第四章 境界の向こう
夜。
寝つけなかった。
天井の模様をぼんやり眺めながら、あの旧校舎のことばかり考えていた。
「YUTA S.」
あの刻まれた文字。
知らない名前なのに、なぜか心の奥がざわつく。
コツ、コツ。
頭の中に、あの足音が浮かぶ。
……いや、浮かぶんじゃない。
今、聞こえている。
ベッドの脇で。
息を呑んだ。
身体が動かない。
耳だけが敏感に、音を追っている。
コツ……コツ……。
誰かが、自分の部屋の中を歩いている。
「みてるよ」
耳元で囁かれた瞬間、全身が凍りついた。
目を開けると、部屋の隅に“影”が立っていた。
背は自分と同じくらい。
顔が見えない。
でも、肩のあたりに校章が見えた。
――それは、旧校舎で拾ったキーホルダーと同じデザイン。
「……悠太……?」
名前を口にした瞬間、影がゆっくり首を傾けた。
まるで笑うように。
「きこえたね」
その声が、自分の声にそっくりだった。
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
気づけば、立っていたのは旧校舎の廊下。
足元に白いチョークの線が続いている。
息が白くなるほど寒い。
周りは静かすぎる。
廊下の先で、誰かが背を向けて立っていた。
光のない影。
だけど、その背中はどこか懐かしかった。
「どうして……ここに?」
問いかけると、影が振り返った。
その顔は――自分自身だった。
「……え?」
言葉が出ない。
もう一人の“私”は、穏やかな顔で微笑んでいる。
「ようやく、きこえたでしょ」
その言葉のあと、黒板の音が鳴った。
ギリッ、ギリッとチョークを強く押しつける音。
教室のドアが勝手に開いていく。
黒板には、新しい文字が現れていた。
「交わったら、戻れない」
心臓が痛いほど脈打つ。
けれど足は動かない。
もう一人の“私”が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
コツ、コツ、コツ――。
二人分の足音が、完全に重なった。
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