第35話 『 夜の見守り 』
(麗華の視点)
優一が引き止めようとした言葉を無視し、私は待合室を出て、廊下の先にある病室へ向かった。
歩きながら、ひどく気分が悪かった。肉体の疲労だけではない。頭がまともに働かず、思考が霧に沈むばかりだった。この場から逃げ出したかった。自分の部屋に戻って眠り、明日の朝になれば、すべてはただの悪い夢だったと気づきたかった。海斗が、そこにいるはずだと願っていた。
彼を探さずにはいられなかったのは、どうしようもなく胸に疼く責任感のせいだった。わずか数週間とはいえ、海斗は私の家で暮らしていた。もう他人とは思えなかった。だからこそ、彼に起きたことを思うと、どうしても罪悪感がつきまとった。
一度、受付に戻って、無理やり病室の階や番号を吐かせようか――そんな考えも頭をよぎった。
だが、それが無駄だということぐらい分かっていた。どう動くべきか迷っていると、後ろから飛ぶように明日香が追いつき、私に声をかけた。
「麗華ちゃん、麗華ちゃん」
囁くような声だったが、切迫した気配があった。それでも私は足を止めなかった。
「麗華ちゃん、やめようよ」
明日香は重ねて言った。「誰を探してるのかよく分からないけど、待ってって言われたでしょ。ねえ、麗華!」
私はため息をつき、歩幅を広げた。だが、病室へ続く二枚扉に手をかけた瞬間、明日香が私の肘をつかんだ。
「トラブルになるよ。お願い、戻ろ?」
返事をしなかった。見ることすらしなかった。腕を振り払おうとしたが、無駄だった。
「麗華……お願い」
さらに強く振り払った。
「麗華!」
目を閉じた。明日香の言う通りだった。今日初めて考えたわけではない。病室を片っ端から確認して回るなんて、無意味すぎるし、下手をすればこの病院から追い出されるだけだ。
――そんな馬鹿げた行動だということくらい、痛いほど分かっていた。
それでも、私は――。
「じゃあ、どうしろっていうの……」
そう言った瞬間、私はほんの一瞬だけ、明日香を憎んだ。私を止めた彼女を。
結局、私は明日香に連れ戻されるようにして再び待合室へ戻った。彼女は私の前に立ち、優一に近づかないようさりげなく目を光らせていた。文句も言えなかった。明日香が善意で動いているのは分かっていた。私にはもったいないほどの友人だ。
それに、彼女は海斗のことや、私と彼の関係についても聞いてこなかった。聞かれたところで、私は何と返したか分からないのだが。
待合室に戻ると、海斗を轢いたと自ら名乗った男の姿はもうなかった。私は探そうとも思わなかった。
どれほどの時間が経ったのか分からない。十分にも感じたし、一時間にも思えた。確かなことは、外がすっかり夜になっていたということだけだ。
そのとき、疲れ切ったような顔の男が待合室に入ってきた。黒髪で眼鏡、どこにでもいそうな印象の薄い男だった。
――この人だ。
そう直感し、話す前に立ち上がって問いかけた。
「すみません、藤村海斗の身内ですが、容態を教えていただけますか」
私の背後で明日香も立ち上がり、私の肩に手を置いた。医師は書類をめくりながら、気の抜けた音を舌で鳴らした。その態度に苛立ちがこみ上げたが、ぐっと歯を噛み締めた。
「ええと……藤村海斗さんは、午後二時に搬送されました。両腕に重度の損傷があり、鼻骨も骨折しています。ただ、一番の問題は頭部です。脳挫傷に加えて、外傷性の出血が著しく、内部にも影響が出ています。状態は非常に厳しいですね」
そこで医師は顔を上げ、私を見た。
一瞬の沈黙。ほんの刹那のはずなのに、胸の奥がきゅっと縮むように痛んだ。
「現在、昏睡状態です」
「……え?」
そのあと、何があったのかよく覚えていない。
*********
(優一の視点)
運転中だ。隣の助手席には麗華が座っている。だが、病院を出てから一言も発していない。
もしかして腹が減っているのか?
沈黙は性に合わない。だから、適当に話を振ってみた。
「麗華さん、あの、その――」
「今はやめて」
刺すように冷たい声だった。いつも以上に。海斗はよくこんな性格の相手と暮らせたものだと思う。
麗華が今ここにいるのは、あの友人――明日香、そう、そんな名前だった――に頼まれたからだ。彼女は麗華の車のキーまで隠し、「今の状態で運転させられない」と言った。もちろん麗華は病院に残りたがった。しかし、残ったところで海斗のためにできることは何もない。
それでも完全には説得できなかった。せめて今夜だけでも、病院に泊まると言い張っていた。
そこで明日香が、「じゃあ一度着替えに戻って」と提案し、自分が代わりに病院で見守ると言った。
――つまり、僕ひとりを海斗のそばに置くのは不安らしい。
こうして、今の気まずい状況ができあがった。
……本当に居心地が悪い。
ただ、文句は言えない。ここまでは、だいたい計画通りだ。
とはいえ、気になることがひとつあった。信号待ちの間にスマホを取り出し、大輝へメッセージを送った。
「昏睡? 本当に? どうやったんだ?」
すぐに返ってきた。
「テープでまとめた。覚えておけよ、借り一つな」
返信はせず、次の信号でログを消した。
麗華はこちらを見もしない。最初から、彼女が一番の障害だと分かっていた。扱いには細心の注意が必要だ。
残された選択肢はひとつ。
――これからは、絶対に彼女を一人にしないこと。
離れないこと。
良くも悪くも、最後までそばにいるつもりだ。何かしら、得られるものがあるかもしれない。
高校生なのに、MILFと強制結婚!? ~恥ずかしがり屋の僕が、冷徹美女妻に翻弄される日常~ @Mycenius-01
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