第16話 記憶の檻──失われた少女の真実

深淵の階段を下りるたび、

 空気はさらに冷え、

 “生”の感覚が薄れていく。


 足音すら吸い込まれ、

 自分が歩いているのかすら曖昧になるほどだ。


『……レン……』


 かすかな声が、

 暗闇の底から流れ込む。


 エレナ。


 蓮はその声を追うように歩を進めた。


 やがて──

 階段の終わりが近づく。


 重い扉がまた現れた。

 先ほどの石門よりも古く、

 隙間から青白い光が漏れている。


 蓮は剣を握り、押し開けた。


 ――そこは、閉じられた空間だった。


 四方は硝子のような透明の壁。

 その中心に、一人の少女が囚われている。


「……エレナ……!」


 白いワンピース。

 膝を抱え、うつむき、

 震える身体。


 髪は乱れ、

 指先には黒い痕が広がっていた。


 生気が薄れている。

 けれど、その瞳は──


 蓮に気づいた瞬間、

 確かに揺れた。


『……れ……ん……?』


「エレナ! 今助ける!」


 蓮は檻に駆け寄り、

 手を伸ばす。


 だが──


「っ……!」


 空間に触れた瞬間、

 強烈な反発が蓮の腕を弾いた。


 火花のように光が散り、

 手の甲がじりじりと焼ける。


『ダメ……そこは……“檻”……』


 エレナが震える声で囁いた。


「檻……? どういう……」


『ここは……“記憶”の檻。

 わたしの魂、囚われてる……

 出られないの……』


 蓮は歯を噛む。


「そんなの関係ない!

 俺が引っ張り出す!」


 再び手を伸ばそうとした瞬間──


 声が響く。


「無理だよ、契約者」


 振り返ると、

 白いローブを纏った男が立っていた。


 銀仮面ではない。

 しかし、同じ気配を纏っている。


「貴様は……」


「僕は魂喰らいの一人。

 “保管者” とでも呼んでくれればいい」


 保管者は、

 淡い微笑を浮かべながら言う。


「ここは、魂の“過去”を封じる場所だ。

 少女の心が望んだからこそ、檻は成立した」


「……望んだ?」


 蓮の声が揺れる。


「彼女の魂には、

 どうしても向き合えない“過去”がある。

 それを守るために、

 彼女自身がこの檻を作ったんだ」


 エレナは、顔を伏せ震える。


『……わたしは……

 誰かに守られるしか……できない……

 弱いから……』


「違うッ!!」


 蓮の声が弾けた。


「お前は弱くなんかない!

 自分を責めるために檻に閉じこもるなんて──

 そんなの、耐えてきた証だ!」


 エレナの肩が震え、

 目が揺れた。


 保管者は静かに首を振る。


「言葉だけでは意味がない。

 問題は、彼女が“何を忘れたのか”」


「忘れた……?」


 保管者は指を鳴らす。


 すると──

 透明の壁に“光”が浮かぶ。


 それは映像となり、

 過去を映し出す。


 ――夜の村

 ――火の手

 ――魔物の影

 ――叫ぶ声

 ――血

 ――絶叫


 蓮の背に冷たい汗が流れる。


 映像の中、

 幼いエレナが家の中で震えていた。


 母親が、必死の形相で抱きしめ、

 叫ぶ。


『走るのよ! エレナ!』


 だが次の瞬間──

 轟音。

 炎。


 母親は彼女を突き飛ばし、

 魔物に喰われた。


 血飛沫が舞い、

 幼いエレナの瞳に焼き付く。


『……いや……おかあさん……』


 少女は逃げた。

 ただひたすらに。


 その涙を誰も拭えなかった。


 映像が途切れ、

 静寂が降りる。


 エレナは深く息を吸い、

 囁くように言った。


『わたしは……

 逃げたの……

 助けられなかった……

 だから……

 また誰かを失うのが怖くて……

 ずっと、檻に閉じこもってた』


 蓮は歩み寄り、

 傷ついた少女を見つめる。


「エレナ……

 逃げたんじゃない。

 生きてくれたんだ」


 蓮の声は柔らかい。

 しかし、決して揺らがない。


「生きてくれなきゃ……

 今、ここで会えなかった」


 エレナは、涙を溢した。


『でも……わたしは……

 何も……できない……』


「できるさ。

 だってお前は──

 《魂を繋ぐ》力を持っている」


『……え……?』


 保管者が目を細めた。


「……気づいていたのか、契約者」


「魂喰らいは魂を奪い、刃へ変える。

 だけどエレナは逆……

 魂を繋ぎ、

 失われた力を“還す” ことができる」


 蓮は手を伸ばす。

 透明の壁が、淡く震えた。


「俺はお前の魂を信じる。

 一緒に帰ろう、エレナ!」


 少女は泣きながら顔を上げる。

 その瞳は、迷いと希望を宿していた。


『……わたし……

 れんと……

 生きたい……』


 透明の檻が軋む。


 保管者は静かに呟く。


「ならば、選ぶといい。

 過去に縛られ続けるか──

 未来へ踏み出すか」


 エレナは震える足で立ち上がり、

 蓮へと手を伸ばす。


『……わたしは……

 未来を……選ぶ……!』


 パリン──!


 檻が砕け、

 光が弾け飛んだ。


 蓮はエレナを抱きしめる。


「よく頑張った……!

 もう大丈夫だ」


 少女は泣きながら、

 その胸に顔を埋めた。


 保管者は微笑みを薄く浮かべる。


「……決めた、か。

 ならば──

 行くがいい。

 真実は、さらに深い場所にある」


 空間が揺れ、

 次の道が開く。


 そこへ足を踏み出す蓮とエレナ。


 手と手を繋ぎ、

 彼らは暗闇の先へ進む。


 ──記憶の檻。

 少女が閉じ込めた過去は、

 今、解き放たれた。

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