其の三 呼び名の柵②

 現在、私は京都に暮らしている。同郷の親友であり幼馴染のナナミも、大学卒業後に大阪で就職したため、互いの家を行き来する縁が続いている。

 

 もっとも、彼女の一家は娘の進学と同時に故郷を離れ、関西へ移り住んだ。親御さんの職業柄、居を動かすことへの負担が小さかったこともあり、あの町を出ることに大きなためらいはなかったらしい。今は開業医をなさっている。


 以前触れた「屋号」の習慣は、私たちの故郷ではごく当たり前のものだ。住民を呼ぶ際は、「屋号」+「その家の誰か」が決まりである。

 

 ナナミの家の屋号は【刀圭とうけい】。

 町の古記録によれば、初代当主は明治初期に政府から無医村に派遣された医者で、薬箱に差していた細身の小刀——“刀圭”を象徴として掲げたのが始まりだという。以来、代々が医を生業としてきた家で、故郷にいた頃はナナミの父は市民病院で医師、母はその場を支える看護師、兄は千葉の大学病院で医師として働いている。町の人間は、ナナミのことを「刀圭さんとこの長女」「刀圭のナナミちゃん」と呼んでいた。

 

 我が家、乃東家の屋号は【椀木屋わんぎや】。

 こちらは、高祖父の代よりさらに古く、山間部で“椀木”と呼ばれる堅牢な木材を扱う椀職人の家が始まりで、木地を挽く音が懐かしいと祖父は語っていた。とっくに廃業しているが、祖先の職能を示す名残がそのまま屋号となり、私自身も幼いころから「椀木屋さんの長女」「椀木屋のかるるちゃん」と呼ばれてきた。

 

 この土地では、個人の名よりも先に家が立つ。名の前に屋号を置くのは、礼儀というよりも、人と人との距離の測り方として常識であった。


 外部の人には単なる風習に見えるかもしれない。だが、あの町では【屋号とは“名を守るための外殻”】であり、生者の名に直接触れることを避けるための緩衝材であった。

 個人名をいきなり口にすることは、相手の内側へ踏み込みすぎる行為だとみなされ、生者同士であっても控えられた。呼ぶ者と呼ばれる者が互いの“境界”を測り誤らぬために、屋号は必要だったのである。


 この“境界を置く”という感覚は、当然ながら生者だけで完結する話ではない。

 

 ——故郷では、死者の俗名を呼ぶことが固く禁じられていた。

 

 その名を呼べば、冥土へ向かうはずの魂が足を止め、生者の声に引き寄せられると信じられていた。名は魂と結びつく。ゆえにそれを呼ぶという行為は、魂に触れ、呼び寄せ、縛る行為だ——そう考えられていた。


 死者の俗名を避ける戒めは、屋号文化の延長線上にある。生者の名であっても不用意に扱わない土地であれば、死者の名を口にしないのは必然である。

 つまり、屋号とは生者を護るための“表の名”であり、俗名とは魂そのものに近い“奥の名”だった。


 葬儀の場でも、死者を屋号で呼ぶことはあっても、俗名は慎重に避けられた。子どもに対しても、「もう亡くなりはったあの人の“名前”は呼んだらあかん」と繰り返し教え込まれる。大人たちは当たり前のように死者の名を伏せ、「〇〇のおばあちゃん」「〇〇屋の、のうなった祖母」と言うに留めた。

 

 名を伏せることは、死者への畏れと敬意であり、同時に生者が“境界線の外へ踏み出さない”ための自衛でもあった。


 私は今でも、名前だけを呼ばれると胸の奥に微かなざらつきを覚えることがある。あの町で育った者にとって、名とは軽い呼び声ではなく、人の内側に直に響く重さのあるものだった。

 屋号に守られて呼ばれることは、面倒で不便に見えて、実は心の安全装置であったからだ。


 呼び名の柵とは、古臭い因習などではない。


 あの町の人々が生者と死者のあいだに静かに引いた、目に見えない境界が土地を離れて無くなった事に、少し不安を覚えるのだ。

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