【資料】狭名倉山の構造信仰と“魔”の伝承について

方針の二つ目。


2.「狭名倉山」の信仰構造と山にいる“いかんもん”伝承の源流を探る


 私の故郷の東に、狭名倉山さなくらやまがある。峰は地図で見れば標高はそれほど高くもなく、冬は雪が薄らと積もり少し烟って見える。


 その山は、「子供だけで入ってはいけない山」として大人たちから厳しく言われていた。


 そして、田舎の町によくある小学校中学校のイベント『登山ハイキング』でも狭名倉山さなくらやまだけは登らない。必ずルートから外されていた。

 

 祭りの参加で登ったことのある父から聞いた話だが、谷筋に沿って杉と楢の木が密に立ち並び、昼でも薄暗い。獣の足跡が残り、時折どこかで水の流れる音がするから小川があるのだろうと言っていた。

 春先の霧が籠もると、山の形がまるで溶けるように見えなくなり、輪郭を失った森は、まるごとひとつの生き物のように息をしているのではないかと考えてしまう、そんな山だそうだ。


 町人たちは、狭名倉山の深部を「奥の口」と呼ぶ。


 その奥に、町の鎮守である名倉神社なくらじんじゃが鎮まっている。

 社は大きくない。苔のついた石段を十数段上ると、瓦屋根の社殿があり、その背後に岩肌が迫っている。


 岩の裂け目には注連縄が張られ、奥には「名倉なくらかみ」を祀る岩屋がある。


 地元の言葉で「かみほら」とも呼ばれ、神の坐す場所とされていて祭りの時しか立ち入りをしないそうだ。


 この神に捧げられるのが、夜籠り《よごもり》の祭である。

 年に一度、晩秋の夜に行われる。日が傾くころ、町中の人々が神社に集まり、供え物の餅や山菜を並べ、子どもたちは笛や鈴を練習を重ねた演奏を披露する。


 笛の音、太鼓の拍子、拍子木の乾いた音が響く。その光景は、これからの厳しい冬を乗り越えるための明るい祭りに見える。

 

 だが、日が沈むとすべてが一変する。


 太鼓がひとつ大きく鳴ると、人々は社を離れる。境内の灯籠が一つずつ消され、闇が広がるのだ。

 

 その後に残るのは、家々の当主たちだけである。


 外の扉は固く閉ざされ、誰も外に出てはいけない。山裾の自宅に戻った者たちは、家の戸口に灯をともして早々に寝てしまう。

 

 ――「山から太鼓の音がしているうちは目を閉じて喋らずに、早く寝てしまえ」


 幼いころ、祖母にそう言われたのを覚えている。


 私は成人してから、この夜籠りの祭や祀られた神様とやらを確かめようと、数人の古老に話を聞いた。

 ある老人は、猫を撫でながら静かに言った。


 「名倉ノ神いうのは、もともと山の“塞ぎの神”でな。山ん中には“いかんもん”がおる。山から下りて来んよう、神さんが塞いどるんやよ」


 “いかんもん”とは何かと尋ねても、明確な答えは返ってこなかった。


 ただ、「目に見えんもん」「よくないもの」「霧に紛れて降りて来るもん」――と、人によって表現は違った。

 要は、山の外に出てはいけない存在なのだという。


 ただ数人の古老に聞いたが夜籠りの祭の目的は、神に“感謝する”ためだけではなく、鎮めるためだと言うことは一致していた。

 

 つまり、神と“いかんもん”を峻別するための儀式であり、境を明確にする行為である。

 古老のひとりはこう話していた。


 「神さんとは紙一重や。れいして鎮めりゃ神、放っときゃ魔になる」


 だからこそ、当主たちは岩屋の前で火を絶やさず、夜明けまで太鼓を叩き夜籠りをするそうだ。


 夜が明けると、岩屋の前の火が消され当主たちは場を清め、朝の光が山に差し込むと、ようやく町にも人の声が戻ってくる。

 この一連の作法は、祭りでありながら、同時に「鎮めの儀」である。



 人々は神を崇めながらも、“紙一重”にあるものを恐れている。



 狭名倉山は、信仰と禁忌が重なる場所のように思う。

 神を祀りながら、同時に“魔”を封じてきた土地。


 守りへの感謝の言葉と、鎮めの作法。

 この山の構造そのものが、「境界を保つための信仰」として存在しているように思える。


 思えば、故郷の葬儀にこの思想が根を下ろしている。葬儀の晩、四方に亡くなった人から見て四親等以内から寝ずの番を立てる。それとは別に懐剣役という役割が一名、部屋に籠り“狭名倉の方角”から来る魔を退けるための習わしがある。

 

 寝ずの番に守られたのちの葬儀で死者は安らかに眠ることができる。

 

 ――呼ばぬこと、寄せぬこと、そして守ること。

 

 それがこの土地の信仰の骨格なのだろうと推察する。


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記録者:乃東かるる

(取材地:故郷・狭名倉山周辺/調査時期:大学一回生の冬〔2016年度〕)

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