第12話 お頭のいない盗賊団

     ───時は少し遡り


​ 夜明け前の闇がようやく薄れ始めた頃、切り立った崖の上にある「影の牙」のアジトは、穏やかな静寂に包まれていた。いつもと変わらない湿気と古い獣のような臭いが混ざった空気の中、団員たちの粗野ないびきだけが響いている。


​これまで、影の牙のアジトは常に物騒な気配が漂っていたものだが、今は違う。夜の見張りは下っ端の団員がアジト内にところ狭しと配置され、深夜といえど厳重な警戒をしていたものだが、現在では、団員の身分に関係なく全員が交代制で、しかも、見張りに必要な最低限の人数でおこなっている。


これは五代目お頭であるギンが提案した働き方改革の一つだった。


ギン曰く⋯⋯


『全員が下っ端の仕事とされてきた夜の見張りに、それも最低限の人数で立つことにより責任感が芽生える』


などと大層なことを宣い、他の幹部連中を渋々納得させ施行した。


だが本音は⋯⋯


『夜中に大勢で見張りなんかされたら気が休まらないから』


という極々個人的なものだった。


​ その日、アジトの見張りについていた古参団員のゾルグは、いつものように水場で顔を洗うと、副頭領であるゴウがいると思われる集会場の扉を開け灯りが消えて真っ暗な集会場を一瞥した。


​だが、ゴウの姿はない。


​(ふむ。珍しいな。ゴウにしては朝が遅い)


​ゾルグは、昨晩の激しい戦闘(バルカス一派の始末)の後始末を思い出し、さすがの副頭領も疲れてまだ寝ているのだろうと勝手に納得した。


​しかし、その静寂は、一人の若い団員がギンの私室のドアを叩いた音で破られた。


​「お頭!飯が冷めちまいますぜ!昨日の件で、みんな不安がってます。お頭の顔を見せてやらねえと…」───返事はない。


​団員はもう一度、強くドアを叩いた。


​「お頭!」


​やはり返事はない。


​いよいよ異変を感じた団員が、乱暴にドアを開け放つと、ギンの私室は空だった。


​部屋の窓は開け放たれ、夜風が冷たく室内に吹き込んでいる。ギンが寝るはずだったベッドは整えられており、机の上には一枚のメモ書きが無造作に置かれていた。


​「——誰か!お頭がいねえ!」


​その叫び声が、アジト全体に瞬く間に伝播した。

​アジト全体がパニックに陥った。


​「お頭がいないだと!?まさか、バルカス一派の残党が…」

「いや、そんな物音一つしなかった。もしそうなら、俺たちが気づかないわけがない」

「じゃあ、どこに? お頭が夜中にフラッと出かけるなんて、今まで一度もねえぞ!」


『昨日の今日で、お頭の身に何かあったのでは⋯⋯』


​団員たちは血相を変え、武器を手にアジト中を探し始めた。食糧庫、訓練場、隠し通路、そして便所や水浴び場など、ありとあらゆる場所を探すが、ギンの姿はどこにもない。


​団員の一人、盗賊見習いとして最近影の牙に入った新人盗賊のマルコが、ギンの部屋の机に残された書き置きを見つけたのは、それからしばらくしてのことだった。


マルコは、ギンの書き置きを手に持って青ざめた顔で皆が集まっている集会所にやってきた。


​「なんて書いてあるんだ?」


ゾルグが尋ねると、マルコは手に持ったギンの書き置きを読み始める。


メモには綺麗な筆跡で、こう書かれていた。


​『パン買いにちょっと出かけます。すぐ戻るから心配しないで!!』


​ゾルグは激しく動揺した。


​「パンだと!? こんな時になぜパンなんか⋯⋯ お頭は一体どういうつもりなんだ!?」


​団員の騒ぎを聞きつけ、副頭領のゴウが駆け込んできた。彼はバルカスの件であまり眠れなかったのか、疲労困憊といった様子だった。


​「どうした、騒々しい!こんな朝早くから!」

「ゴウ! いや、副頭領。大変だ、お頭が…お頭がいねぇんだ!」


​ゴウは、ゾルグからメモを受け取ると、その内容を読み、瞬間的に顔面から血の気が引いた。ギンの「パン屋の夢」を知るゴウにとって、この書き置きはただの気まぐれではないことがわかった。


​「ちくしょう…! こんな時までパン屋の仕事か! 何を考えてんだ!」


​ゴウの怒りは、ギンへの焦燥と激しい不安の裏返しだった。彼をはじめ影の牙全員、ギンがパックスヴェイルでパン屋の見習いをしていた事実は知っている。


だが、ゴウ以外、ギンが将来パン屋になりたいという密かな夢を持っているということは知らない。ゴウ以外の団員たちは、ゴウからギンがパン屋で見習いをしているのは『町での情報収集のため』と聞かされていた。


​「ゾルグ、よく聞け! アジトを固めろ!お頭は、おそらくパックスヴェイルの町に向かった!例のパン屋に関係しているはずだ!」


​団員たちはざわついた。


「パン屋に!?なんで…」

​「黙れ! 理由なんかどうでもいい! お頭が今、アジトを出て行ったということは、昨日俺たちが始末したバルカス一派の背後にある『三日薬(エデン)』の事を調べに行ったのかもしれない! いくらお頭といえども、極めて危険な行動だ!」


​ゴウの厳しい声に、団員たちの騒ぎが収まる。


​「俺は町へ向かう! お前たちは、アジトから動くな!もし俺が、お頭の行方に関する確実な手がかりを掴んだら、アジトに戻り皆に指示を出す。それまではアジトの守りを厳重にし、絶対動くな!」


​町へ出ることを決めたゴウは、町の人たちから警戒されないよう自分の顔にある大きな傷跡を隠し、冒険者を装うため、動きやすい冒険者たちが好んで身に着けている旅装を選ぶと、一目散に崖を駆け下りた。



​ ゴウは、朝の静けさが残るパックスヴェイルの町の前までやって来ると、人目を避けるように町へと侵入した。彼がまず目指すのは、ギンが「コハク」として修行をしていたという『まどろみベーカリー』の近くだ。


​(お頭……本当に何を考えてるんだ⋯⋯)


​店の前には、香ばしいパンの匂いが漂っている。ゴウは一瞬、足を止めた。甘い香りが、血の臭いを知らないこの世界で、ギンが楽しそうにパンを焼いている姿を連想させた。


​顔の大きな傷跡を隠し、冒険者を装ったゴウであったが、全身から発せられる威圧感は、すぐに町の人々を遠ざけた。


彼は慣れない丁寧な口調を心がけながら、夜中に町を訪れたであろうギンについて情報を集めようとしたが、町の人たちから警戒されてしまい、まるで相手にされない。ゴウの強面は、平和な町では逆に壁となってしまう。


​(ちくしょう…俺じゃダメだ…)


​ゴウは苛立ち、拳を石壁に叩きつけそうになった。その時、ゴウはギンの言葉を思い出す。


​「汚れた手で作ったパンなんて誰も食べたいと思わないもの」


​ゴウは深呼吸し、全身から出る殺気を抑え込んだ。彼は、できるだけ腰を低く、声を更に穏やかにしようと努めた。


​「すまナイが…ちょっと聞かせてもらえネェですか?」

​ゴウは、おかしな口調で町の片隅で井戸水を汲んでいた老婦人に声をかけた。


​「昨日の夜、町から出て行った変わった女を知らねえデスか? 背が高くて、細身の…コハクって名乗る女だ、、、、です」


​老婦人はバケツを落としそうになりながら、ゴウの顔を見て一瞬後ずさったが、彼の目に宿る切実な光と必死に丁寧な口調で尋ねようと心がけている姿を見て、優しく微笑みながら答えた。


​「ああ…コハクちゃんに用があるのかい?知ってるも何も、あの子はうちの⋯⋯まどろみベーカリーの見習い看板娘だよ。何やら慌てた様子で町を出て行っちまって顔も見られなかったから心配していたんだよ」

​「彼女を…いつ見た、、、、デスか?」


​ゴウは、前のめりになって尋ねた。


​「昨日の夜中だよ。ちょうど明日の仕込みをしていた頃にね、急に大きな荷物を持って現れたかと思ったらすぐに行っちまったのさ」


​老婦人は、昨夜の様子を詳しく話し始めた。


​「急いでる様子ではあったけどね。でも、とても静かに、誰にも気づかれないように歩いているように見えたよ。あれは、町の東、ルーメンに向かう馬車に乗り込むために、東門へ向かったんじゃないかねぇ」


​ゴウの脳裏に、ギンの言葉が蘇る。


​「パン屋になったら、早朝、近所迷惑にならないように静かに作業をこなすために上手く気配を消すことと体幹は鍛えておかないとね」


​昔、そう言って楽しそうに笑っていたギンを思い出し、ゴウは悔しさとギンの力になれていない不甲斐なさで拳を強く握りしめた。


​ 気持ちを切り替え、ゴウは、老婦人からコハクらしき人物が東門へ向かい、夜中の馬車で町を出たという決定的な情報を得た。彼はすぐに東門の馬車発着場へ向かった。


​発着場で、ゴウは夜勤明けの御者の一人を捕まえた。


​「昨日の夜中、この長距離移動馬車に、背の高い銀髪の女を乗せたか?『コハク』と名乗っていたはずだ!」


​御者はゴウの剣幕に怯えながらも答えた。


​「ひっ…?ああ、乗せましたぜ!『コハク』さんと名乗る、綺麗な女でした。北の町の冒険者ギルドの近くで降ろしてほしいと、特別料金を払ってな…。あの時間に動く長距離馬車は、行き先がだいたい決まってるんです。つまり、彼女の行き先はルーメンで間違いねぇ!」

​「やはりルーメンか…!」ゴウの目が大きく見開かれた。


​これで全てが繋がった。ギンは、バルカス一派の背後にいる三日薬(エデン)の元凶を断つため、単独でルーメンの冒険者ギルドを目指したのだ。


​ 焦りを隠すようにゴウは、手に持ったギンの置き手紙をポケットにしまう。


​ギンは、今、確実にルーメンに向かっている。それも、最も危険な場所である冒険者ギルドへと。


​ゴウは、アジトに戻り、団員たちにこの情報を伝えなければならない。それが、副頭領としての責任だ。ゾルグに狼煙で合図を送り、アジトにいる腕利きの仲間数人を選抜し、ギンの後を追うべきだ。


そんなことはわかっている。


​しかし、ゴウの足は、完全に地面に縫い付けられたように動かなかった。


アジトに戻る時間を計算し、アジトからこの町を往復するには時間がかかりすぎる。


​(事態は一刻を争う。アジトに戻っている時間がもったいない! ここで引き返して、また崖を上り下りしている間に、お頭に何かあったら俺は⋯⋯)


​ゴウの脳裏に、ギンが危険に晒される姿が鮮明に浮かんだ。彼の焦燥は、副頭領としての冷静な判断を凌駕した。


​「一刻も早く、お頭の下へ!」


​ゴウは、腰に下げた財嚢から、ありったけの金を荒々しく取り出した。


​「おい、金はいくらでも出す。今すぐルーメン行け!」


​ゴウは、アジトに戻るという選択肢を、その場で完全に捨てた。彼は、盗賊団の副頭領としての責任を一時的に放棄し、一人の人間、そして幼馴染みとして、ギンを守ることを最優先したのだ。


​御者は、ゴウの迫力に怯えながらも、大金を目の前に出され二つ返事でゴウの頼みを了承し馬車の荷台に乗るように指示する。


​ゴウは、御者に促され荷台に飛び乗ると馬車はすぐに動き出した。


​「全速力で走れ!ルーメンへ!」


​ゴウは、ギンの残した「パン買いにちょっと出かけます」というメモを強く握りしめ、パックスヴェイルの町に背を向けた。


───団員たちへの狼煙の合図も、伝言も、全てを無視して。


​(待っててください、お嬢。俺が、あんたの「汚れた手」になる。あんたが、パン屋の夢を諦めずに済むように、あんたの牙を守る盾になる!)


​そう何度も自分に言い聞かせながら、ゴウはギンの置き手紙を何度も広げては読み返し畳んでいる。そんなゴウを乗せ、馬車は土煙を上げながら、ルーメンへと続く街道を走り抜けていった。


遠くで朝日が昇り始めていた。ギンがいるルーメンの空も、同じ光に照らされているはずだ。



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