第8話 黒獣王の咆哮──騎士団との初交戦

 ──森が、吠えた。


 黒獣王エルドナの咆哮は、空気そのものを震わせ、

 森に潜む魔物たちを一斉に沈黙させた。


「……これが、契約の力──」


 蓮は右腕を見下ろす。

 黒紋が脈打つたび、体の奥から湧き上がる熱。

 意識せずとも、周囲の魔力が引き寄せられていく。


『気を抜くな、契約者よ。

 すでに敵は眼前だ』


 エルドナの視線の先──

 銀の甲冑が、木々の隙間から現れる。


「……王国騎士団」


 十数名。

 だが、その統率、装備、気配。

 明らかに村を焼く覚悟で来ている。


 先頭に立つのは、銀鎧の騎士。

 肩には王家の紋章が刻まれていた。


「篠崎蓮──確保する」


 騎士は淡々と告げる。

 その声音には、感情がない。

 命令を実行するだけの、無機質な冷たさ。


「話をする気は、ないか」


「ない。

 お前は“処理対象”だ」


 即答。

 蓮は歯を食いしばる。


(最初から、殺す気満々ってわけかよ──)


 騎士が手を上げる。

 合図とともに、弓兵が矢を放つ!


「散れ!」


『任せよ』


 エルドナが一歩踏み出した瞬間──

 影が爆ぜた。


 放たれた矢は、すべて闇によって呑み込まれ、霧散。

 まるで矢そのものが存在しなかったかのように。


「なっ──!?」


 騎士たちが目を見開く。


『弱い』


 エルドナが呟く。

 次の瞬間、


 ──黒い奔流。


 ただ一度の跳躍で、前線の三名が吹き飛ばされた。

 騎士たちは地に転がり、起き上がれない。


「くっ……全員、魔法防御を上げろ!

 術師、陣を展開!」


 後衛の魔導士たちが詠唱を開始し、結界が張られる。

 淡い光が騎士たちを包み、守りを固めた。


 だが、エルドナは鼻で笑う。


『脆い』


 大地へ爪を振り下ろす。

 闇が地面を走り、黒い衝撃波となって結界を襲った。


「ぐっ……! 防げ──!」


 結界は耐え──

 ひび割れた。


「は、化け物……!」


 動揺が走る。

 その一瞬を、蓮は見逃さなかった。


『契約者、前へ出よ』


「わかってる!」


 蓮は右腕に意識を集中させる。

 黒紋が熱を帯び、力が流れ込む。


「《召喚・影犬(シャドウドッグ)》!」


 地面から黒い獣影が次々と生まれる。

 十、二十──

 小型だが俊敏な影獣たちが、騎士団へ一斉に襲いかかった。


「ぐあっ!」


「どこから──!」


 騎士団は混乱する。

 エルドナ単体に注意が向いていた分、対応が遅れた。


『よくやった』


 エルドナの声が響く。


『影は影を呼ぶ。

 その力、我が眷属にも通じる』


「……そういうことか」


 蓮の召喚。《影犬》は、エルドナの眷属とも言える力。

 契約によって強化され、今までとは比べ物にならない性能を発揮していた。


 影犬たちは騎士たちの足を絡め、武器を奪い、動きを封じる。


「陣形を崩すな! 中心に集まれ!」


「その中心が墓場だ」


 蓮が呟き、前へ踏み込む。

 エルドナが蓮を守るように並走する。


『行け。

 恐れは剣を鈍らせる』


「なら、恐れない」


 蓮は短剣を構え、最前の盾兵へ突撃。

 刃が盾に弾かれ──

 その瞬間、右腕の黒紋が光った。


「──砕けろ!」


 短剣に黒い力が宿り、盾ごと騎士を吹き飛ばした。


「なっ、なに……!」


 蓮自身も驚くほどの破壊力。

 だが、考えている暇はない。


『調子に乗るな、契約者よ。

 まだ“指揮官”が健在だ』


「ああ──わかってる」


 蓮とエルドナは視線を中央へ向ける。

 銀鎧の騎士は、周囲の状況を見てもなお冷静だった。


「化け物め……

 だが、こちらも手を抜く理由はない」


 指揮官が剣を抜く。

 蒼光が刃を包む。


(……魔法剣か)


 上級騎士のみが扱える、魔力を纏わせた一撃必殺の技。

 魔法を剣に宿らせることで、魔法防御をも突破する。


「“無能”が力を得たか……

 それは王国の不都合だ。

 ここで終わってもらう」


「いや、終わるのは──そっちだ」


 蓮が踏み込む。

 エルドナも同時に影へ溶ける。


「来い!」


 剣が光を引き裂き、蓮へ迫る。

 蓮は紙一重で避け──

 反撃の刃を放つ。


 金属がぶつかり、火花が上がる。


「悪くない!」


 指揮官は剣を振り上げ、広範囲へ蒼光を放つ。

 蓮は咄嗟に地へ飛び込み避ける。


 その隙に、エルドナが影から現れ、指揮官へ襲いかかる──!


「させるか!」


 指揮官が蒼光を纏った盾でエルドナの爪を受け止め──弾いた。


『……ほう、面白い』


 エルドナが笑う。


 影が蠢き、蓮の足元へ集まる。

 黒紋が燃えるように輝く。


『振るえ、契約者よ。

 “我が一部”を貸し与える』


「──わかった!」


 黒い力が一気に膨れ上がる!

 身体が軽くなり、視界が鮮明になる。


(これなら……いける!)


「いくぞ、エルドナ!」


『うむ』


 蓮とエルドナが同時に駆ける。

 影が加速し、騎士団の視界から忽然と姿を消した。


「なっ──!」


 気づいた時には、指揮官の背後。

 蒼光を纏った剣が振り返るよりも早く──


「──終わりだ!」


 蓮の黒刃が、蒼光を断ち切った。


 甲高い音。

 魔力が弾け、空へ散る。


「ぐっ……!」


 指揮官が膝をつく。


「馬鹿な……

 Fランクの……無能のはず……」


「もう、“無能”じゃない」


 蓮は剣を構え、静かに告げた。


「俺は──生きるために戦うだけだ」


 影が走る。

 銀鎧が倒れ、音を立てて沈んだ。


 森に──静寂が戻る。


『よくやった、契約者よ』


 エルドナが影へ溶けながら言う。


「……まだ、終わってない」


 倒れた指揮官を見下ろし、蓮は拳を握った。


(王国は……

 俺を本気で“消しに来た”)


 その事実が、重くのしかかる。


(ここからが本番だ)


 蓮は空を見上げる。

 森の奥、夜空の狭間。

 星は静かに瞬き──


 彼の背中を押すように輝いていた。

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