風の通り道で、君に会った

風の通り道で、君に会った

港の風は、少し塩気を帯びていた。

圭介は波止場のベンチに腰を下ろし、カメラを構える。雲の隙間から光がこぼれ、海が銀色に光った。


「すみません、駅ってどっちですか?」

振り向くと、リュックを背負った若い女性が立っていた。

日焼けした頬に風が当たり、瞳がまっすぐで——なんというか、眩しかった。


「反対方向だよ。あっちに一本道。……地元じゃないでしょ?」

「ええ、初めてなんです。途中で乗り換えを間違えちゃって」

そう言って、彼女は少し照れくさそうに笑った。


名前は宮原梨花。

東京でデザインの仕事をしているが、最近うまくいかず、ふと旅に出たのだという。


「逃避行、ってやつです」

「偶然だな。俺も似たようなもんだ」

「えっ、写真家さんが?」


梨花の瞳が輝いた。

彼女の反応が、まるで遠い昔に置き忘れた“夢を見る目”のようで、圭介は思わず笑ってしまう。


夕暮れ、二人は海沿いの小さな食堂で再会した。

「また会いましたね」

「この町、小さいからな」


同じ席で食事をし、カメラを見せ、笑い合ううちに、年齢のことなど忘れていた。

梨花はスケッチブックを取り出し、圭介を描いた。

「ほら、ちょっと渋くていい感じですよ」

「渋い、か……。老けてる、って意味じゃないのか?」

「ちがいます!」

そう言って、梨花が笑う。

その笑顔に、圭介の心は完全にほどけた。


夜、灯台の下で、梨花がぽつりと言った。

「私、また明日も来ていいですか?」

「もちろん」


けれど翌朝、梨花の姿はなかった。

宿の机の上に置かれていたのは、彼女のスケッチブック。

最後のページに描かれていたのは、昨日ふたりで見た灯台。

そして小さな文字が添えられていた。


「あなたの写真の中に、私を残して」


圭介はそっとページを閉じ、海へとカメラを向けた。

シャッターの音が一度だけ響いた。

そこに映る空の青さは、あの日の彼女の瞳と同じ色をしていた。

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風の通り道で、君に会った @nobuasahi7

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