デュアル×クロス

餅麦あるご

Chapter.1完全版

Chapter.1

日本のとある某所。

湿気がまとわりつく裏路地に、二つの影が並ぶように立っていた。


一人は、黒縁の眼鏡をかけた青年。切れ長の瞳は路地の暗がりを射抜くように鋭く、手にはハンドガンの[FN Five-seveNFNファイブセブン]を下ろしている。年齢は十八。白シャツに黒のカーディガンという地味な装いが、かえって冷徹さを際立たせていた。


隣に立つ少女は対照的だった。鮮やかな金の髪を高く結い上げ、ぱっちりとしたつり目が夜の灯りにきらめく。白いシャツに大きなリボン、ピンクのスカート、そして厚底の黒いブーツ。華やかな見た目に似合わず、その手にもベージュとホワイトを基調とし、スライド部に赤いハートが塗装されたハンドガンの[S&W M&Pシールドスミス&ウェッソン M&Pシールド]を持つ。


2人は兄妹────しかし、ただの兄妹ではない。


どんな依頼でも成功させる、裏社会で名の知れた、とある組織のエース。


視線を交わした兄妹は、一切の音を立てずに、路地に存在する一つの扉の前に小走りで向かう。


兄は、ドアノブの鍵穴に何やら細長い金属の棒を差し込むと、金属の棒は瞬く間に形状が変化し鍵穴にフィットする形へとなる。


「行くぞ」


兄は妹への号令と共に扉を開錠し、そのまま中へと押し込み体勢を低くする。


突然の来訪者に、唖然とする男たちをよそに、妹は無邪気な笑顔を浮かべながら、誰も反応できないほどの速度で、手前の大男へと接近。


固く握られた拳が、顔面にめり込み、鈍い骨の軋む音と共に、大男の足が宙を浮く。


意識を失い崩れる大男に、妹は容赦なく弾丸を2発浴びせた。


未だ状況を掴めていない残る男たちとは対照的に、妹は再び別の男へと素早く接近し、そのままハイキックで背後のコンクリートに後頭部を叩きつける。


ようやく兄妹を敵と認識した男たちは急いで腰に携帯する銃を構えようとするも、兄の精密な射撃により、残る3人の男がほぼ同時に眉間に銃弾を撃ち込まれ、床へと崩れ落ちた。


薬莢が床を跳ねる硬質な音だけが、路地に乾いた余韻を残す。空気が静まり返り、血の匂いだけが重く立ちこめる。


「流石だね!おにぃ!」


死体の転がる血生臭い通路に合わない、明るく元気な声が響く。


妹は無邪気な笑顔のまま銃をくるりと回し、まるで遊びの延長のようにも見える。


「無駄口を叩いてないで、今は仕事に集中」


「はぁ〜い」


「僕は右の部屋を。お前は左の部屋を」


「ガッテン承知!」


元気よく敬礼をしながら返事をした妹はへと踏み込む。


左右の区別もつかない妹に、兄は呆れたようにため息を漏らした。


直後、右の部屋からは男たちの情けのない悲鳴声が鳴り響く。


仕方なく、兄は左の部屋の扉を蹴破り、室内を確認しようとするも、数発の銃弾が兄目掛けて発射された。


だが表情ひとつ変えず、壁へと身を寄せて、難なく銃弾を避ける。銃弾は壁を抉り、埃が舞い上がる。


以後も鳴り止まない銃声。


兄は鳴り響く三種類の銃声音を正確に聞き分け、正確に銃の種類を割り出す。


それぞれの装填数を思い浮かべ、やがて訪れる弾切れの瞬間を、静かに待った。


「.....今だな」


踏み込むと同時に手前の男の眉間へ一発。弾丸が正確に命中し、男の体が雑に崩れ落ちる。


続けざまに、残る2人が隠れる場所へ弾をばら撒きながら前進する。


しかし、当然ながら弾数は無限ではない。やがて銃声は途切れ、弾切れの瞬間が訪れる。


そのタイミングで敵の1人がチャンスとばかりに出て来たところへ、反対の手に忍ばせていた[SIG P365シグ P365]という小さなハンドガンで見事に心臓を撃ち抜く。


残す1人は、中々顔を出さずに銃を乱射してくるため、兄は仕方なく華麗に銃弾を遮蔽物を使い避けつつ、SIG P365と入れ替えるように、腰の手榴弾を手に取る。


そして、ピンも抜かずに、敵の方へと転がす手榴弾は床を小さく蹴るように男の方へと真っ直ぐに転がる。


手榴弾が見えたことで、慌てて飛び出してきた男の、最初に見えた右太腿を撃ち、倒れ込み、無防備な頭部が顕になる。


「くそがっ────」


兄は容赦なく、男のこめかみへと弾丸を叩き込んだ。


室内に静寂が訪れ、硝煙の匂いと、血の鉄臭さだけが空気に残った。


「.....雑魚ばかりだな」


独り言を呟き、FN Five-seveNの弾倉を変えながら、兄は部屋を後にしようとした。


そのときだ。


兄が部屋を出ようとドアノブに触れた瞬間、勢いよく蹴破られる。


バランスを崩すが、男が乱射する銃弾を紙一重で避け、机の裏へと滑り込む。


扉を蹴破った男は、それでも休むことなく弾をばら撒いた。


壁が抉れ、破片が雨のように降り注ぐ。

机の側面にも弾丸が食い込み、金属音が耳に響いた。


「……下手な乱射だな」


兄は息も乱さず、静かに状況を整理する。


乱射のクセ。

弾倉の容量。

腕の振れ方。

男の体格と、反動の受け方。


(45口径。弾数の残り……あと六)


机の陰からわずかに姿勢を低くし、

男の足元が見える位置へ体をずらす。


乱射、と言っても一定のリズムはある。

長年の訓練で、兄の脳はそれを“音”として捉えていた。


(あと1発......今だ)


弾切れを予期し、立ち上がると男に迷いなく銃口を向ける。


だが、兄が撃つよりも前に、突如として現れた妹による横からの蹴りの一撃が、男の体をコンクリートへと叩きつけられる。


「何やってるのおにぃ?早く行くよ!」


「......あぁ」


こうして合流した2人は、そのまま中央の部屋へと向う。


扉を開けると同時に、数発の銃弾が兄妹に向け発射されるが、素人同然の発砲であり2人に当たる事なく背後の壁に穴を開けるに止まった。


「な、なんなんだてめぇらは!」


声を荒げるのは、中年太りをした禿頭の40代程度の男性。


「金か?助けてくれるなら、いくらでも出すぞ!」


中年の男が声を荒げる。


兄は銃口を向けたまま、淡々と口を開いた。


「テンプレだな。まぁ死ぬ前に答えてやろう。僕たちは警察組織に雇われてる。金を代価に武力を提供する.....言わば傭兵とい────」


パンッ!

銃声が兄の発言を遮る。


発砲したのは妹であり、その手に握るハンドガンからは硝煙が漂う。


血が床に広がり、2人の靴底を濡らした。


「おにぃ、話し長い。それよりお腹すいたよぉ〜」


「毎回言っているだろう。撃つ前に一言声をかけろと。はぁ.....何が食べたい?」


「やった!えーとね。パスタとハンバーグ」


満面の笑みを浮かべる妹を前に、兄の肩の力が少しだけ抜ける。


「わかった。とりあえず戻りながら場所を決めよう」


兄は上機嫌な妹に対して、一瞬だけ笑顔を見せるが、すぐに元の無表情じみた顔に戻った。


兄妹が外へと出ると、そこには30代半ばほどの窶れた顔立ちをした黒スーツの男が、深く頭を下げている。


背後には、いかにも高級そうな黒塗りの車が待機している。


「お疲れ様です。高澤千裕たかざわちひろ様。そして茉央まお様」


「おつ〜」

「あぁ、お疲れ」


丁寧な口調の男に対して、感情のこもっていない声色で2人は言葉を返した。


だが千裕と茉央の態度に気にする様子もなく、男は言葉を続ける。


「はい。既に清掃班は呼んであるのでご安心を。指定の場所までお送り致しますので、お乗りください」


最初に2人が後部座席に乗り、男が遅れて乗り込み発車する。


「どちらまでお送り致しましょうか?」


「近くのファミレスまで」


「私も同席しても構いませんか?」


「かまわ────」

「────えーやだ」


「....私の奢りで構いません。次なるお仕事の話もしたいので」


「ダメ。折角おにぃと2人で....」


ダダをこねる妹に、容赦のない千裕の手刀が振り下ろされる。


「.....痛っ!」


反射で声が出る茉央。


だが、石頭の茉央に手刀を叩き込んだ結果、ダメージを負ったのは千裕の手の方だった。骨に響いた痛みに一瞬だけ眉が動く。


小さく震える手を、何事もなかったかのようにジャケットの裾で隠し、平然を装いながら、千裕は男の同席を許可する。


「構わない。向かってくれ」


再び口を開こうとする妹だが、千裕の無言の圧力に負け、わざとらしく両手で口を覆ってしばらくは無言でいた。ぷくっと頬を膨らませ、背もたれに体ごと預けて反抗の姿勢だけは崩さない。


しかし兄妹2人がいい。そう思い口を開くも、千裕は窓の外を眺めながらも、それを察して、茉央の口に手を強く押し当てる。


「むーっ!むむっー!」


どれだけ声を出そうと口から手が離れず、嫌がらせとして、舌を出し、千裕の手をベロベロと舐める反撃をする。車内の静寂に、ぺちょぺちょと湿った奇妙な音が響いた。


だが、それでも不動の手に、茉央は降参を選ぶほかなかった。


むっむむむむわかったからむむむむむ3人でいいから!」


千裕は静かに、背もたれで手を拭いていたが、茉央はそれに気がつくことはなく、スーツ男だけが、微妙に苦笑していた。


こうして赤い看板のファミレスへと辿り着き、入店する3人。


千裕とスーツ男はドリンクバーのみ。

茉央はパスタとハンバーグ.....ではなく、結局大きなパフェを四種類全て注文した。


「それで?珍しいな。間髪入れずに次の仕事の話って」


そう軽い口調で話を切り出す千裕の仕草は抜かりなく、ポケットから徐に、手のひらサイズの黒い筒を取り出し机の中心に置いた。


筒の正体は吸音機で、有効範囲は半径3m。

その内側なら普通に会話できるが、範囲外には声が届かない。

外部からの盗聴を完全に遮断できるハイテクな装置だ。


「おっしゃる通り。本来なら仕事のパフォーマンス低下を防ぐために、任務後は最低でも一週間以上は休暇となります」


「人手不足的な?」


すでに2個目を完食している茉央は、スプーンを男に向けて問う。その口元にはホイップが付いている。


「まさか。組織が人手不足などあり得ません」


「だよな」


当たり前だという顔で千裕が頷く。


彼らが所属するのは、日本の裏社会に広く深く根を張る傭兵組織[アコナイト]


拉致、暗殺、護衛から犯罪への加担とあらゆる仕事を請け負う。ただし、唯一の条件は[仕事に見合った対価]を支払えるかどうか。それさえ満たせれば、相手が犯罪者であろうと、警察組織であろうと、一般人であろうと、誰の手足ともなり得る傭兵を貸す。


ゆえに、彼らは正義にも悪にも属さない。どちらに肩入れするかは、契約書に書かれた金額次第。


組織は三千を超える数の構成員を抱える大規模なもの。ただし高澤兄妹のように傭兵として実際に依頼をこなす者は、全体の5%にも満たない精鋭のみ。

残る95%以上の構成員たちは表社会に溶け込みつつ、傭兵たちが円滑に仕事を遂行するための支援や裏方として機能している。


普段は会社員、医師、教師、サラリーマン──しかし必要な時には、裏社会のために動く“別の顔”を持っている。


【監督班】傭兵の送迎を担当しつつ、任務の指示や進行管理を行う。


【武装班】武器や装備品の開発や調達・管理・傭兵の受け渡しを担当。


【清掃班】死体処理や建築物の修繕など、仕事の証拠隠滅を専門とする。


【治療班】負傷した傭兵を現場から回収、治療を行う。


【情報班】傭兵が必要とする情報を収集・分析を即座に行う。


他にも【粛清班】や【補助班】など、いくつか班はあるが、現場で動く主要な班はこんなところ。


彼らの多くは、一般人として社会に溶け込みながらも、必要とあらば即座に裏の顔を見せる。


それこそが、組織が日本の裏社会で盤石な地位を築いている理由の一つだった。


あらゆる状況にも瞬時に対応可能。故に人手不足などあり得ない。


「はい。少し面倒な仕事でして。まず依頼主は政府関係者とのことです」


男は一層真剣な顔で2人を見つめる。


「やめよ?もうめんどくさいよぉ〜」


ため息混じりに、茉央は器用にスプーンを手で回している。


「茉央。黙ってパフェ食べてろ」


「はぁ〜い。あ、すいませーん!パフェおかわり!」


茉央が吸音機の電源を切ると、嬉しそうに大声でパフェを注文した。


「.....悪いな。で、それで?」


千裕はわざとらしく茉央を睨みつけ、ため息を吐きながら吸音機の電源を入れ直して、男に続きを促した。


「依頼内容は、霧島グループの代表取締役社長の暗殺と、とあるデータの奪取です」


「なにそれ。知ってる?おにぃ」


「当たり前だ。霧島グループは、日本国内に広く展開する大手総合企業。不動産、金融、IT、エネルギー分野とかも幅広く手掛ける巨大コングロマリットだよ」


「その.....の!偉い人を殺せばいいってことね!」


茉央らしい言い間違いに千裕は軽く呆れた。


「そうじゃな.....いや.....そうだ」


「ち、千裕様のおっしゃる通りですが.....その裏では違法取引や、競合企業への悪質な妨害、一部の政界との癒着と影の部分があります」


「ほう.....」


茉央を話も聞かずにパフェに食らいつく中、千裕は興味深そうに話を聞いている。


「簡潔に言えば、政敵を蹴落とすためにも政界との癒着をリークできる情報を記録が欲しいというわけですね。信頼のある2人をと.....ボスからの勅命だそうです」


そして、スーツの男は一通りの依頼内容の説明を終える。


空になったパフェの容器を眺めながら、茉央は考える。


(────めんどくさい、けど)


「ねぇ、おにぃ。やる?」


「任務は絶対だ。それに、ボスからの勅命だぞ.....やるしかないだろ」


「はぁ〜わかったよぉ。ね!じゃあ次の仕事終わったら、一緒に[ケーキパラダイス]ってところ行ってみたい!連れてってよ!」


「わかった。約束しよう」


茉央は満面の笑みを浮かべ、椅子の上で小さく弾むように揺れた。


「やったぁっ!」


そんな会話を交わしつつ、兄妹は次の仕事に向け、準備を始めるのだった。


***


茉央と監督班の男と別れた千裕が向かったのは、繁華街の雑居ビルに入った一見普通のネットカフェ。


店頭には[自由で快適!]と書かれた看板が掛かっている。


千裕は構わず店中へと入る。


店内は薄暗く、壁際にはドリンクバーと漫画棚が並ぶ。


受付のカウンターには、フード付きのパーカーを被った店員が無気力に座っている。


「いらっしゃいませー。会員証はありますかー?」


「これで」


千裕が無造作に会員カードと共に木蓮が刻印された純金製のペンダントをカウンターへと置く。


店員はチラリとそれを確認すると、一瞬驚いた表情を浮かべ千裕の顔を見る。


「.....な、何時間のご利用ですか!」


千裕のカードを見た途端、無機質だった声色が一変した。


突然、背筋を伸ばし、聞き取りやすくハキハキと喋り始める店員。その無表情だった瞳に焦りと敬意が混ざる。


しかし千裕にとってはごく当たり前の風景。

とくに気にする様子は見せない。


「んー30で」


「かしこまりました。ではD-08をご利用ください。ごゆっくりどうぞ」


「ご苦労。ありがとう」


鍵を受け取った千裕は、店内の奥へ足を向ける。


通路にはD-01から順に個室が並んでいるが、D-08だけは、通路の突き当たり。非常口の横。

他の部屋からも死角になる、店内でも一番目立たない場所だ。


足音を消すように歩き、端の端にある扉の前で止まる。[D-08]と描かれたプレートを確認し、静かに扉を開けた。


そして個室に入ると、すぐに扉の鍵をかける。


一見は普通と変わらないネットカフェの個室。

黒のマットが床に敷き詰められ、机の上にはやけに明るい画面のモニターがひとつ。


だが、千裕はモニターには目もくれず、中央のマットレスに手をかける。


そのままマットレスを外し、脇へ寄せると、床板の不自然な枠組みが顕になる。


屈み込み、千裕はその枠組みを数回、指でノックする。


コン・コン・コン───


すると機械音と共に床の枠組みが左右にスライドし、地下へと続く階段が現れた。


「相変わらず、無駄に凝った作りだな。でもネカフェの個室が入り口ってのは面白い」


千裕は独り言を呟きながら、階段を躊躇なく降りると、薄暗い廊下が続いていた。


コンクリートむき出しの壁、一定間隔で並ぶLEDライト。まるで地下壕のようだ。


天井には無機質な監視カメラが並び、通過に合わせてレンズがゆっくりと回る。足元のセンサーが作動し、短い認証音が鳴った。


この地下は、一般客はもちろん、店員扮した組織の構成員ですら立ち入らない区域だ。


奥の方からは電子音とタイピング音が響いている。キーを叩く速度が異様に速く、まるで複数人が同時に作業しているかのようだ。


廊下を少し歩くと、無造作に貼られたモニターが壁を覆う部屋へと辿り着く。


床には延びたケーブルと空のペットボトル、食べかけの菓子袋。


作業机の周囲は複数のキーボードと外付けドライブで埋まっており、生活感と業務用機材が混ざったカオスな空間になっている。


そこにはジャージ姿に丸メガネを掛けた垂れ目の20代前半程度の高身長でモデル体型の女性。

だがすっぴんの顔は疲れ切っており、髪も適当にまとめられてる。ヘッドホンを首に引っ掛け、肩に羽織った毛布は完全に寝起きの姿だ。


「誰かと思ったら、千裕くんか」


「久しぶりだな立川瀬奈たちかわせな


千裕に気がついた瀬奈は、パソコンから目を離す事なく、片手で器用にポテチを開けて頬張り、缶ビールを一気に流し込む。


「ふぅ.....数いる情報班の中で。私みたいな嫌われ者のところなんてよく来るよね」


瀬奈は自嘲気味に笑いながら、更にビールをあおった。情報班の中で煙たがられる彼女を、千裕は何度も頼ってきた。


「優秀すぎてひがまれてるだけだろう。違うか?」


「.....否定はしないよ。で?何の情報が欲しいのさ」


「霧島グループの代表取締役社長の情報が欲しい」


その言葉に、瀬奈の手がピタリと止まる。


「おぉ。これまた随分と大物を」


「あぁ。しかもボス直々の使命でな」


その言葉に、ようやくこちらを向いた瀬奈の表情は真剣そのものだった。


「随分出世したのね」


「あぁ、幹部にまで昇進した。知ってるだろ?お陰で組織の人間の大半が僕に敬語だ。未だにタメ口を聞いてくれる存在の方が珍しいよ」


「あら幹部様には、敬語の方がいいかしら?」


「やめてくれ。堅苦しいのは苦手なんだ」


千裕は短く吐き捨て、視線を落とす。


「知ってる。ま.....無駄話もそこそこに始めちゃうね」


そんな千裕をよそに、瀬奈は軽快にキーボードを叩き始めた。十本の指が踊るように動き、モニターには次々と複数のウィンドウが開かれ、検索エンジン、データベース、監視カメラの映像などの画面が光の洪水のような速度で切り替わる。


そして、不要なデータは自動で排除され、必要な情報だけが画面に残っていく。


処理に追いつかないファイルは即座に切り捨てられ、残った数本の映像に同じ男の姿が映った。


「んー。霧島グループの代表取締役社長、霧島宗介きりしまそうすけ。年齢は53歳。表向きは知っての通りだと思うけど.....裏の顔もある」


「ざっくりとした話は監督班の田中から聞いてる」


瀬奈はポテチの粉まみれになった指をティッシュで拭いながら、続けた。


「どこまで聞いてるか知らないけど、改めて説明させてもらうね。裏社会では《帝王》の異名を持ち、政治家とも癒着。賄賂、詐欺、土地の不正取引、資金洗浄...あぁ、あと最近は人身売買にまで手を出してるっぽいよ」


「随分と真っ黒な社長さんだな」


千裕は腕を組みながら、モニターの一つに映る霧島宗介の画像を見つめる。


スーツ姿の中年男、精悍な顔付きだが、どこか冷徹な雰囲気を漂わせていた。


「コイツに接触を図る事すら困難だよ」


千裕はホルスターの銃を軽く撫でる。


「いざとなれば強行する」


「それも...難しいかも」


「なぜだ?」


「厄介なことに、私たちみたいな組織の存在も認知しているっぽいんだよね。最近は武器関連の取引が増えてる。それに裏の人材も大幅に増員してる」


「素人がいくらいようと、僕たちには関係ない」


「だと良いけど.....。あと、最近は海外マフィアとの繋がりを強めてるみたい。先月末にも中国系組織と密会してたらしい」


「そっちの詳細は?」


「あるにはあるけど...んー、組織の中でも最上位の実力と謳われる、あんたでもヤバいかもよ?」


瀬奈は口角を上げながら、千裕を見る。


「僕が対処できるかどうかは、情報を見てから考えるよ」


言葉こそ淡々としているが、千裕の視線は一瞬だけ鋭くなる。


「はいはい。じゃあ続きね」


瀬奈は椅子を軋ませながら背伸びをし、再度キーボードを叩く。


「次に動きがあるのは三日後。表向きは投資家向けのパーティーだけど.....」


千裕は静かに彼女の言葉を待った。


「その裏で、闇のオークションが開かれる。しかも武器や麻薬だけじゃなくて、人が競りにかけられる」


「なるほど。霧島本人が仕切るのか?」


「会場には姿を出すとは思うけど、オークション自体の管理は、霧島の側近の「三嶋大吾みしまだいご」って奴がやるっぽいよ。詳細は────」

「────アメリカ国籍を取得している元米兵。中東に派遣され数々の勲章を授与。だが敵兵への過度な暴力行為や現地民の殺害などの問題行為が発覚し、軍法会議にかけられ数年の服役生活を過ごした後に、日本へと帰国するも表社会に馴染めず、殺しを生業とする組織へと加入っといった.....感じだっけ?」


「よく知ってるね。何か因縁でもあるの?」


「ない。ただ国内にいる、僕たちに害をなせるほどの危険人物たちは概ね把握しているだけだ」


「随分とまあ、立派な心がけね」


瀬奈は皮肉に笑いながらも、カタカタとキーボードを叩き続けている。


モニターには経歴、指紋データ、前科記録が並び、どれも真っ黒に塗りつぶされていた。


映し出された三嶋大吾の画像を眺めながら、千裕は無表情なまま続きを促す。


「で、そのオークション会場の場所は?」


「えっとね.....東京湾の沖に浮かぶ、廃棄予定のコンテナヤードだってさ。普通なら立ち入り禁止区域だけど、莫大な金に物を言わせて買い取ったっぽい。私もそんな金が欲しいものだよ」


「....だな。とりあえずデータを僕のところに送ってくれ」


千裕は淡々と呟く。


だが、瀬奈は何やら不満を滲ませた顔を浮かべる。


「だな。ってねぇ.....あんたは相当貰ってるでしょ!」


「安心しろ。給金も追加報酬も最低限しか貰ってない。大半は、組織運営の孤児院に寄付してる」


「あら.....私に寄付してくれてもいいのよ?」


「無駄口を叩いている暇があるなら、さっさと送ってくれないか?」


ポケットから小型のデバイスを取り出し、指でカチカチと叩く。


「あはは.....ごめん、ごめん.....はーい、っと」


瀬奈はデータを転送しながら、ちらりと千裕を見た。


「なんだ?」


「いや別に。茉央ちゃんは元気?」


「相変わらず元気だよ。でも友達が少ないのが気になる。良ければ今度遊んでやってくれ」


「私が!?」


「そう瀬奈がだ。お前も少しは陽の光を浴びた方が良い。健康は大切だ。体が資本だぞ」


千裕の言葉に、瀬奈はばつが悪そうに目線を下げた。


「.....か、考えとく。とりあえずデータは送り終わったよ。遊ばせたいならまず死なないでね」


「感謝する。そして善処しよう」


千裕はデータが無事にデバイスに届いたことを確認し、静かに部屋を後にする。


瀬奈は彼の背中に向かって、聞こえるか聞こえないかの声で「無茶すんなよ」とだけ呟いた。


***


同時刻、ファミレスにて。


「決めた。私やるよ田口さん!」


「田中です。それで何をですか、茉央さん?」


空になったパフェの器が10個目になった時、茉央は突然、スプーン片手に立ち上がり声高らかに宣言する。


「おにぃは、私に任せたって言ったじゃん?」


「はい、お会計をという意味ですね。現に、千裕さんが万札を机の上に置いていかれましたし」


「きっとそれって...コングマグロリゾットのボスは私がやれってことだと思うの」


「違います。お兄様が任せたのは、この場の会計です」


「田山さん!」

「田中です」


「行こう!」


スプーンを握ったまま、茉央はまるで冒険に出る子供のように店の出口へ走り出す。


「は、はい?」


田中は驚きのあまり、机に置かれた万札を見つめながら、茉央の無邪気な顔に少し圧倒されていたが、彼女の無駄な決意の固さに、末端の田中は従わざるを得なかった。


「ですが....当てはあるんですか?」


「まぁまぁ、そんなの気にしない!」


雑な返事と共に、パフェ用のスプーンをポケットに突き刺したまま、茉央は田中の腕を無理やり引っ張る。


田中の運転で、2人が向かった先は、新宿の雑多な街並み。


普段は浮いている茉央のファッションも、この場では逆に馴染んで見える。


「茉央さん、こんなところに一体何のようなんですか?」


「あれ、田畑さんは知らないんだっけ?ここにも組織の人いるんだよ」


「田中です。そうなのですね。茉央さんのような幹部の方々は、我々補助員たちの事を好きに使えますが、私たちのような末端は、与えられた仕事をこなすだけ。他の役割を持つ補助員との接触自体とても少ないので」


「ふーん...あ、いたいた。おーい!」


茉央が駆け寄って行ったのは、駅のガード下にダンボールを広げる汚らしい浮浪者の男。


見た目は30代前半と比較的若そうな顔ではあるが、髪や髭は伸びっぱなしであり、拾ったのか、カラフルな服を着込んでいる。


「紹介するね!この人は武装班のみっちゃん!」


男は伸びきった髪をかき上げ、虚ろな目で二人を見上げた。


「どうも...松村弘まつむらひろしと申します...」


その口元は乾いているのに、不思議と声ははっきりしている。


「みっちゃん要素はどこにあるんですか。あ、こちらこそ。監督班の田中と申します」


「茉央様が来たという事は....要件は分かってます...ついてきてください...」


弘は足を引きずるように歩くが、足取りは迷いなく公園の奥地へ向かっていく。


トボトボと歩く弘に案内され、2人が辿り着いとは、新宿のとある大きな公園。


更にその奥の茂みを突き進むと、ブルーシートと木材、段ボールを積み上げた粗末な小屋が林立し、弘と似たような姿の住民たちが大勢。


彼らは無関心を装いながらも、茉央と田中の動きをしっかりと目で追っている。


茂みの奥にはまるで秘密の集落のような空間が広がっていた。


「こちらです...」


案内されたのは中央にある一際大きなブルーシートの家。


「お邪魔しまぁーす!」


「お邪魔します...」


(茉央さんは、よくこんな場所に躊躇なく入れますよね)


田中はそんな事を考えながらも、茉央が入ってしまった以上、入らざるを得なかった。


茉央は特に気にする様子も見せずに、途中で立ち寄ったコンビニのお菓子を食べているが、田中は驚く。


外見の汚らしさから想像ができないほどに、内装は綺麗であり壁にはずらりとあらゆる武器が。拳銃、短剣、ライフル、果ては軍用の機材まで、整然と掛けられ、工具の並びも寸分狂いがない。まるで小さな武器博物館だった。


「.....茉央様。本日はどのような商品をお探しで...?」


「んーとね」


茉央は、指先で唇の内側をこちょこちょと弄り、無邪気な癖が出ている。だが悩む素振りを見せながらも、迷う事なく中心にある椅子へと向かう。


中にあらかじめ待機していた、浮浪者の格好をした仲間らしき1人が慌てて椅子を引き、茉央を座らせた。


いつの間にか、茉央の表情は、先ほどまでの明るく笑顔の表情から、真剣なものへと変わっていた。田中はその変化を見逃さなかった。


「相手はおっきな会社なの。あんまり好きじゃないけど武器も積極的に使うかも。だからまずは22ロングライフル弾をマガジン5つ分欲しいな」


「かしこまりました...」


護衛の一人がメモを取る仕草を見せ、別の者が倉庫へ歩き出す。


「他は派手なやつが一つ欲しい。なんかある?」


「丁度良いのがございます...」


そういうと、弘はアイコンタクトで護衛たちに数種類の武器を持って来させる。


「まずはこちら[インフィジャール弾]です。試作品ではありますが、茉央様ならと思いまして」


「ううん。いらない」


「ではこちら...[RPG-7]で────」

「────他は?」


「...はい。ではこちらは如何でしょうか...?[M134]通称ミニガンと呼ばれる武器でございます」


「.....。いいね!それを付けといて!」


「かしこまりました。他に必要なものはございますか?」


茉央は少しだけ考える素振りを見せながら、椅子の背もたれに身を預けた。


「そうだなぁ....多分おにぃの事だから潜入とか難しいことすると思うの!そういう状況でも使えそうなやつが欲しいかな」


弘は少し考え、仲間に指令を出す。

すると、テーブルの上にいくつかのガジェットが並べられた。


「順に説明いたします...」


弘は、まず木箱を手に持つ。


「こちらは千裕様もご愛用されています[グレネード]三種です」


説明しながら蓋を外すと、そこには筒状の赤青黄の色に分かれた三つの小型のグレネードが木箱に詰められていた。


「赤は吸い込んだ者を眠らせるガスを撒きます。青は周囲の火や黒煙を即座に消滅させます。黄は赤外線すら遮断する濃い煙幕を展開します。どれも小型ながらその有効範囲は広く、特に屋内での任務の際に重宝されています」


箱を机の端に置くと、次は銀色の渋いデザインの腕時計を手に取る。


「続きましてはこちらです。組織全体に普及させよと上との指令から研究班により開発されました多機能な腕時計でして、まだ試作品とのことですがよろしければ.....」


「たきのーって?」


「はい。左のダイヤルで毒の量を調節可能な毒針、最大15mの極細の金属製ワイヤー、右のダイヤルを回す事で展開する直径40cm程度の防弾シールド、高性能なGPSをそれぞれ搭載しております」


弘が軽くダイヤルを回すと、極細のワイヤーがカチリと音を立てて飛び出し、近くの棚に突き刺さった。田中は思わず身を引くが、他の人たちは慣れきった顔で微動だにしない。


「おぉ.....」


田中はその性能を聞き、思わず感嘆の声を漏らす。


対する茉央は表情一つ変えずに次を促す。


「最後はこちらです」


弘の手には、組織のエンブレムである、トリカブトの花を咥える鳥が彫られた、ペンダント握られていた。


「現代では、誰がどこでどんな写真や動画を撮るか分かりません。組織が運営する施設には対策が施されていますが、組織に所属する人間には対策がない...。よってこのペンダントです。起動しておく事で、顔を撮られたとしても特殊な妨害電波により、装着者を中心に、画面が激しく乱れる仕組みです...」


弘はそう説明しながら、自分の首元の同じペンダントをそっと触った。


「一度私をカメラに収めてみてください」


「えーやだ」


茉央は可愛いもの以外はカメラに収めたくないらしい。弘は少しだけしょんぼりする。


それを察してか、田中が慌てて2人の間に入り、携帯のカメラを構え、パシャリと一枚撮る。


「……おぉ!すご!」


田中のスマホの画面内では、弘の顔だけが黒いモザイクのように潰れて見えなくなる。背景も、近くにいた茉央の姿も鮮明なのに、弘の部分だけずっとブレ続けていた。


「すごっ。マジで映らないじゃん…!」


田中が驚いてスマホを傾けても、拡大しても、モザイクは一切消えない。


「いかがでしょうか?」


「うん!全部貰うよ。後ナイフも何本か付けといて」


「茉央さん。お金は...大丈夫そうですか?」


「もちろんだよ!」


「それなら良いのですが」


田中は茉央のことだからと少し心配そうな様子で見つめるが、当人が田中の心配を感じる事はなかった。


「よし、買い物は終了だね」


茉央は満足気に頷く。


そんな茉央を他所に、弘は淡々と商品をこの場で渡せるように部下に梱包を指示しながら、電卓を叩いている。


「では...合計はこちらになります」


電卓を見た茉央と田中。


茉央の表情はまるで変わらなかったが、田中はその桁に顔が青ざめている。


「うん。じゃこのカードで」


茉央がポーチから取り出したのは、黒光りをするクレジットカード。


「それが噂に聞く、選ばれし者だけが組織から支給されるカードですね」


「うん。田辺さんは持ってないの?」


「田中です。はい、茉央さんのような立場にいないので当然です」


「ふーん、可哀想だね」


「その分給料は、企業で勤めていた時代よりも圧倒的に稼げているので気にしておりません」


「ではお預かり致します...」


弘は深々と頭を下げながら両手で受け取り、機械に通す。


そして鳴り響くエラー音。


「あれぇ.....?」


「.....ま、茉央様。こちらのカードは上限額に到達しているようですので────」

「────あ!この間ハイブラの服とか買い漁ったの忘れてた!おにぃにツケといて」


「茉央様の兄であられる千裕様が、後日お支払いに来られるのですね...」


「うん、そう!」


弘は静かに息を付く。


「本来であればお断りするのですが...千裕様の方にも日頃お世話になっていますし、今回は特別ということで」


「千裕さんに怒られますよ、絶対に」


「その時は、その時に、謝ればいいさ!」


田中は思わずため息をついた。


兄に怒られる未来が明白なのに、茉央には一切の危機感が無い。むしろ、ツケが効いたことに満足そうですらある。


弘は仲間に合図を出し、手分けして茉央が後払いで購入した品物たちを次々と外に停めてある田中の車の中へと運び入れた。


ガジェットが詰まったケース、弾薬、ミニガンにその専用の補助パーツ。重量もそれなりにあるはずだが、その速度と丁寧さは異様なほどに洗練されていた。


荷物が積み終わると、茉央と田中が車に乗り込み、その場を後にする。


茉央はご機嫌だが、田中は兄・千裕に報告すべきか悩み、胃を痛めていた。


「ほ、本当に本人の許可なく、千裕さんのツケで良かったのですか?」


「大丈夫だよ!おにぃは優しいから怒られないよ!」


丁度そのタイミングだった。田中に見知らぬ番号から一通の着信が入る。


「もしもし.....」


恐る恐る電話に出る田中。


『僕だけど』


その声はまさしく千裕のもの。

田中は瞬間的に顔が青ざめた。


「は、はい!千裕さん!」


『...声デカい。今って茉央と一緒か?』


「はい。一緒ですが...」


『茉央を東京都の第四基地に連れて来い。話があると伝えとけ』


「はい.....」


それだけ言うと千裕は電話を切った。


「おにぃなんだって?」


「話があると...」


「あ....終わった」


都内某所のコンビニ『フレンドマート』────通称『第四基地』見た目は普通のコンビニだが、地下には組織が保有する巨大な施設が広がっているのだ。


千裕のご機嫌取りのために、2人は地上のコンビニで大量のお菓子やカップ麺を購入の後、従業員入口の先にあるエレベーターで、千裕の元へと向かった。


「なんで呼んだか分かってるか?」


千裕の座るデスクには、2人が購入したお菓子が乱雑に置かれており、オフィスチェアの上から、正座する茉央と田中を見下ろす。


「えっと.....」


(田中!お前が言えっ!)

アイコンタクト&肘でつつく茉央。


(無理です無理です無理です!)

全力で首を横にふる田中。

肩が小刻みに震え、汗が額ににじむ。


田中に任せるのは無理だと、意を決した茉央は、気まずそうに笑い、そして額を地面に打ち付けた。


「あ、あ.....ごめんなさい!おにぃの後払いで武器を買っちゃ────」

「────ターゲットの詳細が分かったから、伝え.....あ?」


千裕の声が途中で途切れ、空気が一瞬凍る。茉央の笑顔が固まり、田中の顔から血の気が引いていく。


「.....」

「.....」

「.....」


しばらくの沈黙。


そして、千裕は軽く眼鏡を押し上げると、静かに口を開いた。


「.....いくら使った」


茉央は頬に指を押し当て、小さく舌を出し、あざとい表情を浮かべる。


「えっと.....軽く外車が買えるくらいっ?」


茉央の動作に、より一層怒りを増す千裕の表情を読み取り、田中は正座のまま、更に縮こまる。


チッ。と舌打ちをした上で、千裕の視線は田中へと移る。


田中は全身をブルブルと震わせながら、スマホを取り出し、計算機の画面を開いてから、千裕へと差し出す。


「田中」


「はいっ」


「はぁ...。お前の立場だ。上司の茉央に従っただけだろうから許す。だが茉央」


「ひゃい!!」


「お前は別だ。とりあえず買った物は使えるから立て替えてやる。だが後で請求するからな」


「えぇ〜!おにぃのケチ!」


ドンッ!


千裕は表情を変えないまま、拳をデスクに振り下ろす。


大きな物音に茉央と田中はもちろん、その場にいる他の構成員たちも驚いていた。モニター前で作業していた者たちですら、手を止めて振り返るほどだった。


普段冷静な千裕が、デスクを鳴らすような真似をすることなど滅多にない。


周囲の空気が一瞬で凍り付く。

室内の空調音だけが妙に大きく聞こえる。


「...失礼」


その場にいた者たち全員に届くよう、低く短い声で詫びを入れる。


直後、眼鏡の奥の瞳がギロッと光り、茉央を鋭く射抜いた。


「次はないからな」


「は.....はい」


普段の茉央なら冗談を返すところだが、今回ばかりは小さく肩をすくめて縮こまった。


「よし。切り替えていこう」


そう言って、デスクのモニターを操作しターゲットの情報を映し出した。


映し出されたのは、霧島宗介についての写真と長い経歴のリスト。

霧島の写真は公的な笑顔のものと、裏で撮られたと思しき冷たい横顔の二枚が並んでいた。


「田中。許すとは言ったが罰は与える」


「えっ...いや、はい。なんでしょうか」


「本来であれば前回の任務が終了した段階でお前の仕事は終わってる。だがその後も茉央と一緒に楽しく遊んでいたみたいだから...サービス残業をしてもらうぞ」


「やり.....ます」


「よろしい。さて茉央」


千裕はモニターを指差す。


茉央は、千裕のためにと買ったお菓子を食べながら話を聞く。


「今回は田中からも説明があった通り、この霧島宗介の暗殺。および闇に塗れたこの企業データを盗み出し、バックアップ等は全て破壊だ。データについては情報班の立川瀬奈に協力してもらう」


その後も千裕は、霧島グループの企業の詳細や、裏で行なっていた悪行についてを説明を行い、そしてオークションが開かれる事。そこで任務を決行すると続ける。


「そして最後。これが一番重要だが、霧島は裏社会で多大な影響がある人物だ。彼が死ぬ事をよく思わない組織も大勢いる。つまり.....」


「つまり.....このおっさんをおにぃより先にやったら、私への請求はチャラにしてくれるって事だよね」


「.....まるで違う。というかならないぞ」


「えぇ〜」


「お前は本当に反省を知らないな。まぁ良い。そこまでやる気を見せてくれるのであれば、霧島暗殺はお前1人に任せる」


「あーうそ!うそです!」


何やら、千裕はモニターを操作している。


「もう遅い。『茉央単独任務』って作戦データを組織のシステムに送ったから」


「え、ちょ、おにぃ!?それって取り消しできるやつ!?」


「んー?どうだったか。まぁ、やる気を出したお前に相応しい任務という事で、上も納得するだろう」


「いやいやいや!そもそも、ノリで言っただけだし!」


「今更無理だ」


「あー!助けて田中ぁ!」


「わ、私に言われても.....!」


田中は目を泳がせながらも、千裕の視線を感じてピタリと動きを止める。


千裕の視線は、銃口よりもよほど威圧的だった。


「どうやら茉央は単独が嫌らしい。助けてやってくれ田中くん?」


「わ、わ、わ、私はあくまでサポートしかできません!現場どこらか銃の扱いも、組織の養成所で基礎を習っただけです!」


「田中と2人でも無理だよ!!てかそもそもね?こういうのは兄妹で仲良くやるのが一番良いと思うんだよね?」


「ははっ、今さら擦り寄ってくるな。組織には『茉央1人でやる』って言ってしまったからな」


「おにぃぃぃぃい!!」


「.....冗談だ」


「..........」


「.....」


「.....」


「.....って、冗談!?もう、本当に!心臓に悪いからやめてよぉー!」


「お前がふざけるからだろう」


「ぐぬぬぬぬ.....」


茉央は不満気に頬を膨らませるが、千裕は気にする様子もなく淡々とモニターを操作している。


「まぁ、任務は任務だ。お前もふざけるのはほどほどにして、ちゃんと集中しろよ」


「はいはぁ〜い。もう、本当におにぃは意地悪なんだから」


拗ねた様子の茉央を横目に、千裕はわずかに口元を緩めた。


ほんの一瞬の微笑み。しかし茉央と田中ですら気が付かないほどの、ごく僅かな変化だった。


「冗談という事は、私もここで退散しても.....」


「それは冗談じゃない。いつも通り、現場へ僕たちを連れてってくれ。後は人払いも」


「あ、はい」


「さて、というわけで、まずは茉央には大役を任せたい」


内容を聞いた茉央は、口を半開きのままフリーズした。


「え?私が....?」


目をパチクリさせながら、彼女は普段の千裕からは想像できないような作戦内容に、信じられないという顔を浮かべたが、自らの兄を信頼して、すぐ意を決したように頷いた。


そして翌日の深夜。

 

茉央は胸元が開いた着慣れない派手な服に違和感を感じながらも、バーのカウンターに1人座っていた。


冷たい照明が舞台のように彼女を照らし、周囲の客たちの無関心を引き寄せている。


(うーん.....えっちだ)


自分の胸を見て、呑気にそんなことを考えていると、席は空いているのにも関わらず、わざわざ隣にどっかりと男が座る。


「お姉さん、久しぶりだな」


茉央はその言葉に軽く驚き、にっこりと微笑んだ。


「え?久しぶり.....?」


その男は微笑みを浮かべ、怪しげな目を彼女に向けた。


「お前、もしかして俺のこと忘れたのか?」


「う、うん!覚えてる覚えてる!」


茉央は即座に答え、相手の意図に気づかないふりをして会話を続けた。


だが、男が少しだけ茉央に近づき、低い声で囁く。太ももには何やら金属が押し当てられている。


何か確認せずとも、それが銃だと茉央は気づく。


「いいか、俺の言う通りに動け」


その言葉に茉央はビビる演技をしながらも、心の中で釣れたとニヤリと笑った。


眉をわずかにひそめ、呼吸を荒くして“怯えている演技”を完璧にこなす。


「わ、わ、わかりました!」


心臓は少しも跳ねてない。怖がる少女を演じるなんて簡単だ。


自らの目の前に置かれる飲み物のグラスに、男はマスターの目を盗み、錠剤を入れた。


茉央は相手がどういう意図で接触してきたかを理解しているので、毒ではないだろうと即座に判断する。


再び茉央の元へと顔を近づけた男が囁く。


「それを飲め」


言われた通りに飲み物をグイッと飲み干すも、特に変化は起こらない。


「......?」


「......?」


一瞬見つめ合う2人。


我に帰った男は慌てた様子で、二杯目.....三杯目.....と茉央に飲ます。


「あーちきしょうッ!」


三杯目を飲ませても涼しい顔の茉央に、男の額には冷や汗が浮かんでいた。


そして.....最終手段と言わんばかりに、持っていた大量の薬を手に握り、茉央の口の中へと押し込める。


「もがっ.....もごもご.....っ」


本来であれば抵抗は容易だが、千裕に、抵抗するな。と指示を受けてたために、素直に薬を受け入れようとするも、流石に口いっぱいに粉を流し込まれ、苦しさのあまり、男を全力で殴った。拳が頬をえぐるようにめり込み、男の身体がカウンター横のテーブルに吹っ飛ぶ。


そして近くにあった、水を飲み干す。


「げほっ.....げほっ.....」


安堵したのも束の間、視界が急激に歪む。


天井の照明が大きく揺れ、音が遠のき、世界全体の輪郭が溶けていく。


血流が一瞬で冷えていくような感覚。指先が痺れ、呼吸が遠くなる。


「あ.....これ.....睡眠薬.......だった....の..か.....」


茉央はそのままカウンターへと倒れ込んだ。


「痛てて.....」


数秒遅れて、一瞬だけ意識を失っていた男が起き上がると、一部始終を見ていたマスターに容赦無く発砲する。


「くそがぁ...。この睡眠薬は数gで誰でも気絶するように眠らせる強力なやつのはずだが...不良品だったか?」


乾いた銃声が店内に弾け、割れたグラスの音が続くように響いた。店内には、数秒前まで漂っていた日常の空気が一瞬で消え失せる。


だが、そんなこと意に返さない男は、茉央を抱きかかえながら、店を後にした。


そのまま周囲を警戒しながら、男は茉央を近くに止めていた車のトランクへと詰め込み、急いで出発する。


車が走り出すと、夜の静寂にその音だけが響いていた。


***


「さすがですね、茉央さんは.....ひえっ」


「だな」


バーからほど近いビルの屋上で、田中は望遠鏡で。千裕は眼鏡に搭載されているズーム機能で、一部始終を見ていた。


自分が立案したにも関わらず、怒りで顔を歪める千裕に、田中はひどくビビっていた。


「全く.....ど素人どもが」


「し、しかし好都合でしたね。今になって、オークションの商品女性が足りなくなるとは」


「.....それは僕が客として組織に依頼した。まず情報班に女たちを監禁してるアジトを割り出して貰った。そしてその場所を伝え、適当に2、3人逃せと」


「そうだったのですね。それで足りなくなった枠に茉央さんを...と」


「あのバーで定期的にグループの末端が、商品を探してる情報もあった。あいつは美人だ。露出度の高い服をでも着せて、バーに1人で置いておけば、釣れると確信した。だが、馬鹿だよな。大事な商品をろくに護衛のいないアジトに放置するなんて」


千裕はそう言うと、空を仰ぎ見ながら手すりに寄りかかる。


田中は隣に立ち、静かに彼を見守る。


「僕がもう少し優秀なら、あんな危険な目に茉央を遭わせるなんて...しなくて済んだだろうな」


千裕が低い声で呟く。


その声は怒りでも焦りでもなく、自分自身への失望に近かった。表情は無表情のままなのに、そこだけは隠しきれない。


それに対して、田中は一歩下がりながら必死に言葉を選び、声に出す。


「千裕さんは十分優秀ですよ。10個も歳上な私なんかよりもずっと」


「ありがとな。てかタバコ.....持ってる?」


「はい、でも千裕さん未成年.....は一年ほど前まででしたか。もう19歳ですもんね」


「あぁ」


千裕は受け取ったタバコを咥える。


火を要求する前に、田中はライターを取り出し、スッと火を差し出した。


「失礼します」


「さんきゅー」


千裕は小さく礼を言い、煙をふっと吐き出した。

しばらく沈黙が流れた後、千裕がぼそりと呟く。


「そういえば、大昔は成人年齢は20歳だったっけか」


「歴史も詳しいんですね。でも私が生まれるよりもずっと前の話です」


「昔は人口も多かったみたいだからな。余裕があった時代ってのは、羨ましいね」


千裕は煙を燻らせながら、薄く笑う。


「確かに。その頃の日本は、今なんかよりもずっと治安も良かったらしいですしね」


「.....もし僕と茉央がその時代に生まれてたら、もっと普通で平和な暮らしもできたのかもな」


田中は千裕の横顔を盗み見る。

冗談めかした口調だったが、その瞳はどこか遠くを見つめているようだった。


若い彼らが銃を取る選択をしないで済む平和な世界。学校に通い、就職し、普通に笑い、殺しとは無縁の中で普通に生活する。そんな2人のことを田中は一瞬だけ考えた。


「そうかもしれませんね。でも、千裕さんが普通の暮らしを選ぶなんて想像できませんけど」


軽く笑って見せると、千裕は息を深く吐き、タバコの灰を落とす。


「はは、そうかもな。茉央はどうだろうか」


田中は少し言葉が詰まる。


明るく笑うあの少女が.....今の年齢だと社会人か高校生だろうか。だが社会でまともに働く彼女よりも、学校にいる方が絵になると田中は思う。


普通に学校に通い、制服姿で、友達とくだらない話をしている姿を想像する。似合っている。とても。だが同時に、あまりにも現実離れして見えた。


「.....あの人は、どこにいても変わらない気がします」


千裕は目を細め、微かに笑った。


「.....だな」


夜の冷たい風が、2人の間を静かに吹き抜けた。


「そういえば、茉央さんに付けたGPSを確認しなくて良いのですか?」


「あぁ。一時的に商品を保管するためのアジトに興味はない。当日に商品を置いておく場所が重要だ」


田中はただ頷く。


そこへタイミング良く、千裕の携帯に瀬奈からのメッセージが届く。頼んでいた客の1人の情報が送られてくる。


「よし。とりあえず客の1人と入れ替わってくる。位置情報は共有しておくから、清掃班の手配は任せるぞ、田中」


「かしこまりました。お気をつけて」


「おう」


千裕は客の顔と、現在の居場所を確認すると、携帯をポケットに戻し、踵を返す。


ターゲットを始末するため、千裕は1人夜の街へと消えた。


「さて...やりますか」


千裕がやって来たのは、街外れにある高級ホテル。


煌びやかなエントランスには目もくれず、右腕の腕時計から伸ばした極細のワイヤーを花瓶に手際良く引っ掛ける。


そのまま何事も無かったように、一直線に従業員入口へ向かって歩く。


扉に手をかける直前、ワイヤーを引いた。


バリンッ!と派手な音と共に、花瓶が地面に落ちて割れ、その場にいた宿泊客や従業員の視線は花瓶へと集中する。


その隙に、千裕は眼鏡の解析機能を作動させ、扉の電子ロックのパスワードを解析。

表示された番号を手早く打ち込み、中へと侵入した。


千裕はすれ違う従業員たちに「お疲れ様です」と自然に挨拶をする事で、これから出勤する人間を装っている。


千裕は、清掃用具やリネンが整然と並ぶバックヤードを抜け、ロッカールームへと向かう。


ガチャ


ロッカールームに人がいない事すると、千裕は片っ端からロッカーを開き、必要なルームサービス員の制服を見つけ出し、手早くそれに着替える。


最後に、髪を軽く整えてから、ネームプレートを首から下げる。もちろんネームプレートには、「本田」と別人の名前と顔写真が書かれている為、裏返しで誤魔化す事に。


眼鏡のレンズはモニターとなっており、片目に見取り図を表示しながら、厨房でトレーと適当に高級ワインとグラスを調達し、鏡の前で一度身なりを整える。


「さて、ご注意の品をお届けに参りました.....ってな」


そのまま意気揚々と従業員用のエレベーターへと乗り込み、ターゲットのいるフロアへと向かった。


扉の前には分不相応な護衛が2人が立っている。


「ルームサービスです」


千裕は穏やかな笑みを浮かべながら、トレーを軽く持ち上げる。


護衛はちらりとトレーを見るが、特に怪しむ様子はない。


「聞いてねぇぞ?」


「こちら日頃ご贔屓にしていただいてる松下様へ、当ホテルからのサービスとなっております」


「なるほどな。.....よし」


護衛の1人がカードキーで扉を開き、中のターゲットに一言事情を伝える。


「ホテルからのサービスだとよ」


中から低く短い返事が返る。


「入れ」


千裕は護衛に軽く会釈をしてから、部屋の中へと足を踏み入れた。


ターゲットはソファに深く腰掛け、葉巻を咥えながら千裕を見上げる。


「いいな。[アルマヴィーヴァ]それも2018の年代物じゃねぇか」


ターゲットがワイングラスに手を伸ばした瞬間.....トレーが宙を舞った。


視線を奪われたターゲットの首に、千裕は素早く極細のワイヤーを巻きつけ、腕を引いて一気に締め上げる。


「ぐっ......!」


喉からくぐもった声が漏れ、男の身体が激しく痙攣する。


その最中、千裕はふとターゲットが口にしたワインの名前を思い出し、宙を舞うボトルに目をやった。


「あ、美味いやつじゃん」


慌てて落下直前のボトルを足で軽く蹴り上げ、片手でキャッチする。


「今回の任務が終わったら、茉央と.....田中と瀬奈も混ぜてやるか。4人で飲もう」


言葉とは裏腹に、力を緩める気配は一切ない。ワイヤーは容赦なく食い込み、皮膚が裂け、赤い線が首に刻まれていく。


その間にもワイヤーが首に食い込み、ターゲットの口から泡が零れる。まもなく痙攣が止まり、身体から力が抜けた。


その瞬間——


「なんの音だ!?」


割れたグラスの音を聞きつけ、護衛たちが慌てて部屋へと飛び込んできた。


しかし千裕は微動だにせず、片手にワインボトルを抱えたまま、腰のナイフを抜く。


侵入してきた護衛の喉元を一閃。鮮血が噴き出し、1人がその場に崩れ落ちる。


「クソッ!」


もう1人が銃を構えるも、千裕の動きが先だった。

踏み込むと同時にナイフを逆手に持ち替え、顎下に突き立てる。


護衛の身体がビクンと跳ね、そのまま膝をついた。


「……っと」


千裕は何事もなかったように死体を部屋の奥へ引き摺ると、目的の松下の携帯と招待状を回収してから、ゆっくりと扉を閉める。


一拍置き、ワインボトルを軽く振ってみた。


「割れてなくてよかった」


まるで軽い買い物帰りのような調子で、千裕は静かにその場を後にした。


迎えた当日。


移動中、千裕はようやく茉央と連絡が付き、次なる指示を伝え、現場入りを果たした。


豪奢なシャンデリアが煌めく地下ホール。その中央に設置された特設ステージには、重厚なベルベットのカーテンが下ろされていた。カーテンの向こう側——すなわち「商品待機室」には、今まさに出品を待つ茉央がいる。


千裕は一歩、ゆっくりと赤い絨毯を踏みしめながら、VIP専用の座席エリアへと向かった。


「——ご到着をお待ちしておりました、松下様」


恭しく頭を下げる案内係に軽く頷きながら、千裕は足を止めることなくソファへと腰を下ろす。テーブルの上には高級ワインが並べられ、隣席の客たちは贅沢なグラスを傾けながら、ステージが開く瞬間を心待ちにしていた。


笑い声・高価な香水・ワインの香りが混じり合い、金で人の価値が決まる世界の匂いが濃厚に漂う。


(なるほど……本人確認が特定の番号のみというのは.....危ういんだな)


本物の松下はすでに始末済み。彼が所有していたVIP招待状と個人ID、それに田中が用意した簡易的な変装アイテムのおかげで、千裕はほぼ無警戒で会場へと入り込めた。オークション主催者側は、客の顔などいちいち確認しない。金を積めば、それで十分なのだ。


だが残念な事に、会場のセキュリティは厳重であり、武器の持ち込みはできなかった。


(とりあえず、茉央からの吉報を待つしかないな)


千裕は目の前のワイングラスを手に取り、軽く揺らした。深いルビー色の液体が静かに波打ち、天井の明かりを受けて鈍く輝く。その奥底で、彼の瞳だけが鋭く光を宿していた。


***


場所は変わり、商品待機室。


冷たい鉄の椅子に座らされ、茉央は手首と足首に頑丈な拘束具で固定されていた。


だがそんな状況下でも、通信機のバイブ機能を駆使したモールス信号で、千裕との連絡はすでにできている。


「……くそー」


薄暗い部屋の中で、忌々しげに舌打ちする。


空調はほとんど効いておらず、湿った空気がじっとりと肌に張り付いて不快だった。


(おにぃの指示通り、ここから抜け出さなきゃね)


茉央は手首を動かしながら、拘束具の感触を確かめた。金属製の手錠と足枷は、見た目以上に分厚く重い。ただし、関節の動きを封じるほどの厳重な造りではない。


(いける……)


深呼吸し、力を込める。両手首をぎりぎりと捻り、手首の細さを最大限に活かして金属の隙間を探った。皮膚が擦れて痛むが、そんなものは気にしていられない。


「……っと」


僅かな隙間を見つけた瞬間、一気に腕を抜き取った。


手首を自由にする。


次は足枷だ。こちらはさすがに簡単には外れない。だが、拘束チェーンを少しずつ引っ張りながら力を加えると、壁に固定されたボルトがわずかに緩んでいるのが分かった。


「普段なら簡単に引きちぎれるのになぁ......」


独り言を呟きながらも、膝を使い、ボルトに負荷をかけるように足を動かす。何度か試すうちに、「ギシ……」と金属が軋んだ。そして——


「よし」


最後の一押しで、固定具が音もなく外れた。


室内には、茉央と同様に拘束された女たちがずらりと並べられている。


年齢も様々で、怯えた瞳、諦めた表情、虚ろな視線.....それぞれが異なる物語を抱えているのが分かったが、やるべき順序を考える。


拘束を解いた茉央は不快に思いながらも、助けるべきではないと、下着に仕込んでいた小型通信機を取り出し、耳に装着。


「おにぃ.....聞こえる?」


直後に聞こえる千裕の声。


『通信良好だ。大丈夫か?』


「うーん。薬の影響で上手く力が入らないやー。でも大丈夫!」


『毒に耐性のあるお前が眠らされた薬だ。普通ならまだ起き上がるのも難しいだろう。商品はその方が扱いやすいだろうしな。あまり無理はするな』


「私は強いからね!.....てか今どこにいるの?」


『僕も会場には潜入できた。だがやはり武器の持ち込みはできなかったから、茉央は一旦外に出て、田中から装備を受け取ってくれ』


「任せて」


『頼む。監視カメラはこっちで死角を作って置く.....』


圧倒的な身体能力という最大の武器が弱体化しており、茉央は珍しく緊張を覚える。


だが兄のためにも行動する必要があると、手早く部屋の扉に近づき、耳を澄ませた。外からは足音が聞こえる。重く、規則正しい靴音。警備の巡回だ。


(タイミングを見計らって——)


ドアの隙間から廊下を確認する。兵が角を曲がる。その背中が完全に消えるまで、心臓の鼓動が嫌なほど耳に響いた。


(普段ならこの程度で緊張なんてしないのに....)


静かに扉を開け、一気に廊下へと滑り出す。


壁に身を寄せながら進んでいると、不意に後ろで「……ん?」という低い声がした。


(バレた?)


一瞬、背筋が凍る。振り向くべきか、このまま進むべきか。


足音が近づく。


次の瞬間、別の扉が開く音がした。


「なんだ、お前かよ……!」


どうやら別の警備員が部屋から出て来ただけだった様子。


(……っ、心臓に悪い!)


冷や汗を拭う間もなく、監視カメラの死角を縫うように進む。千裕が言う通り、妨害プログラムのおかげで、レンズが不規則に動いていたが、それでもリスクはある。


死角から死角へと跳ねるように移動するたび、呼吸を浅く整え、足音すら床に沈めるように意識した。


いつカメラが正常に戻るかわからない。悠長にしていられる時間はない。


搬入口のシャッター前に到達。電子板を前に茉央は手を止め、通信機に指を置く。


「おにぃ、A-15って書かれた扉のパスワードわかる?」


『少し待て.....1、7、2、9、4、2だ』


数字のボタン押すたびになる電子音が、やけに大きく感じる。


(早く開け……っ!)


一瞬の沈黙の後、低い電子音とともにロックが解除される。


茉央は息を詰めながら、そっと扉を開ける。


「ビンゴっ!」


扉を開けるとそこは外へと続くであろう長い階段がある。


足音を殺しながら、急いで階段を駆け上がると、微かに潮の匂いを感じる。


階段駆け上がった先には更なる扉が。だがそこはロックされておらず、妙に重厚な扉を押し開けると、潮風が髪を揺らし、遠くで船の汽笛が鳴る。


周囲には廃棄されたコンテナが山のように積み上がり、外灯に照らされた鋼鉄の陰影が巨大な迷路のように連なる。海面には黒い油膜のような光が揺れ、冷たい風が吹くたび、金属が軋む低い音が響いた。


「うぅ.....さむっ」


外は、この場に”誰か”がいるのではないかという、得体の知れない圧迫感がある。


「……さて、と」


自分に言い聞かせるように呟きながら、身を屈めて指定のポイントへと駆け出す。


『茉央、そっちはどうだ?』


耳元の通信機から千裕の声。


「問題なし!今外に出たところ!」


『了解、田中がすでにドローンを飛ばしてる。外の警備にバレないようにその場で待機だ』


「りょーかい」


しばらく寒さに堪えながら外で、身を低くしたまま待機していると、そこへ大きなバックを抱えたドローンが上空より降下して来た。


茉央はドローンからバックを受け取ると、すぐに中を漁る。


「いいねっ」


嬉しい事に、武器やガジェット以外にも、普段着なれた白シャツにピンクのミニスカや厚底ブーツも入っていた。


装備をバッグから取り出すたび、金属の冷たさが指先に刺さる。


暗闇に溶けた白シャツとピンクのスカートに着替えると、まるで“普段の自分”が戻ってきたようで、胸の奥の恐怖や緊張が小さくなる。


だが、首に通信機を付け、腰に銃とナイフを固定した瞬間——そこにいるのは、ただの少女ではなく“1人の傭兵”だった。


着替え終え、武器を装備し終えた茉央。


「荷物受け取ったよ。おにぃのハンドガンとナイフも入ってた」


『よし。僕の装備は今から指定する場所に置いてくれ、この会場のどこかにある情報を管理してる部屋に向かい、そこでバックに入ってたUSBメモリーを使って情報を盗め』


「私にわかると...思う?」


『アレだ。パソコンがたくさんある部屋。きっと...多分...絶対』


「それなら任せて!」


『あーあー。聞こえますか?』


会場近くにボートで潜伏している田中も通信に参加して来た。


「おっ田辺!」


『田中です。お疲れ様です。無事荷物が届いたようで安心しました』


「それは良いんだけど、私のミニガンは?」


『ドローンの運べる重量限界でミニガンは無理でした。諦めてください。それにあれはやはり今回の任務には向きません』


『田中の言う通りだ。霧島登場よりも前に、ぶっ放されてたりなんてしたら逃げちまうだろうが』


「ちぇー」


千裕や田中の声を聞き、ようやくいつもの調子が戻った茉央だったが、突如として階段を何者かが上がってくる足音が聞こえて来た。


慌てて銃を抜き扉の裏側へと身を潜める。


『どうした?』


「...ごめん忙しくなりそう」


『そうか。気をつけろよ』


『ご武運をお祈りいたします』


通信が一時的に途絶える。


足音は迷いなく、一直線にこちらへ向かってくる。


(……警備か、それとも)


扉の影に身を潜めながら、茉央は銃を構えた。相手が気づかず通り過ぎるなら、それでいい。だが、もしこちらの異変に気づいていたとしたら——


(その時は、やるしかない)


指先にじわりと汗が滲む。


廃コンテナヤードの冷たい空気の中、茉央の鼓動だけがやけに大きく響いた。


そして——


「おい、お前だろ。女たちを拘束したのは。1人逃げちまったじゃねーか!」


男の声。低く、警戒心を滲ませたものだった。


「三嶋さんにバレたら.....殺される....」


「いや、まだ近くにいるはずだ。オークション開始前に捕まえて戻せば問題ない。慎重に探すぞ」


——2人。


茉央は舌打ちを飲み込んだ。


(2人かぁ.....大きな声出されたら面倒臭いな)


この場で戦えば、すぐに増援を呼ばれる可能性が高い。とはいえ、このまま大人しく捕まるわけにはいかない。


男たちの足音が近づく。


(……どうする?)


時間はない。


「……おい」


不意に、扉の向こうで動きが止まる。


「このドア、鍵開けっぱなしだったか?」


(——まずい!)


次の瞬間、ドアノブがゆっくりと回される音がした。


逃げたのがバレている時点で、やるしかない。と決心した茉央はトリガーに指をかける。


幸いにも、田中の配慮で銃にはサイレンサーが取り付けられている。発砲したとしても手際よくやれば他の警備にしばらくはバレることはないはずだ。


扉が開き、男の足が見えた瞬間────


迷わず膝裏を撃ち抜く。悲鳴を上げる間もなく、男は崩れ落ち、その頭部が視界に晒された。


茉央は躊躇なく後頭部から2発の弾丸を打ち込み絶命させる。


血飛沫がコンテナの鉄板に小さく散り、すぐに冷たい夜風に乾いていく。


茉央は体勢を低く身を潜めるが、2人目はすでに彼女の位置を割り出している。


扉が勢いよく開かれると同時に、男が飛びかかってくる。


(まずった!)


発砲するよりも早く、男の足が銃を蹴り飛ばず。


銃はコンテナの端まで滑り、かろうじて下へと落下せずに止まる。


男が手に持つ銃がこちらに向けられる。

しかそ茉央も負けじと銃身を握り、もう一方の硬く握った拳を男の腹部に叩き込む。


「ぐふっ.....」


怯んだ隙に、力付くで銃を奪い取り、構える。


だが撃てない。


何故なら屋上へと続く扉は開いたままであり、奪った銃にはサイレンサーもついていない。このまま撃てば間違いなく大ごとになるだろう。


相手もそれは認識しているようで、怯む様子もなくこちらへと警戒はしながらも距離を詰めて来ている。


このままでも意味がないと判断した茉央は、銃を海の方向へと投げ捨て、直後振り返ると、自らの銃の所まで走る。


しかし男は予想以上に素早い。


(────っ!)


背後から強烈なタックルをくらい、コンテナの床へと叩きつけられる。


だが素早く体を捻った茉央は、太ももで男の頭部を固定した上で、片手で髪を引っ張りながら、もう片方の手で耳元を何度も力任せに殴る。


それでも男はしがみついたまま離れない。


「キモいっ.....放せっ.....放せ!」


体制が悪く男が離れるには力不足。仕方なく、さらに強く締め上げたまま、持ち前の馬鹿力を発揮し、脚と片腕で男を固定し、引きずりながら片方の腕の力だけで銃に手が届く所まで引きずる。


床板に擦れる布と金属の擦過音が耳に刺さる。


「しねっ!」


ついには銃に手が届き、締め上げたまま状態の男の背中を何発も弾切れを起こすまで撃ち込んだ。


「はぁ.....はぁ.....」


ヨロけながらも立ち上がる茉央。


銃のマガジンを入れ替え、警戒しながらポケットにしまっていたメモリーの状態を確認する。


(壊れては.....ないね)


ポケットへ戻すと、千裕の指示に従うべく、階段を降り内部へと再び潜入する。


だが肝心の[パソコンがいっぱいの部屋]がどこか分からない。


その時、発信機から女性の声が聞こえた。


『もしもし。茉央ちゃん、聞こえてるね?』


「だれ?」


『立川瀬奈でわかるかな?』


「あーあのパソコンちゃんね!」


『.....。まぁ今はそれでいっか。とりあえず今の場所を教えてくれるかしら?』


茉央は周囲を見渡す。


「えっと廊下だよ」


『.....。何か目印とかない?文字が書いてあるーとかでも...』


「それぞれの扉にナントカ室って書いてあるんだけど、漢字読めない」


『.....。そっか読めないのね』


通信の向こうで、瀬奈が小さく息を吐くのが聞こえた。


『じゃあ、中を確認するのは危険だから.....』


ガチャン。瀬奈が言い切るよりも前に、通信の先から扉が開く音が聞こえる。


「ここはなんだろう。銅像とか絵が置いてある」


『はぁ......部屋の広さは?』


「とっても広い」


『よし恐らくここにいるのね.....。良い?その部屋は関係ないから出て。まずは行き止まりじゃない方の廊下を突き進んで』


「おっけい!」


呑気な話口調だが、茉央の顔は真剣そのもの。銃を構えながら警備に見つからないように廊下を進む。


「右左どっち?」


『み.....箸を持つ方よ』


「お、分かりやすくていいね!」


『.....。でしょ。右に進んだら五番目の扉を開けるとそこがサーバールームよ。中に人がいるだろうから注意して』


茉央は目的の扉の前まで来ると、扉を開けようとする。だが電子ロックが施されており中には入れない。


更に先ほどのパスワード式ではなく、今回はカードキーを翳すタイプ。


「入れない」


『大丈夫。これをこうして.....っと。こう!』


瀬奈の天才的なハッキング能力で、扉のロックがあっという間に解除された。


電子ロックが小さく「ピッ」と音を立て、緑色のランプが点灯する。


茉央は息を殺して中へと潜入する。


サーバールームはまるで冷蔵庫のように冷たい空気で満たされていた。青白い光を放つモニターが並び、壁際にはずらりとサーバーラックが立ち並んでいる。


茉央の気配遮断能力が高いため、まだ彼女の存在に気づく者は誰1人としていないが、10名以上の人間がモニターを操作しており、警備も複数確認できる。


『千裕から聞いてるわ。催眠ガスが仕込まれたグレネードあるんでしょ。使えば?』


「名案じゃん。行くね」


『え?ちょっ!制御室内にいるんだよね?茉央ちゃんも巻き込まれるじゃない!一度部屋出てからじゃないと!』


瀬奈が止めるも、茉央はすでにピンを抜き、部屋の中心へと投擲した跡だった。


「息止めるからしばらく会話できないよ」


『は?水中でもないのに、3分間も息止めるなんて無茶よ!』


「.....」


投擲されたグレネードから、その大きさからは想像できないほどの濃い大量のガスが瞬時に部屋を満たす。


部屋にいた者たちはすぐに異変に気づくも、すでに吸い込んでしまっており、数秒遅れて、椅子が倒れる音やキーボードを叩く手が机から滑り落ちる音が連鎖的に響く。


やがて静寂が訪れる。


『おーい。まずいな....。このガス吸い込んだら数時間は起きないじゃない。とりあえず千裕くんに連絡を.....』


「.....ぶはぁっ!ふぅ〜。その必要はないよ!制圧完了!」


『顔は可愛いのに、やる事は人外なのね。まさか3分間も息を止めるとは.....』


「え?調子よければ10分くらいなら余裕でしょ」


『それは貴女だけ』


瀬奈の困惑を他所に、茉央はサーバールームを見渡した。


ガスの影響で、茉央以外の全員が沈黙している。茉央は慎重に床を踏みしめながら、モニターのデスクへと近づいた。


「で、データってどれ?」


『現場が見えてないから私にも分からないわよ。ただ道さへ作ってくれれば後はこっちでやる。茉央ちゃんの勘に任せる。メモリーが刺さる場所を探して適当に刺しちゃって』


「私の得意分野じゃん。おりゃ!」


腰のポーチからUSBメモリーを取り出し、茉央は最初に目に入った端末に差し込む。


『正解よ』


「さすが私!」


『.....。まぁ本当は全部正解なんだけどね。とりあえず、有力な情報はこっちで全て盗み出すから時間を頂戴。それまでにメモリーが抜かれる事がないように見張って置いてね』


「はーい。私に任せとけっ!!」


茉央は倒れている男の1人を足で軽く転がし、意識がないことを再確認してから、モニター前の椅子にドカッと腰を下ろした。


***


茉央からの成功を聞いた千裕は、少し笑みを溢す。


千裕は、本当に競り落とす事がないように、絶妙な額を定期的に提示する事で、周囲に疑われないよう客を演じ続けていた。


そしてようやく、メインの人間のオークションが始まる前に、催し物の一環として霧島宗介が姿を現すと、照明が一気に霧島へと集中し、シャンデリアの光が宝石のように弾ける。


拍手と口笛、興奮と狂気が混ざった熱気がホールの空気を震わせた。


瞬間、会場の盛り上がりは最高潮へと達する。それだけ彼は裏社会でも人気が高いということ。


霧島が挨拶を始めた辺りで、千裕は会場を抜け出す。最も全員の視線が一箇所に集まる瞬間など、このタイミングを置いて他にない。


通路を歩きながら千裕は、最初に目に入った警備の背後に忍び寄ると、武器代わりのボールペンを喉に付き刺し、息の根を止める。


ペン先が柔らかい皮膚を貫く感触は、紙に刺した時と何も変わらなかった。男は声を出す間もなく崩れ落ちる。


死体をすぐ隣のトイレの中へと引き摺り、警備の服へと着替え、本体は掃除用具入れの中へと押し込んだ。


帽子を深く被り、茉央と合流すべく急いで行動を開始した。


***


一方の茉央はサーバールームにて、デスクチェアに座り高速で回転をしていた。


椅子がきゅるきゅると音を立て、付近に倒れている男の上着が風で微かに揺れる。緊張感の欠片もない光景だった。


そこへ千裕からの通信が入る。


『相手さんも少しはできる連中みたいだ。温度変化がどうたらこうたらで、サーバールームの異変に気が付いたぞ』


「げっ.....」


『瀬奈もこの通信聞いてるよな?必要な情報を全てダウンロードするには後どれくらい時間が必要だ?』


『ん.....あと5分は欲しい。なるほどね。外部デバイスからのアクセスで、異変を知らせるべく温度が上昇するように設計されてるのね。それかなり最新式よ?』


『霧島は金持ちだからな。茉央は5分程度時間作れそうか?』


「おにぃ、私を誰だと思ってるの?任せてよね!」


相変わらずの明るい口調だが、茉央の指先はすでに腰のホルスターへと伸びていた。


次の瞬間、扉は勢いよく開くと、完全武装の警備員たちが雪崩れ込んでくる。


茉央はメモリーの刺さった端末に流れ弾が当たらないよう、敢えて自分の存在をアピールしながらサーバールーム内を動き、扉から一番離れた角で反撃を開始。


兄ほどではないが、それでも茉央の射撃能力は警備員を凌駕している。


茉央は残り少ない弾を、無駄にしないよう必死に敵に向けて撃ち込んだ。鋭い銃声が鳴り響く中で、弾が1発、また1発と敵に命中していく。しかし、銃弾が尽きると同時に、彼女はすぐに銃を捨て、拳を握りしめた。


銃の重さよりも、自分の拳の方がずっと信じられる。薬で動きが鈍っている今でも、それだけは変わらない。


「やっぱり銃は得意じゃないや!」


無駄に銃弾を消費するよりも、近づいてくる敵に肉体で立ち向かう方が良いと判断した茉央は、物陰から素早く飛び出すと、そのまま敵の群れに飛び込む。


先頭にいた男の首元に蹴りを浴びせ、力任せに振り抜く。


「グッ…!」


先頭の男は回転しながら地面へと倒れ込んだのも束の間、茉央は隣にいる別の男に対して、一気に拳を振り抜き、顔面を強烈に打ち込み一撃で気絶させる。


次から次へと襲いかかってくる警備員たちを、茉央は薙ぎ倒しながらも、警備員の群れの中心にいる事を意識し続けている。そうする事により、相手は同士討ちを恐れて無駄な発砲をしてこない。


拳と肘、膝と足。茉央の全身が武器となり、銃の使えない相手を次々と屠っていく。中心に立って戦うその姿はまさに猛獣のよう。


「どけっ!俺がやる!」


そんな彼女の前に、群れの奥から一人、体格も武装も明らかに他とは違う男が現れた。


他の警備員たちが一歩下がり、その男に道を譲る。


「おっきいね」


茉央がにやりと笑った瞬間、男は驚異的な速さで踏み込み、鋼鉄の警棒を振り下ろす。

茉央は咄嗟に腕でガードしたが、鈍い衝撃が骨まで響き、思わず顔をしかめた。


「あ痛っ!」


普段なら軽く受け流せる攻撃のはずだった。


だが、やはり体に残る基準値の数十倍の薬の影響で、普段の動きができていない。


腕に鈍く響く鈍痛。


だが次の瞬間、茉央は痛みを無視して一歩踏み込み、拳を男の鳩尾へ叩き込む。


「がはっ……!」


苦悶の声と共に男は膝をつき、続けざまの回し蹴りで壁に叩きつけられ動かなくなった。


「ふぅ〜……やっぱりちょっと強かったね」


満足げに呟いたが、気づけば自分が群れのど真ん中から外へ弾き出されていた。


「……あ」


次の瞬間、警備員たちの銃口が一斉に茉央へと向けられる。


「まずった.....」


直後、室内を震わせるほどの銃撃が一斉に放たれた。


咄嗟に後ろへと飛んで下がるが、弾の1発が肌をかすめ、痛みが体を駆け巡る。


「くっ.....」


怯んだところで、もう1発の銃弾が左肩を貫通した。


茉央は倒れながらも、デスクの上を余分に転がり床へと落下する事で、一時的に敵の視界から外れる。


(あ、痛たたた...久しぶりに被弾なんてしたな)


匍匐前進で、少し離れた位置にある死体の一つへと近づくと、落ちていた銃を拾い上げ、再び立ち上がると2人の警備を始末する。


だが、左肩から血が滴り、床に赤い点が落ちる。

足元がふらつく。


そして慌てて体勢を低くし、敵からの反撃を避けた。だが再び立ち上がり、撃とうとするも銃はすでに弾切れ。ご丁寧にトリガーを数回引いた事で、敵に弾切れをアピールしてしまった。


絶体絶命のピンチの中、突如として数発のサイレンサー越しに発砲される銃声が聞こえ、直後、サーバールーム全体の天井に吊るされていたライトが全て破壊される。


まるで上から闇が落ちてきたように、一瞬で全員の視界が奪われた。


次なる銃声と共にモニターにも銃弾が撃ち込まれ、サーバールーム全体が暗闇に包まれた。茉央は慌てて屈み、身を守る。


暗闇で感じたのは、時折光る発砲の際に散る火花。そして1発。もしくは2発の銃声が聞こえる事に誰かが倒れる音。


それだけの情報で茉央は、千裕の存在を認識し、安堵から痛みが抜け顔に余裕が戻る。


背中に重くのしかかっていた緊張が、音もなく溶けていく。視界は暗闇でも、気配だけでその存在が分かる。


「遅くなった」


千裕はそう言って、いつの間にか拾っていた、茉央の銃を差し出す。


「うん、遅かった」


茉央は彼から銃を受け取ると、迷いなく千裕の顔に照準を合わせる。


意図を察した千裕は首を曲げ、頭の位置を横へとずらすと、迷う事なく茉央は発砲。


弾道は寸分の狂いもなく、兄の背後へ一直線に走る。


そして千裕の背後で誰かが倒れる音がした。


「まだやれるか?」


千裕は動揺することなく、茉央へと問いかける。


「当ったり前じゃん!何てったって、おにぃの妹だからね」


「そうか。だが止血はしよう」


そう言って千裕は、茉央のバッグから何やらプラスチック製の小さな容器に入る青色のスライムのようなものを取り出すと、傷口へと押し当てた。


「くぅ.....染みるぜ」


「我慢しろ」


これには傷口の再生を促す効果と鎮痛効果の成分が配合されており、更に血に反応して凝固する性質を持つ。これにより止血が簡単に完了する。


青いゼリー状の物質は、数秒で薄い膜となり、弾痕の上を滑らかに塞いでいく。見る者がいれば、まるで魔法のようだった。


「これで大丈夫だろう。.....いいか?弾は節約しろよ」


「はいはーい」


茉央は軽く片手を挙げ、痛む肩を気にする素振りもなく笑ってみせた。


そんな茉央を見て、千裕は小さくため息をついたが、そのタイミングで瀬奈から通信が入る。


『合流できたようで何より。とりあえずデータは回収した上で、ウイルスをばら撒いた』


瀬奈の声の向こうで、遠くのサーバーの警報が微かに鳴り出す。


「了解。瀬奈.....終わったら慰労会だ」


『ふふ、わかった』


『あ、あの私は.....』


「田口もおいで!」


『田中で────まぁいいや、はい!ありがとうございます!』


「あぁ。2人ともご苦労。あとは霧島を始末すれば終わりだ。一度通信を切る」


『はい!お気を付けてください!』

『がんばれー』


「よし、通信終了っと」


千裕と茉央は通信機を耳から外す。


そして、2人は立ち上がると共に拳を重ね、互いに笑みを浮かべる。


「ターゲットの姿は確認した。あとは逃げられる前に始末するだけ。スピード勝負だ」


「と言うことはじゃあ.....?」


「暴れるぞ」


「よっしゃぁ!」


互いに弾倉を叩くように装填する。


警報が鳴り響く通路。集まる警備。


怪我を負ったにも関わらず、それを感じさせない俊敏さで、茉央は闘争心むき出しの表情を浮かべながら、敵の中へと、飛び蹴りを放ちながら突っ込む。


後を追うように、敵の額に正確に弾丸を放ちながら、敵の中へと突っ込む千裕。


その隣では、茉央が蹴りで警備の一人を吹き飛ばし、その勢いのまま着地すると、さらに別の敵の拳を肘で弾き返す。


「っらぁ!!」


痛覚すら無視した茉央の拳が、敵の顎を的確に捉え、一撃で沈めた。


「怪我人が無茶するなよ」


千裕は茉央の背後に迫る敵を瞬時に撃ち抜きながら、冷静に声をかける。


「おにぃが援護してくれるなら、無茶じゃなくて作戦なの!」


茉央は不敵に笑い、敵の銃を奪って背後に投げる。千裕はそれを片手でキャッチし、そのまま持ち主の頭部を撃ち抜く。


警報がさらに激しく鳴り響き、通路の奥から武装した増援が押し寄せる。 


「さて、どうする?」


千裕は冷静に弾倉を確認しながら尋ねる。


「決まってるでしょ!」


茉央は手の甲で口元の血を拭いながら、闘争心むき出しの笑みを浮かべる。


「もっと暴れる!」


「……了解」


千裕は静かに息を吐き、銃口を前に向けた。

次の瞬間、再び敵が2人の前に立ち塞がる。


そして、銃声が再び響き渡り、茉央と千裕は敵の群れへと突っ込んだ。


茉央は前方の敵の銃を腕で弾き上げ、そのまま懐へ飛び込むと、ボディへ強烈な左ストレートを叩き込む。悶絶する敵の肩を掴み、その体を盾にして後方の銃撃を防ぐと、素早く腰のホルスターからナイフを抜き、敵の喉元へ突き立てた。


「おにぃ、そっち!」


叫ぶと同時に、茉央は死体の銃を蹴り上げる。


千裕はそれを片手でキャッチし、即座に頭上へと撃ち込む。天井に設置されていた監視カメラが破壊され、視界の情報が封じられる。


「助かる」


茉央が笑うのと同時に、千裕は流れるような動きで敵を撃ち抜きながら、茉央と背中合わせになる。


「増援が来る前に抜けるぞ!」


「うん、でも——その前に一掃!」


茉央が合図を送ると同時に、千裕は一歩引いて弾倉を装填し直す。


「おにぃ、ちょっとだけ時間ちょうだい!」


「……3秒」


「上等!」


カウントが始まると同時に、茉央は一気に前へ飛び出した。


敵の足を払って転倒させ、素早く跳び上がり、倒れた敵の顔面へ渾身の踵落としを叩き込む。そのまま勢いを殺さず回転しながら立ち上がると、拳を握り込む。


「——2!」


千裕のカウントに合わせ、茉央は前方の敵の腹へフックを叩き込み、悶絶した隙に顎へとアッパー。体ごと吹き飛んだ敵が後方の仲間を巻き込む。


「——1!」


カウントがゼロになる瞬間、千裕が銃を構える。


「任せた!」


茉央が飛び退いた瞬間、千裕のトリガーが引かれた。


一発の弾丸が敵の膝を撃ち抜き、倒れ込んだ敵を盾にする形で、立ち位置を確保。即座に連射し、残る敵を撃ち抜く。


「——終わり」


銃声が止み、廊下には倒れた敵の残骸が転がっていた。


「ふぅ……」


茉央は息を整えながら、口角を上げる。


「やっぱ、2人だと最強だね!」


茉央は拳を軽く突き出す。


千裕はため息をつきながらも、その拳に自分の拳を軽くぶつけた。


その瞬間、どこからか響く拍手の音が場を切り裂く。


「流石だな[アコナイト]諸君」


2人の前に、ノコノコと現れたのは、ターゲットの霧島宗介だった。


そんな彼に対して茉央は、千裕の静止を無視して、銃弾を彼の心臓を目掛けて放つが、スーツに弾丸が弾かれてしまった。


「うぉ、あの防弾スーツすごいね!」


「お前.....本当に何者だ?」


霧島が軽く肩をすくめ、挑発的に言う。


「君たちのボスは何も教えてくれないのだな」


「おにぃ、今度は頭を撃っちゃお!」


茉央は銃口を霧島へ向けるが、千裕はそれを上から押さえる。


「いや待て。で?何を教えてくれないって?」


「私は[アコナイト]の創設メンバーの1人だ」


「ふふ....そうか」


千裕はわざとらしく笑みをこぼす。


「.....何がおかしい」


「いやいや、すまない。それだけか?確かに、お前が創設メンバーである事には驚いた。だがそれだけだろう?」


霧島は一瞬、眉を顰める。予想していた反応とは異なることに、少し戸惑った様子が見えた。


「何を言っているんだ。[アコナイト]の登場のトップの称号、[大樹たいじゅ]であった黒崎理玖くろさきりくが不自然な自死した.....その時から始まった」


重く暗い話のはずなのに、霧島の声は穏やかであり、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。


それが逆に、背筋が冷えるほど奇妙だった。


「3年前に暗殺された当時の首相、森本靖もりもとやすし。翌年には事故死したとされる警察庁長官、河野清太かわのせいた。そしてその年には、虎杖組12代目組長、虎杖良輔いたどりりょうすけも抗争の最中に命を落とした」


千裕は銃を構えたまま視線を細める。


「全部、裏で組織が動いていたと?」


霧島はゆっくりと笑った。


「その通りだ。そして、消された彼らは皆、私と共に創設した仲間だった」


「次はお前と.....?」


「その通りだ。きっと3代目にして現在の[大樹]である黒崎隼人くろさきはやとの仕業に違いない。きっと貴様らも用済みとあらば消されるぞ?どうだ金なら私もいくらでも出せる。私はあいつのように兵を駒として使わない────」

「────お断りだ」


千裕は静かに言い放つ。


「貴様のそれは憶測に過ぎない。それに組織の人間とお前。どちらを敵に回す方が楽か.....お前もわかるだろ創設メンバー様?」


霧島の顔があからさまに歪む。


「組織が君たちを狙う可能性もあるんだぞ.....?」


「そうなれば俺らは組織も潰す。勘違いするな。僕たちは利益があるから組織に身を置くだけ。誰にも忠誠は誓わない」


静かに言い放つ千裕の目を見て、霧島はわずかに肩をすくめ、諦めたようにため息を吐く。


「交渉は決裂というわけか。頼んだぞ、三嶋くん」


「はい、はーい」


暗闇から姿を現す1人の男。


「ちっ。やっぱりいたか三嶋大吾」


「お、もしかして俺、有名人?」


スーツのボタンを外しながら、気怠げな足取りでこちらへ向かってくる。


「2人を生け捕りにしろ」


「ったく...霧島さんはつまんねーな。見た目はガキの殺し屋男女。殺した方が面白れェだろ」


「三嶋くん。口よりも先に手を動かせ」


そう言いながら、三嶋と入れ替わるように霧島は暗闇へと姿を消す。


「りょーかい」


その瞬間、三嶋の姿がブレた。


千裕と茉央の2人は反射的に引き金を引くが、三嶋は身を翻し、2発の弾丸を易々と避ける。

次の瞬間、彼の足が床を蹴り、視界から消えた。


「ちっ!」

「っ!」


茉央は千裕よりもいち早く、三嶋を再び視界で捉えるが、同時に鈍い衝撃が腹部にめり込む。


体の芯で爆発したような痛み。肺の空気が一瞬で押し出され、声も出ない。


「がはっ.....」


吹き飛ぶ茉央。


直撃の瞬間、腕を交差させてガードする。しかし、180cmを超える巨漢の一撃は想像以上に重く、衝撃が全身を駆け巡った。


「ははっ、やるな!」


軽口を叩く三嶋の声が遠ざかる。内臓を揺さぶられる鈍痛に息が詰まり、一瞬意識が霞む。さらに悪いことに、吹き飛ばされた先で後頭部がドアノブに激突した。


ガンッ!


鈍い音とともに視界が弾け、激しい眩暈が襲う。脳が揺さぶられる感覚に耐えきれず、胃の中のものを吐き出した瞬間、意識が闇に沈んだ。


「茉央っ!」


千裕は茉央の元へ駆け寄ろうとするが、三嶋が行手を遮る。


「おいおい。恋人の心配してる場合か?」


「あいつは妹だ」


至近距離から千裕が発砲をするも、それすらもヒラヒラと避け、そして千裕の銃を蹴り上げる。


だが千裕は蹴られた瞬間、後方へとジャンプすると、腰に手を当て、別の二丁の銃を取り出し、即座に発砲する。


「そんなに乱射して大丈夫かぁ?大切な妹に当たる.....あぁ?」


三嶋は挑発しながら、茉央の方向へと目をやる。自分の巨体で千裕からは茉央の姿は確認できていないはず。その上で何発も撃っていたのにも関わらず、壁に付いた弾痕は、綺麗に茉央を避けていた。


狙いが逸れているのではない。最初から“当てないよう撃っていた”軌跡だった。


「心配どうも」


顔目掛けて飛んでくる三嶋の拳。


千裕は紙一重で避けながら、三嶋の腰にぶら下がる手榴弾に目をつける。


すかさず、片方の銃を捨てるのと同時に手を伸ばし、鮮やかな手際で手榴弾を奪取。ピンを抜き、そのまま足元へ転がす。


「まじか.....!」


三嶋の表情が、初めて人間らしく歪んだ。


千裕の行動は、流石の三嶋でも動揺する。


その一瞬の隙を見逃さず、低く滑り込み、三嶋の股下をすり抜ける。同時に、意識を失い倒れている茉央を抱えて、背後のドアへと突進し、中へと転がり込み、両足でドアを強引に蹴り閉じる。


即席の盾と化した扉の反対側では、ドン!と爆破音が響く。


丁重に茉央をその場に寝かすと、銃を構えながら、恐る恐る三嶋の死体を確認するため、外へと出る。


「あー、まいった.....ぜッ!!」


だが次の瞬間、横からの強烈な蹴りが千裕の横っ腹に直撃し、吹き飛ばされる。


「.....っ!」


腹の奥から熱が込み上げ、口の端からは血が垂れる。体制を崩しながらも、千裕は床を転がり、何とか立ち上がる。


「場所が悪かったか...」


「その通りだ。辺りに死体が転がってる状況じゃなかったら、さっきの一撃で、俺はゲームオーバーだったな」


三嶋は手榴弾のピンが抜かれた瞬間、千裕たちへの追撃を諦め、一体の死体を怪力で掴むと、そのまま手榴弾に覆い被せた。


直後に起こる爆発。


手榴弾の爆破により、飛び散る破片も別の死体を盾のように構える事で、無事で済んだようだ。


「あの女といい、お前といい、気に入ったぜ?」


「そりゃ、どうも.....」


「若そうな見た目のくせに.....その強さ。そうか!お前らが噂の生まれながらの兵マーシナリーチルドレンか」


未だ痛みが全身を襲う千裕は、会話を続けながら、吹き飛ばされた際に落とした銃をどう拾うか模索する。


「霧島から聞いたのか?」


「違う。この世界に長くいると、自然とお前らの情報は耳に入るぜ?」


「.....全く。完璧を豪語するくせに、情報管理が甘いな、うちの組織は」


千裕は僅かに息を整えながら、再び銃を視界で捉える。銃は三嶋と千裕の丁度中心に落ちている。互いの身体能力の差を考えると、同時に拾いに行ったとして、先に銃を拾えるのは三嶋だ。


「完璧なんてあり得ないって話だ。で?まだやれそうか?」


三嶋は余裕を崩さないまま、腕を軽く回しながら千裕を見下ろす。


「やれない.....といったら見逃してくれる?」


「霧島さんを諦める。ならな」


「無理な相談というわけか」


千裕は薄く笑いながら、ジリジリと足を動かし、少しでも銃へ近づこうとする。だが、三嶋が見逃すはずもなかった。


「この銃がそんなに欲しいか?」


「普段ならもっと武装するんだがな。生憎、潜入のために殆ど武装してなくて」


「ほらよ」


三嶋は前へと歩くと、足元の銃を千裕に方向へと蹴った。警戒しながらも、千裕はそれをゆっくりと拾い上げる。


「.....何のつもりだ?」


「この体格差だからな。それにお前は肉弾戦が得意じゃないだろ?ハンデさ」


「礼の代わりだ、受け取れ」


千裕は言い終えるのと同時に、容赦なく三嶋へ向けて発砲するも、三嶋は素早く身をかがめて避ける。弾丸は空を切り、壁に命中した。


三嶋は再度歩み寄り、今度は千裕の懐に入り込もうとする。


千裕は反応するも、その動きにすぐさま対応するには体力が足りていない。三嶋の一撃が次々に飛んでくる。拳が千裕の顔面をかすめ、肩をかすったかと思えば、反対の拳が背中に強烈な打撃を与える。痛みと衝撃で一瞬フラつき、足元が定まらない。


鼓動が一拍遅れて全身に返ってくる。視界の縁がわずかに暗く滲んだ。


だが千裕は意地を見せ、左足のつま先と、右肩にそれぞれ銃弾を浴びせる。


「どうした?攻撃はもう終わりか?」


千裕は歯を食いしばりながら、再び銃を構えるが、次の瞬間、三嶋の力強い一撃が胸に命中し、息を呑む。痛みに耐えつつも、千裕は冷静に自分を取り戻そうとするが、それは叶わない。


「.....肉弾戦は苦手なんだよ」


「だろうな。お前ほど卓越した銃の腕前があれば、大抵の敵は近づく前に終わる。それが仇となり、肉弾戦への対策が疎かになるって訳だ」


「だから.....肉弾戦は.....いつも茉央に任せてる」


力なく三嶋に向けて残る弾を全て撃つも、最早的が定まっておらず、その場で佇んでいるだけの三嶋に1発も命中しなかった。


「ははっ!どこを狙ってやがる」


弾切れになった銃を捨て、指で銃の形を作り、三嶋へ向ける。


「頭打ったか?」


「バン.....」


次の瞬間、三嶋は後頭部に強い衝撃を覚え、前へと倒れた。


「偉いぞ、おにぃ!よく頑張った!」


「.....遅いぞ」


頭から血を流しながらも、親指を立て満面の笑みを浮かべる茉央。


「ごめんて」


「あー疲れた。とりあえず、三嶋はお前に任せる」


「おにぃは?休憩?」


「そうだ.....と言いたいが、呑気な事してると、ターゲット霧島が逃げそうだからな」


「だね!私もこいつぶっ倒したら、すぐ向かう!」


千裕は頷くと、両手で頬を叩き気合を入れ直す。そして、霧島が消えた方向を見据え、すぐに走り出した。


三嶋と茉央の間に静かな緊張が走る。


「ようやく起きたか」


「うん。仮眠が取れてようやく薬の影響が無くなった。.....つまり絶好調だよ」


茉央は笑顔のまま、疾風のように三嶋に向かって突進する。


だが、三嶋の反応は素早かった。茉央が踏み込んだ瞬間、彼の拳が彼女の顔面を狙って迫る。しかし、茉央はその動きを的確に読み取っており、素早く身を捩って攻撃をかわす。


「遅いよ」


茉央の俊敏な動きが三嶋の攻撃をすり抜けさせる。次の瞬間、彼女は一気に腰を使って三嶋の顔面に片膝を叩き込む。怯んだところを続け様に左の拳で追撃。


一度間合いを取ってから、素早く三嶋の懐へと潜り込む茉央。三嶋も負けじと攻撃を仕掛けるが、

素早い足さばきで避けながら前進し、隙を突いて数発のパンチを叩き込む。


「クソが.....ッ」


三嶋の表情に少し動揺が見える。茉央の動きが予想以上に速く、肉体的にもかなりの強さを誇っていることが彼の自信を揺るがせていた。


「足痛そーだね?」


茉央は冷やかし半分笑いながら、次の一撃を放つ。三嶋はそれを避けきれず、肩にダメージを受けて後退するが、その隙を見逃さず茉央はさらに一歩踏み込む。


「ぶっ殺してやる!」


三嶋は怒りをあらわにして反撃を試みるが、茉央は巧妙にその攻撃をかわし、隙間を見つけて強烈な肘打ちを三嶋の脇腹に打ち込む。三嶋が苦痛に顔を歪ませると、茉央は一気に距離を詰め、右フックを見舞う。


茉央の勢いに押され、三嶋は体勢を崩し、倒れる寸前まで追い込まれる。


「おにぃは、始めからおじさんを私が倒すって作戦だったんだよ」


「ちっ.....みてぇだな。あいつはダメージ覚悟で、俺の攻撃をくらいながらも、利き手と利き足を見切り、タイミングを見計らい、的確な射撃で弱体化させて.....あー、最後の乱射も、お前の接近を悟らせないためか.....できた兄貴だ」


「うん。おにぃはすごいよ」


「あーちくしょー!ハンデなんか与えるんじゃなかったぜ」


三嶋の表情は言葉とは裏腹に、清々しいものだった。


「ほら、俺の負けだ。さっさと殺して兄貴のところに合流してやれ」


三嶋の言葉に、茉央は一瞬考える素振りを見せるが、すぐに銃を取り出し、発砲する。


「っ.....」


弾は左肩を撃ち抜き、被弾した三嶋はその場で大の字に倒れた。


「じゃあね!」


「何のつもりだ.....?」


「おじさん、強かったし良い人そうだもん。それに.....ターゲットじゃないからね。殺す必要ないかなーって」


「それは.....俺に対する侮辱だぞ」


「ちっ、ちっ、ちっ!.....アレだよ。は勝者が握れるっておにぃが言ってた。つまり勝った方が、相手を好きにできるってことだよ」


「生殺与奪だろうが.....ちっ、くだらねぇ」


「ふふっ、じゃあね」


茉央は三嶋を無視し、あっさりと足を動かし始める。彼女の背中には、勝者としての余裕が漂っていた。


「久しぶりに.....楽しめたな」


三嶋が力なくその背中を見送る中、茉央はただ一度振り返る。


「おじさん、私の方が強いから、またいつでも相手するよ!待ってるね」


その言葉に、三嶋は何も言わず、ただ苦笑いを浮かべた。茉央の足音が遠ざかり、彼女が去った後、死体だらけの通路の静けさが一層際立った。


同時刻、霧島を追う千裕。


「無駄に警備の多いことだ……」


呆れたように呟きながらも、千裕の足は止まらない。


霧島の姿はすでに見えないが、進行方向は分かっている。逃がすわけにはいかない。


(急がないと……)


だが、そう簡単に追わせてはもらえない。


霧島の手勢でたる警備員たちが次々と現れ、銃を構え、逃走経路を塞ぐように立ちはだかる。


「邪魔だ」


千裕は迷わず引き金を引いた。


銃声が鳴り響き、頭部や心臓部を正確に撃ち抜く。無駄に弾は撃たない。ただ、霧島を追う道を確保するためだけに撃つ。


倒れ込む肉体を踏み越え、滑る床を蹴って前へ進む。手元の銃は熱を帯び、金属の匂いが鼻を刺した。


それでも、倒しても倒しても、次の敵が現れる。


「……チッ、時間の無駄か」


舌打ちし、即座に別のルートを探る。真正面から突破するのが最善とは限らない。


千裕は視線を巡らせ、建物の構造を瞬時に把握する。迂回する道はあるか、より効率的に霧島へと迫る手段は——


(ワイヤーならある.....)


天井を見上げれば、いくつもの金属製の梁が張り巡らされている。構造上、整備用のワイヤーがいくつか設置されているのも確認できた。


(あれを使えば.....)


千裕は素早く腰に装着したワイヤーを取り出し、的確に梁へと射出。瞬時に巻き上げられ、身体が宙へと浮かび上がる。


「——っ」


直後、警備たちの銃口が向けられるが、千裕の動きはそれを上回った。ワイヤーの勢いを利用し、天井近くまで一気に移動すると、次の梁へと飛び移る。


まるで蜘蛛のように宙を駆け抜ける千裕を、地上の警備たちはただ見上げるしかなかった。


「追え——!」


慌てた指示が飛ぶが、すでに千裕は次の地点へと移動を開始している。


(このまま進めば、霧島のルートを先回りできる)


千裕は冷静に状況を分析しながら、さらに加速した。


千裕は梁の上を滑るように移動しながら、下の状況を確認する。


(霧島の姿はまだ見えない……だが、そろそろ行き止まりのはずだ)


警備たちが混乱し、無駄に警戒範囲を広げているのを確認すると、千裕は一気にワイヤーを巻き取り、地上へと降下した。着地と同時に膝を軽く曲げ、衝撃を吸収しつつ、すぐに駆け出す。


直後、警備と千裕を遮るように防火用のシャッターが勢いよく落ち、道を塞いだ。


「瀬奈の仕業だな......助かるよ」


千裕は監視カメラに軽く会釈をした。


そして長い廊下を抜け、カーブを曲がる。


行き止まりのはずの場所だったが、そこで待ち構えていた霧島は、壁に手を当てると、外へと繋がる階段が出現した。


おそらく非常用の隠し通路だろう。金属製の階段が軋み、夜気の冷たい風が流れ込む。


「しつこいな君も」


「仕事だからな」


千裕は冷たく返す。


「三嶋くんでもダメだったか....」


霧島は腰から銃を取り出し、即座に千裕に向けて発砲する。だが棒立ちの千裕にですら、1発も当たることがなかった。


「現場経験はゼロなんだな。創設メンバー様は」


「素晴らしい。本当に君たち兄妹は素晴らしいな。普通この距離で銃を向けられたら、プロでも反射的に体が動くぞ」


「.....」


千裕は無造作に眼鏡を押し上げ、霧島に鋭い視線を送る。


「今回の依頼者.....政府関係者だと聞かされているだろうが、それは嘘だ。本当に依頼をしたのはこの私自身だ」


「.....何が目的で?」


「私はね。今から丁度40年前に、国内初となる大規模テロを目の当たりにし、君たちと同じ年の頃に初めて、日本の未来を憂いた」


「スカイタワーの爆破だろう。確か主犯は[クロユリ]って犯罪組織だったかな?」


「おや、よく知ってるね」


霧島は満足げに頷いた。


「どうでもいい話だ。僕はお前とお喋りしに来た訳じゃない」


そう言って千裕は、霧島へと銃口を向ける。


だが、それでも話を続けようとする霧島へ、千裕は容赦なく発砲した。


「まぁ、いいじゃないか」


銃弾は霧島の眉間へと真っ直ぐに飛ぶが、霧島は肘を顔の前で曲げてガードの構えを取る。


直後に銃弾は霧島の腕に直撃するが、火花が飛び散るばかりで、その腕は無傷だった。


「その防弾スーツ、かなり高性能だな」


「金ならいくらでもあるからね。伊達に社長はしてないさ。で?話を続けてもいいかい?」


千裕は一瞬考えたが、霧島がこの場から逃げる心配はないと判断し、静かにため息をついた。そして銃口を下げ、顎をしゃくって続きを促す。


「ありがとう。やはり君は話が分かる子のようだ」


霧島は薄く笑いながら、ゆっくりと腕を下ろした。


笑顔の端に刻まれた皺から、長年の苦労がにじみ出る。


「それで?[クロユリ]を潰すために組織を作ったとでも?」


千裕の問いに、霧島はかぶりを振る。


「いや、それは違う。私は[クロユリ]などどうでも良かった。だが、あれは調べれば調べるほど未然に防ぐことが可能だったと感じた。にもかかわらず、日本政府は米国の操り人形だ。自国を守るために動くことすら、米国の許可と支援がなければ不可能だった。だからこそ、全てが後手に回り、テロが成功してしまった」


霧島の語気は徐々に熱を帯び、その表情には怒りが滲み出ていた。


瞳の奥に浮かぶ回想の影は、四十年前のあの日の爆音と黒煙と人々の悲鳴を呼び起こしているようだった。


「原因は明白だ。第三次世界大戦の際に、日本は武器を取るのではなく、国防のすべてを米国に委ねた。 それが全ての元凶だ」


ドンッ——!


霧島の拳が壁を強く叩く。


その瞬間、千裕は警戒心を強め、一度下げた銃を再び構えた。


「……私は考えた。この国の武力の弱さをどう補うべきか、と」


霧島は荒い息をつきながら、千裕を真っ直ぐに見据える。


「そして出した結論は、“国家の軍隊を超える戦闘集団を作る” というものだった。だが生憎、私には人を惹きつけるカリスマ性がなかった」


霧島は薄く笑う。皮肉交じりの微笑みだが、その背後には寂しさも混じる。


「だが、そんな私の前に現れた男がいた。黒崎だ。彼は、私が持たなかったカリスマ性を持っていた。結果として、私の考えに同調してくれた彼を主軸に生まれた組織こそ.....」


「アコナイトってわけか.....」


「そうだ。組織は急速に成長を続けたが、残念な事に、黒崎を始め、幹部としてのポジションについた私以外の創設メンバーたちは、武力を単なるビジネスに転用するようになった」


霧島は一瞬、目を閉じて静かに息を吐いた。


「同じだと勘違いしていたが、彼らと私は根本的に違った。しかし、裏社会での地盤を築くことには成功し、確固たる地位を手に入れた」


彼は冷徹に続ける。


「私はね、それでも組織に可能性を感じているんだ。現[大樹]の隼斗くんは私を除く創設メンバーを消した。力が足りない者は足枷に過ぎない。必要な者だけを残し、彼はより組織を強く作り直したんだよ」


霧島は肩の力を抜いてから、じっと千裕を見つめる。


「そして今、私は思うんだ。隼人くんこそが、このアコナイトを完璧に引き継ぐべき人物だと。彼は、私が持っていたすべての欠点を補い、逆に私が持ち得なかった才能を持っている。完璧に組織を導けるだろう。これから先、組織は更なる繁栄を迎え、私が成し得なかった支配を実現する」


霧島の目に、ある種の安堵と誇りが見え隠れする。


「だからこそ、私の仕事は終わりだ。過去の腐敗。その責任を取るべき最後の1人は私だ。私は死を選ぶ。だがそれで終わりではない。霧島グループがアコナイトに吸収され、黒崎隼人のもとで再編成されれば、この組織は間違いなく日本の覇者となるだろう」


霧島は静かに、そして決意を込めて語り続けた。


「私は彼に、すべてを託す。私が築き上げたものは、彼の手の中で花開く。私はその役目を果たしたんだ」


「ちっ.....僕たちはお前の手のひらで転がされてたってわけか」


「そうさ。実はな、今回の大規模な模様し物を企てたのも、ひとえに組織を試すためだったんだ。」


霧島の声には、どこか冷静な響きがあった。


「私は隼人くんに頼んだ。アコナイトのNo.1を派遣してほしい、と。だが、来たのは君たち兄妹だった。」


霧島は一瞬の間をおいて、思い出すように目を閉じる。


「最初は驚いたさ。私が求めていたのは、最も力を持つ者。組織の真の実力を示す者だ」


霧島は、ゆっくりと息を吐くと、視線を鋭く千裕に向けた。


「だから、No.1の赤城あかぎくんではなく、君たちが来た事には正直ガッカリしたさ。でも.....今は違う」


霧島は満足げに微笑むと、続けた。


「君たち兄妹は、私の期待以上の働きをしてくれた。感謝する」


「おにぃ!」


そこへ駆けつける茉央。


「三嶋くんは負けたんだね。彼の強さは組織幹部に匹敵すると高く買っていたのだが......」


「とーぜん!あんなおじさんなんかに負けないよ!」


「.....だな」


「そうか。なら最後の相手は私が勤めよう。」


その言葉を口にした霧島の顔には、挑戦者としての覚悟と、どこか勝者のような微笑みが浮かんでいた。彼の心の中では、すでに決着がついているかのような落ち着きが感じられる。


それは死を覚悟した者だけが持つ静かな余裕だった。


千裕と茉央はその言葉を受け止め、互いに視線を交わす。二人の間に流れる緊張感は、今まさに最高潮に達していた。


霧島が示した挑戦の意志を受けて、兄妹はその場に立つ。


「少し待て。こんな狭いところでは楽しくないだろう。屋上でやろう」


千裕と茉央は互いに顔を見合わせる。

そして同時に霧島へと視線を向けて頷く。


「こちらへ」


霧島の後について行き、たどり着いた屋上。


そろそろ夏も近いはずだが、夜の屋上に吹く潮風はとても冷たく感じられるものだった。


兄妹が足を止めるが、霧島は暫く歩き、そして振り返る。


「さぁ、始めるとしよう」


「いいのか?二対一だぞ?」


「構わない。さぁ.....来いッ!」


霧島は腰から銃を取り出すと、即座に発砲する。


先ほどとは違い、霧島の放つ弾丸は空気を裂く鋭い音とともに、銃弾が一筋の軌跡を描き、正確に千裕の顔へと飛ぶ。


それを間一髪で身を捩り、避ける千裕。


「さっきのも演技か....」


立ち止まっていては撃たれると判断した2人は、お互いの逆方向へと、円を描き、霧島を挟むように走る。


千裕はお返しと銃を撃つが、霧島は歳を感じさせない軽快な動きで、最も簡単に銃弾を避け続ける。


「おりゃぁ!」


身体能力の差から、先に霧島の元へ辿り着いたのは当然ながら茉央。


飛び上がり、体重を乗せた拳による一撃を放つも、視線は千裕に向けたまま、背後から迫る拳を避け、片手で茉央の顔を鷲掴みにする。


「放せ.....っ!」


霧島は茉央の顔面を掴んだまま、床へと叩きつけ、コンテナの床に凹みを作る。


「茉央!」


千裕は霧島へ向け何度も発砲するが、全ての弾丸がスーツに弾かれ、火花と金属音が夜の風に散った。


残り少ない銃弾を使い切ってしまった千裕は、銃を反対向きにして握り、走る速度を上げ、霧島へと接近する。


その間に、茉央にトドメをと、顔を掴んだ手を話し、拳を振り下ろすが、茉央は霧島の拳を額で受け止め、弾き返す。


額の皮膚が切れ、血が一筋流れる。それでも彼女は笑っていた。


尽かさず、やってきた千裕は銃を使い、拳を弾かれ隙を見せた霧島の顔面を殴打し、怯んだところを茉央は両手で地面を押し、両足揃った蹴りを腹部に命中させる。


「大丈夫か、茉央?」


「よいしょと」


茉央は体操選手のような柔軟な動きで起き上がり、額の血を拭いながら、千裕に向けてピースをする。


「てか、あの社長の動きおかしくない?」


「おそらく、スーツの下に、組織が開発に臨んでた[電流増筋装置]と呼ばれる補助アイテムを付けてやがる」


「なにそれ?」


「常に身体へ電流を流す事で、筋肉を活性化させて、身体能力を何倍にも引き上げる機械だ」


「え、それさいきょーじゃん!」


「だが、どうしても肉体への負荷が強すぎると実用化には至らなかったはずだが.....見ろ。あの不自然な血管の浮かび方。違法薬物を摂取して肉体への負荷による痛みを緩和してるんだろう」


千裕の言う通り、霧島の首筋と腕には、血管がまるで生き物のように脈打っていた。額には汗が滲み、呼吸は荒い。だが、瞳だけは異様なほど冴え、笑っている。


「本当に千裕くんは物知りだね。知恵は力だ。大事にしなさい」


そう言いながら、再度、銃を乱射する霧島。


射撃の正確性は極めて高く、止まっていれば当たってしまうため、兄妹は常に動き回る事を要求される。


千裕は銃に関する知識や相手の目線、高い計算能力により、着弾地点を予測するという視覚と頭脳を頼りに。茉央は野生の獣のような本能と、極めて高い動体視力により、弾を視覚に捉え、持ち前の身体能力により弾を避ける。


だが、様々な装備のバックアップがあるとはい霧島も負けじと、撃ち返される千裕の弾を避けて見せる。


拮抗した一進一退の戦い。


茉央との近接格闘も卒なくこなしているが、こちらは茉央がやや優勢。だが銃撃戦は千裕と互角。


「ところで、君たちはどのくらいのポジションなのだ?」


手を休める事なく、霧島は兄妹に問いかける。


「サイキョー」


「.....。五華ごかに名を連ねてる」


「なるほど。組織の実力トップの五華.....どうりで強いわけだ」


「あ ちなみに、僕が白木蓮で、茉央は赤彼岸だ」


「あはは、ありがとう。ちなみに私は紫桔梗だった」


「No.2のコードネームか。ただの創設メンバーじゃないってわけだ」

 

「あぁ。だが歳には勝てず、現場からは引退した.....くっ」


その時、ここまで互いに被弾はなかったが、初めて霧島の右肩を銃弾が貫く。鈍い弾鋒音とともに、スーツの繊維が裂け、濃い血が鋭く噴き出す。霧島の表情が一瞬崩れ、呼吸がさらに荒くなった。


隙が生まれた事で、茉央は全速で接近し、霧島の腹に強烈な蹴りを浴びせる。蹴りの衝撃で霧島の体がたわみ、屋上に骨の折れる鈍い音が響いた。


もはや勝利を確信した兄妹は、倒れた霧島へと歩いて近寄る。


力を振り絞り、兄妹へ銃口を向けるが、2人は微動だにしない。


「弾切れだろ」


霧島の銃から、空のスライドが後退する音が響く。


「はは.....最早ここまでか。さぁ一思いにやりなさい」


茉央と千裕は、迷う事なく銃口を霧島へと向ける。


「何か言い残す事はあるか?」


「.....ない」


次の瞬間、2人は同時に引き金を引き、霧島の頭部に2つの風穴が開く。銃声が夜空を裂き、白い煙がひとつだけ残った。


真紅に染まる床に、朧げに月が反射していた。


霧島の体は糸の切れた人形のように動かなくなり、そこに沈黙が訪れる.....はずだった。


しかし直後、霧島の体からは、ピッ.....ピッ.....と謎の電子音が鳴り始める。


怪しく思った茉央は、死体の服を軽く捲ると、そこには爆弾が巻きつけられていた。


「これも試練ってことか.....!?」


「やっばいよ、おにぃ!あと10.....9.....」


「馬鹿か!数えてる暇があるなら逃げるぞ!」


8…7…


「えぇ?どこに?扉には間に合わないよ?」


6…5…


千裕は辺りを見渡すと、すぐに茉央の腕を掴み走り出す。


4…3…


「ちょ、ちょ!そっちは行き止まりだよ?」


2…


「知ってる。飛ぶぞ!」


「無理無理無理!」


「飛ばなきゃどの道死ぬぞ!」


「あぁ....もう知らない!死んだら、おにぃを恨むからね!」


1…


兄妹は手を繋いだ状態で、高く積み上げられたコンテナの上から飛び降りる。


その高さはビルの四階に匹敵する高さ。


0…


何とか屋上から飛び降りる2人だったが、直後、轟音と共に激しい爆発が起こる。爆風の影響を受け、思った以上に外へと体が弾き出された茉央と千裕。


黒煙と炎が夜空を照らし、破片が雨のように降り注いだ。


「ばかぁぁ!落ちるー!」


「いや、落ちてるが正解だ」


こんな状況下でも冷静さを失わない千裕は落ちてから数秒が経過した時、体が何かに引っ張られるように落下が止まる。


千裕は依然、茉央の腕をしっかりと掴んでいる。


「ワイヤーが切れなくて良かったな」


「.....どこに結んでるの?」


「ドアノブだ。霧島を見た瞬間に爆弾の存在には気が付いてたからな。予め、屋上に上がるタイミングで、内ドアの方にワイヤーを括り付けておいた。起爆させる前に殺すつもりだったから.....保険程度に考えてたが、まさか死んで発動するタイプだとは思わなかった」


「だから、態々扉を閉めてたのね.....で?まだ地面までは少し距離あるけど、どうするの?」


「もうワイヤーの長さ限界だ。地面まで精々4メートル程度だからお前なら無傷で着地できるだろ。その後で僕を受け止めてくれ」


「はい?」


「よし、手を離すぞ」


「えっ.....ちょッ!」


そして千裕は本当に茉央から手を離す。


空中で茉央の身体がくるりと回転し、視界に地面が迫る。


しかし茉央は、まるで猫のようにしなやかに、衝撃を足から流し、千裕の想定通りに着地を決める。


「落ちるから受け止めてくれー」


千裕はワイヤーを銃で撃ち、着地の体制になることなく、そのまま茉央目掛けて落下した。


茉央は呆れた顔をしながらも、落ちてくる千裕をしっかりと両手で受け止め.....そして床へと投げた。


「痛っ。何するんだ」


「それはこっちのセリフだぁー!」


「お前なら大丈夫だって.....ちっ」


和やかな雰囲気に水をさすように、2人に向かって数発の銃弾が飛んでくる。


銃を撃つ数人の男たち。さらに遠くから駆け寄ってくる無数の足音。


「……増援か」


千裕は疲れた様子で眼鏡を押し上げた。


「おにぃ、やっちゃう?」


「いや、疲れたから、帰るぞ」


「おっけー!」


2人は即座に駆け出す。


目的地は.....


無数のコンテナが乱雑に積まれた中、薄暗い波止場に、一隻のボートが浮かんでいた。


その上には、田中がエンジンを掛けた状態で待機していた。


「遅いですよ、お二人とも。敵の増援が迫っています、早く乗ってください!」


「悪い悪い、ちょっと遊んでた」


千裕が軽く肩をすくめながらボートに飛び乗る。


「遊んでたって、おにぃの方は全然そんな感じじゃなかったけど」


茉央も続いて飛び乗り、そのままデッキに無造作転がっていたケースを開ける。


「うっひょー!私が買ったやつ!」


「何だ.....ってミニガンか」


「おにぃ、せっかくだし、ちょっとぶっ放してもいい?」


千裕は一瞬、呆れたような表情を見せたが、すぐに諦めたようにため息をつく。


「……好きにしろ。ただし、撃ち切る前に脱出するぞ」


「はぁーい!」


茉央は満面の笑みでミニガンのトリガーを引く。


ガガガガガガガガガ!!!


回転式の銃身が高速回転し、怒涛の弾幕が、兄妹を追ってきた敵たちへと降り注ぐ。


「いぇーい!やっば!これめっちゃ楽しい!!」


敵の進路を強引に塞ぎ、銃撃を封じる。

地面がえぐれ、コンテナが弾け飛び、敵は慌てて身を隠すしかない。


「よし、満足したな?」


「うん!」


千裕が田中へ視線を向ける。


「出せ」


「了解しました!」


田中はすぐさまエンジンを吹かし、ボートは白波を蹴立てて港を離れていく。


ミニガンの存在を強く認知させられた敵の増援は為す術もなく、ただボートが遠ざかるのを見送るしかなかった。

 

「いやぁ、スッキリした!」


ミニガンを抱えたまま、茉央は満足そうに伸びをする。


「どうして最後にぶっ放したがるんだ、お前は……」


千裕は呆れた表情を浮かべたが、茉央はケラケラと笑っていた。


その笑い声は、さっきまで命の奪い合いをしていたとは思えないほど明るく、夜の海に溶けていった。


「すみません、お二人とも。これよりしばらく全速で離脱します」


田中は真剣な顔で舵を握る。


「いやぁ、田谷がいて助かったよ。やっぱ足があると違うね!」


「田中です。当然、私はお二人のサポートが仕事ですから」


「お前も大変だな、こんな奴の相手」


「そうですね……ですが、やりがいはあります」


田中は苦笑しつつも、エンジンを最大まで吹かす。


ボートは闇の海へと消えていき、コンテヤードには、燃え盛るコンテナと倒れた敵だけが残された


後日────


霧島との戦いから数日後、高澤兄妹と田中、そして瀬奈の四人は慰労会を開くことになった。


場所は高級完全会員制ホテルのスイートルーム。天井には豪奢なシャンデリアが煌びやかな光を落とし、窓の外には夜景が一面に広がっている。


酒と料理は千裕と茉央が用意し、ホテルは瀬奈の力で借りている。


そして今、仕事の疲れを吹き飛ばす宴が始まる!


「で、では恐縮ではありますが、この田中が、乾杯の音頭を取らせていただきます!」


珍しく田中は誇らしげな顔をしていた。


「今回の大規模な依頼の完遂!そして今日は茉央さんの誕生日です。それらを祝し────」

『────かんぱーい!!』


「……あっ、か、かんぱい!」


田中の音頭は、茉央と瀬奈のフライングであっさり流された。


千裕も特に気にせず、アルマヴィーヴァが注がれたワイングラスを傾ける。


「……私の立場が……」


「まぁまぁ、堅いこと言うな田中。お前がいなかったら、装備も届かなかったし、脱出も手間取ったはずだ」


「そ、そうですよね!?田中、超重要ポジションでしたよね!?もっと労ってくださいよ!」


「おにぃの言う通り!ありがとー、たーなーかー!」


茉央が勢いよく田中の背中を叩く。バンッ、バンッと乾いた音が響き、田中の眼鏡がずれかける。


「ぐっ、ゴホッ!や、優しく……!ま、茉央さん、まだ成人して間もないのに.....もうかなり飲んでますね!?」


「飲んでるよぉ!祝いの席にお酒は必須でしょー!」


「ですよねぇ!……って、ちょ、瀬奈さん!?なんでウイスキーを瓶ごと一気飲みしてるんですか!?」


「えっ?千裕くんが今回の報酬で高級なやつ揃えてくれてるから.....せっかくだし?」


「せっかくだし、じゃないですよ!?しかも強い!!」


瀬奈は涼しい顔で瓶を空ける。


「まぁまぁ田中さん。戦いの後は、飲んで食べて騒ぐのが一番よ?」


「立川さんが言うと、裏社会の怖いパーティみたいになるんですよ!てか、噂に聞いてた雰囲気と違いますね」


「あーあれだ。瀬奈は、酒飲むと大胆になるタイプだ」


「な、なるほど.....」


千裕も珍しく楽しそうに、談笑しながら料理を口に運んでいたが、ふと茉央に視線を向けた。


「……で、お前、最後のミニガン乱射、あれは必要だったのか?」


「いるに決まってんじゃん!態々今回のために買って、撃たないで帰るとか、もったいなさすぎるでしょ!?」


「いや、立て替えた上でお前から金が帰ってきてないから、あのミニガンはまだ僕のだ。あと弾代、追加請求しとくぞ」


「……え?」


「1発300円。1000発くらい撃ってたから、ざっと30万円な」


「えぇぇぇぇ!?まじぃ〜??」


「うわぁ〜千裕くん鬼だねぇ」


瀬奈は絶望の表情をする茉央の肩に手を回しながら、笑っている。


茉央は涙目になりながらも、酔った勢いでテーブルの上のワインボトルに手を伸ばす。


「マジ。しかも組織の規定的に、ミニガンの使用は基本的にはNGだ。罰則もあり得る」


「あっはは!茉央ちゃんやばいんじゃない?」


ワイン口に含んでいた茉央は、顔が青くなり、口の端からはルビー色の液体が溢れていた。


ごぼっ......ゴボゴボゴボゴボどうしよう......」


「.....まぁ、その件は既に処理してあるから、安心しろ」


その言葉を聞いた茉央は、ワインをごくりと飲み込み、ぱあっと笑顔が咲いた。


「おにぃー!好き〜!!」


「抱きつくな。あと酒臭い」


「むぅ……」


そんな光景を眺めながら、田中はグラスを持ち上げる。静かに酒を飲みながら、「この人たちと働いてる自分すごいな…」と心の中で呟いていた。


「……まぁ、何はともあれ、生きて帰れたことが一番ですよね」


「うんうん!いやー、ほんとに死ぬかと思ったよ!」


「毎回思ってるよな、それ」


「毎回ギリギリだからね!」


「ちょっとは学習しろ」


「えー、無理無理!だって、私が大人しくしてたら、おにぃがつまんなくなっちゃうもん!」


「……」


千裕はため息をつくが、どこか呆れながらも微笑んでいるようにも見えた。グラスを傾け、赤ワインの香りを楽しむ余裕すらある。


「まぁいい。……とりあえず、今日は食って飲んで休め」


「おっけー!じゃあ田中、とりあえずグラス飲み干して?次のお酒開けたいし!」


「えっ!? い、いや、私はこれ以上は……」


「いいから飲めぇぇぇ!!」


「ひぃぃ!!」


茉央は田中の背中に飛びつき、強引にグラスを傾ける。田中は必死に顔を背けるが、茉央の力に押されて喉へ酒が流れ込む。


その横で瀬奈は優雅にチーズをつまみながら、面白そうにニヤリと笑っていた。


千裕は完全にスルーし、テーブルの料理を淡々と口に運び続ける。シュリンプカクテル、ローストビーフ、豪華な皿が次々と消えていく。


その後、田中は茉央に無理やり酒を飲まされ続け、1人泥酔して床に転がることになるのだった────。


次の仕事が始まるまでの、ほんのひとときの平和な時間。


しかし、そんな時間は長くは続かない。


だが、それはまた別の話である。


「あの一件から、もう1年経つのか.....」


「はやいねー」


相変わらず兄妹は、仕事に追われる日々を送っていた。


『続いてのニュースです。霧島グループは今日────』


千裕は無慈悲に銃弾を敵に撃ち込みながら、オフィス内にあるテレビのニュースを見て、一年前の出来事を思い出す。


霧島宗介の突然死。大企業の社長の訃報をニュースは連日取り上げていたが、事件を匂わせるような報道は一つもなかった。


どうやら組織は、霧島グループを裏からスムーズに吸収するため、オークション会場にいた人物全員を消したようだ。そして、一連の出来事はクルージング中の不慮の事故として処理された。


霧島グループは、霧島宗介の娘である霧島桃香きりしまももかを新たな代表取締役社長とし、その後も問題なく経営を続けている。


だがそれは表向きの話。


裏話は違う。本当の霧島桃香は既に組織の手により消されている。


今、社長として君臨しているのは、偽装班により生み出された組織の構成員。


霧島宗介の狙い通り、霧島グループは完全に組織に吸収されたのだ。


「はぁ.....面倒くさいな。組織の規模がさらに大きくなったことで、より忙しくなった」


「終わったら、また4人で飲みに行こうよ!」

 

「....いいね」


2人は暗い路地の隅で、銃弾の雨から身を隠しながら、静かに笑みを交わした。互いに銃の弾倉を確認し合い、そして頷く。


「よし、さっさと終わらせよう。」


「あいあいさー!」


千裕が先に動き出し、茉央がその後を追う。


角から姿を現した二人は、任務を果たすべく、再び歩みを進めた。


end

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