第21話 1月1日、退院の日

 新年の朝。

 冬晴れの光が窓から差し込み、病院の廊下を穏やかに照らしていた。

 静寂の中にもどこか祝福めいた空気が漂い、白い建物を温かく包んでいる。


 その朝――

 瑛士は落ち着かない様子でエントランスに立っていた。

 黒のロングコートを羽織り、七人分の荷物が入った大きなバッグを足元に置きながら、何度も腕時計を確認する。


「……この日を、どれだけ待ったか」


 胸の奥から自然と漏れたその言葉は、今日までの不安や喜び、未来への期待が溶け合った音色だった。


「篠崎さん、車の準備、整いました」


 そっと声をかけてきたのは、瑛士の会社の若手秘書・真堂悠人。

 緊張気味ながらも誠実な態度でリムジンのドアを開けて見せる。


「車内は暖房を入れてあります。七人それぞれのチャイルドシートも、固定を確認済みです」


「悠人……本当にありがとう。君のおかげで全員、安心して帰れる」


「いえ……でも、七人のチャイルドシートが並んでるのを見ると圧巻ですね。未来のスター選手たちって感じです」


 瑛士は照れたように笑った。


「うちの家族の“開幕戦”ってところだな」


***


 その時、エレベーターが静かに開いた。

 看護師たちに囲まれ、莉緒が姿を現す。


「瑛士くん……待たせちゃった?」


 まだ本調子とはいえないものの、莉緒の表情には柔らかな光が宿っている。


「待ったけど、それも全部幸せだったよ」


 瑛士は駆け寄り、そっと支える。


 その背後では――七人の赤ちゃんが看護師一人ひとりの腕に抱かれ、毛布に包まれ、可愛らしい小さな寝息を立てていた。


「本当に……七つの宝物だな」


 瑛士が言うと、看護師の一人が明るく笑った。


「退院セレモニーみたいになってますよ? 七人そろってのお出かけです」


「落とさないように、しっかり抱えてますから安心してくださいね」


 病院スタッフの温かい声に包まれながら、一行はエントランスへ進む。


「今まで、本当に……ありがとうございました」


 莉緒が深々と頭を下げると、看護師たちが一斉に微笑んだ。


「元気に育つんだよ、七つ子ちゃん」


「大変なことがあっても、この子たち見れば全部吹き飛ぶからね!」


「また遊びに来ていいからね〜!」


 そんな声を背に、家族は外へ出た。


***


 冬の冷たい空気が頬を撫で、白い息がお互いの間にふわりと漂う。

 悠人が開けたリムジンの後部シートには、七人分のチャイルドシートが整然と並んでいた。


「わぁ……これ、本当に全部……?」


「ああ、全部俺たちの子供のためだ」


 瑛士が優しく微笑む。


 看護師たちが赤ちゃんをそっと乗せていくたび、車内の空気が柔らかく変わっていった。

 ぎゅっと小さな手を握る莉緒の仕草は、もうすっかり“七人のお母さん”だった。


「莉緒、帰ろう。七人と一緒に」


「うん……帰ろう」


 車がゆっくり動き出し、病院から離れていく。

 新しい家族の物語が始まる音が、静かに響いていた。


***


 夕方――

 家の片付けを終え、ようやく一息ついた頃、インターホンが鳴った。


「……来た!」


 莉緒が慌てて玄関へ向かう。


 扉を開けると、コート姿の女性がこちらを見て微笑んでいた。


「お姉ちゃん、あけましておめでとう。そして……七人、ご出産おめでとう!」


 莉緒の妹。

結城千紗(ゆうき ちさ)――助産師、仕事終わり。


「ちさ……仕事、大丈夫だったの?」


「大丈夫じゃないけど来た! 助産師として、そして妹として放っとけるわけないでしょ」


 千紗は大きな紙袋を掲げて見せる。


「はい、七人分のガラガラ。色と形、全部違うやつ。

 誰がどれかわからなくなるの防止!」


「えっ……ちさ、すご……!」


「すごいのはお姉ちゃんだから。七人だよ? 七人!

 いやぁ……聞いたとき鳥肌立ったわ」


 リビングへ入ると――

 七人の赤ちゃんがベビーベッドで眠っていた。


 千紗はその瞬間、呼吸を忘れたように立ち尽くした。


「……本当に七人……。

 はぁ……幸せって、こういうのを言うんだね……」


 助産師としての冷静さより、妹としての感情が溢れる。


 涙をぬぐいながら、そっと七つの小さな頭を順に見つめた。


「お姉ちゃん……本当によく頑張ったね」


「瑛士くんが、ずっと支えてくれたから」


 千紗は瑛士にも頭を下げる。


「お義兄さん……これから本当に大変だと思いますけど、私も助産師として全力でサポートします。遠慮なく呼んでください」


「心強いです。本当に頼りにしています」


「ふふ、覚悟しててくださいね? 助産師のアドバイス、容赦ないですよ」


 三人は笑い合い、穏やかな時間が流れた。


 ガラガラが七つ、ベッドのそばに並べられる。

 まるで、新しい年の始まりを祝う小さな音のように。


***


 こうして――

 1月1日、七人の退院とともに、八人家族の新しい日々が静かに幕を開けた。

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