第55話 エピローグ
白と黒が混ざり、ひとつの灰色へと収束していった瞬間、すべては静まり返った。
耳を満たしていた轟音も悲鳴も、世界を割くような衝撃も消え、
ただ柔らかな呼吸のような気配が広がる。
空を見上げると、光が降っていた。
だがそれは炎でも雷でもなく、魂の粒子だった。
ゆっくりと、まるで迷子の子を導くように漂い、
地へ、冥界へ、人々へ、静かに触れてゆく。
戦の跡に立つ者は少ない。
冥界の獣たちは眠るように横たわり、
王国の兵たちは武器を抱いたまま膝を折り、
ただ、息あるものと死せるものが区別なく同じ祈りを捧げていた。
ゆるりと歩み寄る影が一つ。
黒衣が土を引きずるたび、遠くで魂が揺れる。
その歩みに、かつての威圧感はない。
ただ、深く安らかな静けさだけがあった。
隣に寄り添う細い影が、手を伸ばす。
柔らかく指が絡む。
それだけで、世界が満たされた。
あの日、溢れた涙は、もうない。
誰もが抱えていた喪失は、痛みとともに癒され、
しかし決して忘れ去られることはない。
遠く、地平線の向こうに、人影が立っていた。
その背はもはや子供ではなく、
けれど背負ったものの重さを語るには、あまりに静かすぎた。
一筋の風が吹く。
草木が揺れ、魂が微笑む。
――生きている。
そう思えるだけで、十分だった。
遺された者たちは互いに肩を寄せ、小さな祈りを交わす。
この世界は変わった。
死は終わりではなく、恐れでもなく、
ただまた別の道へ進むための扉となった。
そして、生きることは選択になった。
誰もが、自分自身の物語を歩いてよい。
かつて冥王と呼ばれた男は、微笑む。
その隣で少女が笑い返す。
二人の前に、果てはない。
ただ続く道がある。
草原が広がり、空は低い。
そのすべてが、優しく息づいていた。
足元に、小さな花が咲く。
色は見えない。
だが確かに、そこにある。
少女がしゃがみ込み、それをそっと撫でる。
花弁が揺れ、小さな光を放つ。
生と死の区別は、もう曖昧だ。
けれど、曖昧だからこそ、世界は豊かになった。
かつて敵だった者も、倒れた仲間も、
皆が同じ場所へ帰ってゆく。
魂は巡り、またどこかで出会う。
男は手を握り、少女を立ち上がらせる。
その仕草は、冥王ではなく、ただの一人の人間だった。
歩いてゆく。
未来など知らない。
ただ、選んだ道を進むだけ。
遠く、誰かの声が聞こえた。
呼ぶ声でも、嘆く声でもない。
歌うように、祈るように、
静かで、温かい。
ふと、少女が問いかけた。
これで、よかったのかと。
男は答えない。
答えは世界が知っている。
魂たちが知っている。
そして、歩み続ける彼ら自身が、証明する。
ただ、手を握り返す。
少女はそれだけで十分だった。
光の粒が二人を包む。
そのまま、世界へ溶けるように歩き出す。
どこまでも続く道の先に、
新しい物語が待っている。
――終わりではない。
――これは、始まりの後。
すべての魂へ祝福を。
生きる者へ、安らぎを。
眠る者へ、夢を。
そして、愛を。
──数年後
戦いは終わった。
冥界は「死の国」ではなく、魂が還り、また芽吹く循環の地として再編され、
世界意志さえもその流れを受け入れた。
その後の数年。
大地は緩やかに再生を始め、焦土となった王都の跡には
新たな集落ができ、寄り添うように人々が暮らしていた。
冥王・蓮は、誰の前にも姿を見せなくなった。
ただ――この世界を静かに見守る影として存在し続けている、と囁かれていた。
◆
ミリアは村の外れ、小さな泉のほとりに住んでいた。
冥界との境が薄いこの泉は、「ただいま」と「いってきます」が
静かに循環しつづける場所だった。
ある夕暮れ、
水面が、ふいに暗く深く、夜の色へと沈む。
ミリアは気づく。
胸の奥、魂が震える――
失われたはずの鼓動が、再び響く。
「……ねえ、聞こえる?」
風が止む。
森の奥、影が揺れる。
やがて、
静かに姿を現す黒衣の青年。
その歩みは、かつての少年のものとも、
冥王として世界を呑み込んだ怪物のものとも違う。
ただひとりの――蓮としての歩み。
ミリアは微笑む。
泣きそうにも、怒りそうにも、笑い出しそうにも見える表情で。
「遅いよ」
蓮はわずかに目を伏せ、
それから小さく笑った。
「……ごめん。
でも、行きたくなった。
君のところへ」
ミリアは歩み寄り、
そっと蓮の手を握る。
冷たくも、熱くもない。
ただ――懐かしい。
「これからは、隣にいてくれる?」
蓮は言葉では答えない。
代わりに
指先に微かに冥界の光を灯し、ミリアの胸元へ触れた。
魂が共鳴する。
あの日、必ず取り戻すと誓った“ひとつの光”が、
静かに戻ってくる。
ミリアは涙を零しながら、笑う。
蓮はただ、その涙を受け止める。
二人の背後で、泉に波が広がる。
そのさざ波は冥界へと続き、
やがて世界へと溶けていく。
生と死は巡り合い、
再び世界をめぐる。
もう、誰も切り離さない。
もう、誰も奪わせない。
蓮とミリアは、
この世界の境界線を、
ただ静かに、歩きはじめた。
──すべてが戻ったわけじゃない。
でも、
ここからもう一度始められる。
冥王は、ただひとつの魂を守るために世界を抱いた。
その魂が微笑む場所で、
彼はもう「王」ではなく、ただの“蓮”でいられた。
──END
能力無し? いいえ、隠しスキルで無双します シロの探検隊 @shiraiwa07
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