第44話 虚無の子ら──歪んだ祭壇

森の奥──

闇が澱む場所へ三人は進む。


風がない。

音もない。

生が拒まれている。


地面に刻まれた黒い紋様は、

まるで脈を打つように蠢いていた。


リリアが影に触れる。


「……泣いてる……

 たくさん……」


微かな声が聞こえる。

子供のような泣き声。

掠れ、途切れ、

助けを求めている。


蓮の胸がざわつく。


(嫌な感じだ……

 魂の……底が冷える)


ミリアが手を握る。

温もりはある。

だが、その奥で──

蓮の魂は黒く濁っていく。


自覚があった。

冥府から持ち帰った“残り火”が

内側で静かに燃えている。


(……耐えられるのか?

 俺は、俺でいられるのか)


不安を飲み込み、進む。


光の届かない路地を抜けると、

開けた広場に出た。


そこには──

村があった。


しかし、

建物は骨のように白く乾き、

焦点の合わない笑顔が

あちこちに貼りついている。


人ではない。

人の抜け殻だ。


立ち尽くしたまま、

目も口も開いたまま、

ただ空を見上げている。


表情は笑っている。

だが目は死んでいる。


ミリアが息を呑む。


「……生きて……いるの……?」


リリアが首を振る。

影が震えている。


「ちがう……

 魂が……ない……

 空っぽ……」


村の中央──

黒い祭壇。


そこに、

子供たちが並んで眠っている。


十人以上。

細い手足。

痩せた身体。

その胸には、冥府の紋。


蓮が近づこうとした瞬間──


──チリッ


黒い火花が弾け、

蓮の足を焼く。


「っ……!」


ミリアが慌てて光を送り、

傷を癒す。


「……触れさせない気だ」


その時──

低い詠唱が響いた。


闇が形を取り、

黒衣の影が立ち上がる。


一人、また一人。

十……二十……

祭壇を囲むように現れる。


最前の影が、

蓮をまっすぐ見た。


「魂の器よ。

 子らの“帰還”に、

 その身を捧げよ」


蓮は歯を食いしばる。


「冗談じゃねえ……

 やるなら──力づくだ!」


影が手を掲げると

子供たちの胸の紋が輝き、

瘴気が吹き上がった。


黒い液体が子供の身体から溢れ、

凝縮し、形を成す。


異形の獣。

骨と肉が蠢き、

何度も形を変えて

戦うための“姿”を選んでいる。


泣き声が響いた。


──たすけて

──いやだ

──やだ

──ママ……


蓮の胸が締め付けられる。


(子供たちの魂か……!)


叫ぶ暇もなく

獣が跳んだ。


蓮は剣で受ける。

爪が衝突し、耳が割れそうな音。


銀光で押し返し、

一撃を叩き込む。


獣が悲鳴を上げ、崩れた。

だが、すぐに再生する。


「再生……!

 魂を媒体にしてやがる!」


リリアが影を伸ばし、

獣を縛ろうとする。


だが、

子供の泣き声を聞いた瞬間、

手が止まった。


「……やだ……

 いやだ……」


リリアの目が揺らぐ。

影が震え、ほどけていく。


蓮が叫ぶ。


「リリア!

 迷うな!」


「……でも……

 痛がってる……!」


獣が影を裂き、

リリアを襲う。


蓮が飛び込み、

その身を盾にした。


爪が肩を貫く。


「ぐっ……!」


熱い痛み。

血が噴き出し、

魂が焼ける。


ミリアが光を放ち、

獣を弾き飛ばす。


「蓮……!

 もう……限界……!」


違う。

限界は──

身体じゃない。


魂だ。


内側の闇が

うねり、笑う。


──もっと喰わせろ

──血と魂を

──斬れ 殺せ 奪え


(黙れ……!)


剣を握る手に黒い紋様が浮かぶ。

視界が暗転し、

獣の魂が

透けて見えた。


泣き叫ぶ子供の形。

助けを求める声。

縋る小さな手。


(……救える)


なぜか、分かった。


斬ればいい。

ただ斬れば──

魂だけを解放できる。


黒い声が囁く。


──やれ


蓮は踏み込む。

銀でも黒でもない、

曖昧な光の刃が獣を貫いた。


断末魔。

獣が崩れ、

黒霧が散る。


その中心で──

小さな光が浮かんだ。


泣いていた子供が

微笑んで消える。


魂が還った。


ミリアが震える声で呟く。


「……今の……冥王の……」


蓮は言葉を返せなかった。


黒さは増している。

しかし、

救えた。


影たちがざわめく。


「器……

 進化……」


「王の力を……

 扱える……?」


「選ばれし……者……」


黒衣たちが一斉に詠唱する。

祭壇が震え、

子供たちの身体が浮かぶ。


まだ眠っている魂たち。

泣き声が、響く。


「だめ……!

 このままだと……

 全員“喰われる”!」


ミリアが走ろうとした瞬間──


蓮の腕を取った。


「……わたしが行く」


ミリアの瞳が

強く、澄んでいた。


「蓮は……

 魂がもう、危ない」


蓮は言葉を失う。

確かに──

この力は危うい。

使えば使うほど

自分でなくなる。


ミリアが言う。


「わたしなら……

 光で、魂だけを抱き寄せられる」


リリアが震える声で叫ぶ。


「ダメっ!!

 ミリアが行ったら……

 喰われちゃう……!」


ミリアは微笑む。


「大丈夫。

 ……だって、蓮がいるから」


蓮の胸が痛んだ。


(守りたいのは……俺の方なのに)


ミリアが祭壇へ踏み出す。

光が彼女の歩みに

ひとつ、ひとつ宿る。


黒衣たちが叫ぶ。


「許すな!

 光を拒め!」


異形の獣が一斉に飛び掛かる。

蓮が剣を構える。


黒が脈打つ。

魂が震える。


「邪魔するな……!」


一閃。

黒炎を纏った刃が

獣たちを薙ぎ払う。


ミリアの祈りが満ちる。


「どうか──

 帰る場所を……思い出して」


子供たちの胸が光る。

泣き声が、笑顔へと変わっていく。


冥府の紋が砕け、

魂が解き放たれた。


だが──


祭壇そのものが

唸りを上げた。


黒衣たちが叫ぶ。


「まだだ……!

 祭儀は終わらぬ!

 魂を、捧げよ!!」


祭壇が裂け、

巨大な影が立ち上がる。


獣ではない。

人でもない。

魂の集合体。

無数の顔が泣き叫ぶ。


虚無の子らが形を得た。


ミリアが倒れ込む。

リリアが受け止める。


蓮は前に出る。

黒い紋が腕を伝い、

視界が歪む。


魂が苦しむ。

悲鳴が響く。


(喰う……

 喰えば、楽になる……)


黒い声が囁く。


──奪え

──魂を喰らえ

──すべてを支配しろ


蓮は叫んだ。


「黙れッ!!」


足元の影が爆ぜ、

銀光と黒霧が渦を巻く。


剣を掲げる。


「これ以上──

 誰にも触れさせねぇ!」


虚無の獣が咆哮。

魂を喰らう口を開く。


蓮は踏み込み、

魂を裂く。


子供たちの光が

弾け、空へ還る。


だが、

そのたびに

黒が蓮の魂を蝕んでいく。


視界が滲む。

光と闇が混ざり合う。


内側で、

何かが目覚めようとしていた。


──深淵へ

──堕ちろ


蓮の意識が沈む。


その瞬間──

ミリアの光が

蓮の手を掴んだ。


「戻って……

 どんな蓮でも……

 わたしは……ここにいる」


蓮の魂が

引き戻される。


光が黒を押し返し、

刃が白く輝いた。


蓮は叫んだ。


「喰われるのは──

 テメェだッ!!」


斬光。

虚無の獣が裂け、

魂が一斉に解放される。


泣き声が笑顔に変わり、

空へ昇っていく。


静寂。


黒衣たちは

影となって消えた。


祭壇は崩れ、

ただの石となった。


蓮は地に膝をつき、

荒い息を吐く。


胸の奥──

黒がまだ残っている。


ミリアが抱きしめる。

リリアが手を重ねる。


どれも温かい。

だけど──

蓮は震えていた。


(俺は……

 本当に戻ってこれるのか?)


光と闇の狭間で

蓮は目を閉じた。


虚無の子らの笑顔だけが

静かに、夜に溶けていった。

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