柚子

 歩いていると、何かふわっとしたものが脚に触れた。

視線を落とすと、大きな犬がいる。


 金のような色をしたゴールデンレトリバーである。

それが、ずっと付いてくる。


 わたしは犬を飼ったことはないが、犬好きである。

ゴールデンレトリバーは殊更。


 悪い気はしないのでそのまま歩く。



 濃い黄色の首輪を付けているから、飼い犬なのだろう。

毛並みに映える色ではないが、なんだかしっくり来ている感じがある。


 わたしはゴールデンリトリバーと暮すならば、赤色のスタイを付けてやろうと常々考えている。



 どこか近くに飼い主が居るのではないかと、時折きょろきょろしてみるが、歩く人自体が周りにいない。


 毛艶がよく、人懐っこい。

可愛がられていることが良くわかる。

いなくなったら飼い主がさぞ探すはずだ。


 それにしても、なるほど。


 犬を連れて歩くというのは、こんなに誇らしく、嬉しいものなのか。

しばし、その気持ちを味わう。



 途中、交差点に差し掛かる。

このあたりは大きな道路が多いため、横断歩道の真ん中に渡り切れない歩行者が止まれる安全地帯がある場所が多い。


 ここのそばを通るといつも、に視線を止めてしまう。

その場所には変えられたばかりであろう、美しく瑞々しい花がいつも供えられていた。


 知る限り、3ヶ月ほど前からそのように、見る度に新しい綺麗な花がそこにある。


 ほんのたまに通る道なので、どのくらいの頻度で変えられているのかは知れないが、少なくともわたしはそれらが萎れているのを見たことがない。


 こういうことを続けるのは、どういう気持ちなのだろうか。

わたしはいつも、ついその場所をじっと見つめてしまう。


 子を失ったのか、親を失ったのか。

事情こそわからないが、愛しい存在を失った誰か──。


 いつまで続けるのか。

やめてしまったら、亡き人は悲しく思うかもしれないと、そう考えるのかも知れない。


 続けるのは亡き人の為か、自分への慰めか──。



 そんなことを友人に話してみたとき、こうした現場をじっと見つめるのはやめておけ、と真剣に言われたのを思い出した。


 視線を送られると、は自分に気がついていると思い、付いてくることがあるそうだ。



 「そんな。あんなに想われているんだ。悪いものにはなっていないだろう」

わたしは、まさか、というように言った。

「悪いものも、悪くないものも、わからんまま付けるものじゃない。」

「守護霊だって、知らずについているものなのじゃないか」

「良いものとは言ってない。悪いものも、も、だ。」


 そうは言っても、もう何度もこうして見てしまっている。

付いてくるのであれば、とっくに付いてきてしまっていることであろう。



 そんな話を思い出しているうちに、スーパーに辿り着く。

ここは、はんぺんと豆腐と魚肉ウインナーが他より安く、半月に一度は来るのだ。


 わたしが店に入ると、犬も当然のように付いて入る。


「こらこら、お前は外にいなさい。」

言っても犬は聞かない。


 近くの女性が訝しそうにこちらを見ている。


 犬は出ないし、そのまま店内に居るわけにもいかず、女性の視線が痛く刺さる様に感じて、仕方なくわたしは何も買わずに外に出た。



 そのまま、いつもの緑地公園に向かう。


 途中、サンドイッチとカフェラテを買った。

ここは路面店なので、問題なく買えた。


 鴨と鳩を見ながらサンドイッチを食べる。

風は冷たいが、秋晴れの、日差しの暖かな日である。


 犬は鳩を踏まないように歩きながら、たまに匂いを嗅いでみたりしてる。


 鴨も鳩も、犬には慣れたものなのか、全く平気な様子である。



「さてと。」


 わたしが立ち上がると、犬はこちらに戻ってきて、わたしの脚にすり寄る。


 利口な犬だ。


 付いてきたとはいえ、さすがに交番に連れていくべきだろう。

出会った場所と近いところにないかと、いまさらながらに調べてみる。

あの花が飾られていた横断歩道を渡った先のほうにあるらしい。


「行くぞ。最後の散歩だ」


 そういって頭をなでると、嬉しそうにしっぽをぶんぶん振って、「もっと」とねだる様に前足をわたしの身体にかけてきた。


 別れは惜しいが、捨てられたわけではあるまい。


 こいつも飼い主の元に帰らねばならん。


 “犬が勝手についてきた”ていで頭の中で自分に折り合いをつけ、ここまで一緒に過ごしてきたが、その実、わたしがこいつと一緒に過ごしたかったのだ。



 そういえば連絡先など書いていないかと、犬の首輪をよく見てみると「Yuzu」という名前が入っていた。


 それが故の、黄色の首輪か。


「そうか。ユズか。今日はありがとうな。ユズ」


 短い時間であったが、わたしはとても楽しかった。

ほんの1時間ほどを一緒に過ごしただけなのに、泣きそうになった。

知ってか知らずか、ユズが顔を舐めてくれる。


 着ていたセーターに、ユズの金の毛が付く。

それを嬉しく思った。


 ユズと連れ立って、来た道を戻っていく。



 やがて、あの花の飾られた横断歩道の安全地帯が見えてきた。


 歩行者信号が青になり、横断歩道を渡り始めたところで、ユズがわたしの脚に強く身体をこすりつけたように感じた。


「どうした、ユズ」と視線を下げた時、そこにユズは居なかった。


 周りを見まわすが、ユズはどこにもいない。


 うろたえてぐるりと周囲を見渡す。

やはりどこにもいない。


 やがて信号が点滅したので、車が通るような場所にユズがいないことを確認して、安全地帯まで進む。


 果たしてどこへいったのか──。


 わたしはあの供えられた花の前にいた。

いつも車道越しに見ているだけだから、前に立つのは初めてだ。


 わたしは花の前で、いつも視線を送っていた見ず知らずの魂に手を合わせる。

わたしの袖に、ユズの金の毛が付いているのが目に入った。


 手を合わせ終え、そこで初めて花以外のものが置かれていることに気が付いた。


──あぁ。ちゃんとユズは帰ったのだな。


 そこには、やはり瑞々しい花と一緒に、あの黄色の首輪と、犬の顔が描かれた柚子が一つ、置いてあった。

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