第53話 最終局面〜世界衝突へ向かう

冥界は、再び形を変え続けていた。


蓮が冥王として“決意”を抱いた瞬間、

黒の大地は鼓動し、天を裂く闇柱が立ち上る。

そこから溢れるのは――喰うためではなく、

守るための力。


冥界そのものが進化を始めた。


黒い空は螺旋の光を飲み込み、

地は魂の脈を震わせ、

冥獣たちは主の意思を受けて獣性を捨て、

鎧のような骨をまとい、

刃のような翼を生やしていく。


冥界全土が、蓮の決意に共鳴していた。


だがその進化は――

同時に、

世界との断絶を始めた。


冥界の空が裂け、そこに浮かぶは異界の地平。

森が枯れ、海が黒に染まり、

地上世界へ冥界の影が侵蝕していく。


それは、冥界が“外界を迎え入れようとしている”

異常な変質だった。


――侵略ではない。

呼吸の合一。

境界の消失。



ルシアンが指先で闇を払い、ミリアの繭を地へ降ろす。

繭の中、ミリアの魂は揺れ続ける。


「蓮。

 急がないと――彼女は“冥界そのもの”になってしまう」


蓮は応えず、ただ繭に触れた。

その瞬間、全身が裂けるような痛みが走る。


ミリアの魂に刻まれた傷――

冥界の呪いが、蓮を拒む。


≪――ちがう。

 蓮じゃ……だめ……≫


響く声はミリアのもの。

だが怯えと悲しみが入り混じっていた。


「違う、ミリア。俺は――」


声は掻き消える。

代わりに響くのは無数の囁き。


≪冥王ニ与エヨ≫

≪魂ヲ差シ出セ≫

≪犠牲ヲ、愛ヲ――≫


蓮の脳が焼ける。

意識が暗転していく――



――闇の中。


そこは、蓮の精神世界。

地平線すらない黒の虚無。

ただ前に、ひとりの少女が立っていた。


ミリア。


白いドレスは血のような黒に染まり、

瞳は紅い涙を流していた。


「蓮、来ないで……

 私、もう――あなたを傷つけたくない……」


その声は震えていた。

救いを求めるのに、拒む矛盾。


蓮は近づく。

だが手を伸ばすと、少女は影に飲まれる。


「嫌……!

 また……また、失っちゃう……!」


ミリアの心は、蓮を守ろうとして、蓮を拒む。

それが呪いとなっていた。


蓮は血を吐き、膝をつく。

精神世界でのダメージは魂に刻まれる。


だが蓮は立つ。

ふらつきながら歩く。


「傷ついてもいい。

 壊れてもいい。

 俺は――ミリアを救うためなら、喜んで燃える」


影がざわめき、ミリアの形を崩そうとする。


蓮は抱きしめた。

それが刃となり、体を貫く。


痛みが、黒い花となって散った。


ミリアの震えが止まる。

かすかに囁く。


「……蓮」


その名を呼ぶ声は、

どんな冥獣の咆哮より強かった。


闇が、はじける。



現実――冥界。


蓮が目を開いた瞬間、

冥界が叫んだ。


無数の黒翼が生まれ、冥獣が吠え、

地が裂け、蒼い魂が空を舞う。


冥界進化――

第二段階。


蓮の背に、漆黒の四翼が広がる。

角は枝葉のように伸び、

血の代わりに魂が流れた。


冥王の完全進化。


その姿は、ルシアンさえ息を呑むほど、

神々しく、悲しく、美しかった。


蓮は繭に手をかざし、静かに命ずる。


「――還れ」


黒炎が優しく揺れ、

繭が割れた。


ミリアが、ゆっくりと目を開ける。


「……れん?」


蓮は微笑む。

涙を流しながら。


「迎えに来た」



だが――


その瞬間、

冥界が揺れた。


黒空が捻れ、裂け、

光が降り注ぐ。


地上世界――王国。


無数の兵。

魔導騎士。

聖女。

竜。


王国が、総力で冥界に侵攻してきた。


冥界戦争――開幕。


王国は叫ぶ。


「冥王を討て!

 世界を守れ!」


冥界は唸る。


≪喰エ≫

≪奪エ≫

≪滅ボセ≫


蓮は、ミリアを抱きしめながら

ただ一歩、前へ出た。


「二度と……奪わせない」


冥界が咆哮し、

冥獣の軍勢が王国へ突撃する。


その中央――

ルシアンが剣を抜いた。


光の刃。

冥王に至った蓮に、唯一届く刃。


「やるしか、ないんだよ。

 これは――救いの戦いだ」


蓮が静かに呟く。


「分かってる。

 だが――俺は全てを救う」


ルシアンが苦く笑う。


「全部救おうなんて、

 誰より冥王らしいよ」


二人の殺気がぶつかる。

冥界が軋み、魂が泣く。


ミリアが震える。

蓮の背を見ながら、

両手を胸に当て、祈る。


「……どうか、二人とも……」


だが、その祈りは

冥界の深層――冥府核へと届き、

新たな脈動を生む。


冥界が進化――第三段階

冥界の胎動


冥王の翼が睨みを上げ、

冥獣が光を飲み、

魂が形を変えて武器となる。


蓮は冥界そのものと融合し、

その一撃は大地を反転させた。



王国軍が壊滅していく中――

ただ一つ、重い影が降り立つ。


巨大な法陣。

世界の意思がそこに降りる。


王国が最後に隠していた“本当の切り札”。


――世界そのもの。


大地の意志、神々の総意、

秩序の力が形を成し、

冥界へ宣告する。


『冥王――裁く』


世界 vs 冥界

世界 vs 蓮

世界 vs ミリア

世界 vs 全て


蓮は翼を広げ、ただ一言。


「来い」


冥界戦争は、世界戦争へと変貌した。


――

すべてを救うために。

一人も失わぬために。

冥王は牙を剥いた。


冥王として完全体へと至った蓮は、冥界そのものを引き連れながら、世界の深層へ踏み込んだ。

そこに広がっているのは、因果も、時間も、色も、記号も、すべてが曖昧な「本来なら存在してはならない空白」。

世界の言葉で言うなら──“世界そのものの内側”。


浮遊する大地は魂の海へ沈み、海は天空を燃やす。

その境界でミリアは眠っていた。

彼女を包む光は、冥王の力を拒まず、ただ静かに、母のように受け入れていた。


「帰るんだ、ミリア。お前の場所へ」


触れた掌から、世界の声が逆流する。

それは慈しみでも祝福でもない。

無数の祈りが悲鳴へ変わり、祝詞が呪詛となって蓮へ流れ込む。


――汝、ここに至る資格、なし。


世界はそう告げた。

だが、蓮はゆるがない。


「資格なら、奪い取る」


その瞬間、空白に“意思”が生まれた。

それは大地を歩くでもなく、天へ昇るでもなく、ただ概念として在るだけ。

視ることも触れることもできない。

だが、理解できた。

これこそが──世界の正体。


言葉が響く。


――維持のために滅ぼす。

――均衡のために奪う。

――変化を罪とする。


蓮は笑った。


「だから、壊す」


冥界が鼓動した。

崩壊ではない。進化だ。

魂は一つへ集まり、多数へ分かれ、また一つへ還る。

冥界は、世界を対峙する“別の世界”へと昇華し始めた。


その最奥──黒い王座の前に、人影がひとつ。


「ようやくだな、蓮」


暗闇の裾を引き、無数の魂を従え歩むルシアン。

彼の瞳は、蓮と同じ深度で冥界を視ていた。


「お前の目的は、ミリアではない。世界だ」


「そうだ。だが、お前を倒さねば辿り着けぬ」


蓮は微笑む。

世界の意志も、ルシアンも、すべてが敵であり、すべてが道。


「来い。全部、喰らってやる」


光でも闇でもない、魂そのものの衝突が走った。

時間は砕け、過去と未来が同時に焼ける。


「ミリアは返してもらう!」


叫びが──眠るミリアへ届く。

血を流しても、魂が裂けても、それでも呼ぶ。

微かな指が動いた。


……れ、ん……


囁きは、冥界を震わせる祝福となった。

ミリアの魂に刻まれていた“真名”が開く。


――「ミリエル=レーヴァ・アストラ」


それは星と冥を繋ぐ原初の名。

世界と冥界の境界を溶かす鍵。


ミリアの瞳が開き、蓮を捉える。

涙ではなく、光で満たされた視線。

その胸に宿るのは恐れでも服従でもない。


「一緒に行く。たとえ、この世界が全部敵でも」


「全部守る。たとえ、俺が世界を殺すとしても」


二人の魂が重なり、冥界は究極へ進化した。

魂の海が天へ染み出し、星々が降る。

世界が悲鳴を上げ、書き換えられる。


――許さぬ。

――歪む。

――滅ぶ。


世界の抵抗は、冥界へ大戦を呼び込む。

大陸が裂け、都市が喰われ、無数の魂が流れ込む。

生存者たちは冥界へ避難し、そこから地上を見守ることしかできない。


「冥王に背く者は殺される」

「いや、冥王こそ救いだ」


世界は二分された。

信仰と恐怖が混ざる。


遠くで、ひとりの老兵が呟く。

「どちらが正しいなど、わしらには決められん……」


別の少女が泣きながら空を見上げる。

「ミリア様……帰ってきて……」


だが、冥界で蓮は歩みを止めない。


世界が形を失い、ただの呪いとなって蓮へ襲いかかる。

それでも冥王は前へ進む。


「お前を超え、ミリアを守る。それだけだ」


ルシアンが割って入る。

血のように濃い魂を燃やし、叫ぶ。


「蓮! お前はまだ、選んでいない!!

 ミリアという希望を抱えたまま、世界を殺すつもりか!」


「選んださ」


蓮の影が吠え、魂を喰らい、運命を飲み込む。


「俺は──すべてを生かすために、世界を殺す」


世界が震え、崩れ、泣いた。

祈りが降り注ぎ、魂が燃え、冥界はさらなる高みに達する。


そして、ミリアが手を重ねる。


「行こう、蓮」


「……ああ」


冥王と巫女。

死と生。

始まりと終わり。


二つが一つとなり、世界の核心へ踏み込む。


世界の奥底──

そこには“まだ形を持たぬ何か”が眠っていた。


――――

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