第29話 『 裁き (1) 』

龍と僕が互いに「どうやって殺し合うか」だの、「お前の母親がどうのこうの」だの、思いつく限りの暴言をぶつけ合ったあと、教室には重たい沈黙が落ちた。――教師たちが到着したのだ。


最初、彼らは何も言わなかった。ただ、扉のところに立ち尽くし、目の前の光景を信じられないといった様子で、教室の惨状を見渡していた。いくつもの机は散乱し、木は割れ、角は潰れている。床には投げ出されたままの鞄、踏みつけられた教科書、転がる鉛筆や色鉛筆。


完全な荒れ放題。気づけば、窓ガラスまでひびが入っていた。


初期のショックを抜けた教師たちがどう僕たちを叱り飛ばしたか――そんなもの、わざわざ説明する必要はないだろう。怪我なんてお構いなしに腕を掴まれ、怒鳴りつけられ、指を突きつけられた。僕は反論せず、黙って俯き、血がこれ以上こぼれないよう鼻を押さえ続けていた。こういうときは黙っているのが一番だと知っていたからだ。だが、僕とは違い、龍は喋った。まくし立てるように、怒鳴り散らし、手振りを交えながら、「僕が理由もなく殴りかかった」などとぬかし始めた。


教師たちはほとんど取り合わなかった。むしろ、あの場で一番激しく叱責されたのは、間違いなく龍だった。


                *********


最初、僕は「この流れなら保健室に連れて行かれるのだろう」と思っていた。しかし違った。関係者六人全員が、まっすぐに校長室へと連れて行かれたのだ。


校長室は広い割に飾り気がなく、片側の壁一面を埋める大きな本棚と、反対側の壁に置かれた革張りのソファだけが目を引いた。奥には黒い木の長机があり、その向こう側に、表情を固くした校長先生が静かに座っていた。


思わず唾を飲み込む。アドレナリンが抜け始めたことで、ようやく恐怖が込み上げてくる。――僕、何をしでかしたんだ。これは、本当にまずい。


教師に背中を押され、よろめきながら校長室へ足を踏み入れた。


だめだ、だめだ、何してんだ僕。何考えてた。


ほかの連中がどんな顔をしていたのか、僕と同じように怯えていたのか――そんなことは分からなかった。時間が経つほど、前を見ることすらできなくなっていった。恐怖で手が震える。


教師たちは椅子を勧めることもせず、僕たちを校長先生の前に一列に並ばせた。


静寂。聞こえるのは、自分の息が荒くなっていく音だけ。


「――君たち、一体何をやっているんだ。」


校長先生の声は大きくはなかったが、ひどく掠れており、言葉一つひとつが喉を裂いて出てくるようだった。怒っている、などという生易しいものではない。


ここで一言でも間違えれば、終わりだ。


「答えたまえ!」


沈黙に堪えられなくなったのか、机が大きく叩かれた。反射的に肩が跳ね、鋭い痛みが前腕を走る。


「こ、校長先生、ぼ、僕らじゃ、僕らじゃありません! あいつです!」


虎が僕を指差した。


「急に殴りかかってきたんです!」


龍も、友達の芝居がかった訴えに続くように叫んだ。


殴られすぎて耳がおかしくなったのか、龍の声がどこか濁って聞こえる。口の中に何か詰めて話しているような、そんな聞こえ方だった。


依然として僕は俯いたままで、彼らの表情は見えなかった。体が痺れ、心臓は暴れ、鼻は血で塞がり、痛みがじわじわと広がっていく。


その間にも龍たちは喚き続けた。


「僕ら全員、見てました!」


「こいつが入ってきて殴ったんです!」


「知らないやつです!」


「僕らはやり返しただけです!」


「本当です!」


「この学校の生徒でもないのに、なんで僕らに絡むんですか!」


言葉は支離滅裂で、校長先生は黙って聞いていたが、その指が机を小さく叩く音が聞こえた。


「……もういい。」


「ですから、校長先生――」


「黙りなさい!」


校長先生の怒声が飛んだ。


そして僕へ視線を移す。


「――藤村さん。君は何か言うことがあるかね。」


無機質な声だった。冷たく、硬く、恐ろしい。思わず身が縮こまる。校長先生の指は机を叩き続け、まるで秒を数えるようにテンポを速めていき――ついに爆ぜた。


「返事をしなさい!」


口を開き、閉じ、また開いたが、出てきたのは情けない声だけだった。


「お、僕は……ち、違……」


そのまま言葉が途切れた。


「いいかね、藤村さん。君が黙るのなら、彼らの言い分を真実として扱う。責任はすべて君が負うことになる。」


その一言で、全身が震えた。このままではまずい。分かっていた。ここで何か言わなければ終わりだ。顔と肋骨の痛みを頼りに、無理やり口を開いた。


「ち、違います。あいつらが先に……。」


拳を握り、校長先生を真正面から見据え、それ以上余計な言葉を漏らさないよう歯を食いしばった。


校長先生は眉をわずかに持ち上げた。その表情の皺の寄り方で、ようやく彼がどれほど怒っているか理解できた。逃げ出したい衝動を必死に抑えながら、続ける。


「はい。あいつらが先でした。今日、2-Aの教室に入ってきて……僕の大事な指輪を、勝手にポケットから取ったんです。」


数日前からの細かい嫌がらせについては言わなかった。証明も難しいし、肋骨の痛みで呼吸すら困難になっていたからだ。


「それを返してくれなくて、投げ合って遊んで……。それで、2-Bの下にある壁の隙間に落ちてしまって……。」


校長先生の顔に、わずかな驚きが浮かぶ。しかしすぐに消えた。


「――だから殴ったとでも言うのか。」


問い詰められ、言葉に詰まった。それでも、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。


「ぃ……いえ。でも……盗られる理由なんて……ありません。」


「僕は盗んでません!」


龍の白々しい抗弁が耳に刺さり、腹の底がまた熱くなる。


「盗んだだろ!」


「証拠はあるのかよ!」


校長先生がいなければ、間違いなく飛びかかっていた。


「お前のポケットにあったんだ!」


「はっ。言いがかりだろ。僕ら五人の証言に勝てるのかよ?」


数秒だけ迷ったあと、龍の取り巻きはうなずいた。あまりの白々しさに、思わず頭を振る。こんな人間、本当に存在するんだ。漫画や小説の中だけの話じゃないのか。現実にも、こういう腐った人間がいるのか。


「僕の証言だけだと思ってる? 誰にも見られてないと本気で言えるのか?」


校長室の窓を指差す。


「騒いでたんだぞ。誰かが覗いててもおかしくない。廊下には生徒がたくさんいた。誰もお前を見てないって、本気で思ってんのか? 指輪を持ってたところも、窓から投げたところも。」


龍が何か言い返そうとしたが、その目が大きく開かれた。自分の立場が思ったより危ういと気づいたらしい。


「で、でも……殴ったのはお前だ。お前が先に殴ったんだ。」


話題を変えようとしているのが丸わかりだった。それでも、僕は頷いた。今さら取り繕う気力はなかった。


「そうだ。だけど……あんなの、普通の反応だ。」


「普通だって?」


龍は乾いた笑いを漏らす。


「分かってないんだな。あれは僕にとって大事な……本当に大事な指輪なんだ!」


「だから殴ったのは自然なことだ!」


「盗んだことの方がよっぽど異常だろ!」


「頭おかしいんじゃねぇの!」


「泥棒が!」


「――二人とも黙れ!」


再び机が叩かれ、校長先生が立ち上がった。


「私に分かるのはな……君たち二人が、とんでもない愚か者だということだ。自分たちが今、どれほどのことをやらかしたか……! 法政学院にどれだけの迷惑をかけたか……! そして、この私に!」


校長先生は拳で自分の胸を強く叩いた。


「よりによって今日だぞ!」


机を指先で激しく突き始める。その爪先が机に穴をあけるかのように細かく叩きつけられる。


「今日は法政学院にとって、とても大事な日だったんだ。それを――」


僕を指差す。


「――君が台無しにしたんだ!」


「え……?」


思考が止まった。校長先生の言葉の意味を理解した瞬間、喉が砂を飲んだように乾いた。校長先生が本当に怒っている理由は、僕たちが喧嘩したからではない。学院の「特別な日」を乱したことが許せなかったのだ。


「もういい。保護者を呼ぶ。あとは彼らに任せる。」


「か、校長先生、それは――!」


その瞬間、胃がぎゅっと縮み上がった。


父さん。父さんに……連絡がいく――。


「……いやだ。」


手に汗が滲む。顔から血の気が引き、体中が痺れ始めた。


「……それだけは……勘弁して……。」


僕の呟きは、龍とその仲間の叫びに掻き消された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る