんだ?」


「用がないときちゃいけないのかしら?」


「そうは言ってないが……事前に言ってくれていれば茶菓子ぐらいは用意できたのに」


「そこまで気遣わなくても大丈夫よ」


「俺が気にするんだ」と、京志郎はくしゃりと頭を掻いた。


 何気ない会話に花を咲かせる。京志郎の口角もふと優しく緩む。


 霞との会話は、京志郎にとって穏やかな時間だった。


 理由は特になかった。強いて言うならば、霞といるのがなんとなく落ち着くのだろう。


「そういえば」と、霞がはたとした。


「珍しいわね。あなたが道場にいるなんて」


「たまたまだ」


 道場で剣を振るうこと自体がずいぶんと久しい。


 基本、佐瀬の剣士は道場という場所を使わなかった。


 あるのは、とりあえず形だけでもというなんともいい加減な理由だったりする。


 夢定心刀流剣術……その会得には自然と血と風の中で行われた。


 過酷――この一言ですべてが事足りた。


 息があるのならまだ幸運なほう。命を落とした者も少なくはない。


 進んだ分だけ躯が後ろでできあがっていく。


 そうした中で京志郎は、歴代初となる最年少達成者となった。当時齢十歳だった。


 天才――周囲がこう称賛するのは至極当然だと言えよう。


「ねぇ京志郎さん」


 霞がふっとしなだれかかった。


(まだ直りそうにないか……)


 京志郎は特に言及せず、代わりに頭をそっと優しく撫でた。


 霞はその見た目が故にひどい迫害を受けた。


 異人との間にできた子。これだけで世間からの風は冷たい。


 凄惨な過去も相まって、霞は人のぬくもりをなによりも欲している。


 その矛先はいつも決まって京志郎だった。


 思い当たる節は一応あった。


(あの日からずっとだな)


 霞の容姿についてはじめて気にしないと言ったのが京志郎だった。


 髪色などが異なろうと大差ない。肝心なのは外見ではなく内見だ。


 そうした在り方が、霞の心を溶かした。だが結果として霞は依存するようになった。


 当初はそれこそ、四六時中後をつけ回された。


 少しはマシになったと思っていたのだが……。まだ駄目らしい。


「やっぱり」と、霞が呟く。


「こうしている時間が私は好きだなぁ」


「まだ駄目か」


「……うん」と、霞は小さく首肯する。


 そう言う割には、表情はとても穏やかだ。


 京志郎はそんな霞をそっと放した。たちまち霞の表情に雲がかかる。


「お前の気持ちがわからないでもない。だけどいつまでも俺に依存するのはやめろ」


「……無理よ」


 拗ねたように霞は頬をむっと膨らませる。


 とうに成人しているがこの時だけは、霞は子どものように振る舞う。


 ふとした時に表れる子供らしい仕草が、数多くの男を魅了した。


 告白した男も当然多く、未だ成功した者は一人としてなし。


「だって京志郎さん以外に素敵な人いないもん」


「そんなことはないだろう」


「男が寄ってきたのだってつい最近の話。それまではずっと混血児って散々馬鹿にしてきたくせに手のひら返ししてきて頭にくるわ」


「……お前の気持ちは、まぁわからないでもないがな」


「ねぇ京志郎さん――」


 霞が静かに顔をあげる。


 頬はほんのりと赤い。瞳にはどろりとした熱が帯びる。


 わずかに開いた唇はどこか艶めかしい。


 続きを紡ごうと唇がゆっくりと動く――よりも先に、喧騒が道場内にぐわんと反響した。


「京志郎はいるかー!? 余が来てやったからもてなすとよいぞ!」


 愛華だ。我が物顔でどかどかと踏み入れて遠慮の欠片もない。


 次の瞬間、霞の顔に般若が宿った。


 獲物を捉える眼をしていた。猛禽類を彷彿とする眼光は冷たく鋭い。


 いつの間にか手にした愛銃を何のためらいもなく構えるまでに、一切の無駄がない。


 流れるように向けた銃口は愛華の眉間に定められる。


 火薬の匂いが道場に漂い始めた。


 殺すつもりだ。さしもの京志郎も霞をたしなめた。


「やめておけ霞。ここでこいつを撃ったら地獄に落ちるぞ」


「地獄に落ちたとしても私は構わないわ」


 霞の言葉に迷いはない。引き金に人差し指がついにそっとかかる。


「本当にやめておけ霞。撃ったところでこいつは殺せないと思うぞ?」


「それでも構わないわ」


「おいおい」と、京志郎は肩を竦めた。


「京志郎よ。この余が来てやったのだぞ? 茶菓子ぐらい用意するのが常識だろうになにをしているんだ貴様は」


 鉛弾を代わりにくれてやろう。そんな考えがふと脳裏によぎった。


「……来るのなら事前に一報よこせ。いきなり言われても用意できない」


「なら茶だけ我慢してやろう」


 ふんぞり返る愛華。


 京志郎は、もう何も言わなかった。


 一刻でも早くこの依頼を完遂させる。ただそれだけを強く誓った。


 算段がなかったわけではない。すべては終わった後にある。


(親に見られていないって思っているのか? だとしたらお笑いだな)


 せいぜい今の内に好き勝手していればいい。京志郎は内心でほくそ笑んだ。


「くぅ……せっかく京志郎さんと二人きりだったのに」


 すっかり拗ねてしまった霞。


 そんな彼女を京志郎は呆れた面持ちで見やった。


 一抹の不安がよぎる。


 こうなった時の霞は失敗することが多い。


 次の任務で支障をきたすような真似は京志郎としても望まない。


 早急な機嫌取りが必要だった。そしてそれは、自分だけにしかできない。


 どうして自分が。そう思いつつも京志郎は霞にそっと歩み寄った。


「今度二人でどこか遠出でもするか?」


「する」


 稲妻の如き返答に、京志郎も思わず「お、おぉ……」と、気圧された。


 霞の顔にもう不機嫌さは微塵の欠片もない。


 いつもと同じ表情――細部までよく見やれば、頬はひくひくと痙攣している。


 嬉しさからだらしなく緩もうとする頬を、必死でこらえていた。


(面白い奴だな)


 京志郎はそんなことを、ふと思った。


「――、おい京志郎! 余を置いて遠出とは何事だ! 余も連れていけ」


「頼むから少し黙っていてくれないか?」


 鎮火したはずの火が、再び大火になる予感がした。


「やっぱりこいつ撃ち殺しておかないと……」


「するなよ? 絶対にするなよ?」


「おーい京志郎、早くお茶~」


「お前はいいからもう黙ってろ」


 殺伐とした空気。騒がしい、が悪くはない。


 仲裁に入る傍らで京志郎はふとそう思った。

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