24 話【佐田原王芭】
「よぉ、釈迦堂。随分バケモンみてぇな姿になってるじゃねぇか」
鈍い衝突音が響く。
佐田原は振り下ろされた釈迦堂の刀を片腕で受け止め、その刃を押し除けるように力を込める。
金属がきしみ、床に靴底がめり込むほどの力のぶつかり合い。
それでも、彼の表情には一片の焦りもなかった。
「ダれだ…?知らネェ、ナ、」
釈迦堂の声は濁り、喉の奥で泡立つように掠れている。
理性の形を失った眼が、佐田原の顔を捉えてもなお焦点を結ばない。
血管の浮き出た腕が震え、管の中を流れる液体が佐田原に押し除けられた勢いで異音を立てた。
「なんだよ、覚えてねぇのか?かつては三代極道の一角、九頭龍会傘下・秋山組の組長をやってたんだがなぁ」
「秋山組の組長って、4代目のあの佐田原王芭…ッ?!」
燕の声が反射的に漏れた。
かすかに息を呑む音が周囲に連鎖し、空気がわずかに震える。
「なんだ、知ってるのも居るじゃねぇか。お前が異能対策室の新人班長か?よく調べてるじゃねぇか。」
「当たり前です…秋山組もとい九頭龍会は警察にとってっ!」
燕が言葉を続けようとしたその瞬間、佐田原が遮った。
「そんな話は後にしろ新人ちゃん。おい、
静まり返った倉庫にその名が響いた刹那、空気がわずかに揺らぐ。
空間が変わった。
誰もいなかったはずの場所、時陰のすぐ隣から軽い声が響く。
「はいはい、ここに居るよ」
「(え…いつから隣に!?)」
時陰は反射的に身を引くが、その目に映ったのは、まるで霧の中から滲み出るように姿を現した一人の男だった。
「例の”回収”は任せるぞ」
「了解了解…はぁ、よりによって回収の相方がこの人だなんて…ついてないわ俺」
軽口を叩くように言い残し、海上の姿は空気に溶けるように掻き消えた。
佐田原は釈迦堂に向かって、ゆっくりと歩みを進めた。
「秋山組ノ佐田原…行方不明っテ、聞いテたんだが、生キテた、のか…」
「ま、色々あんのさ。それよりも随分と苦しそうじゃねぇか。その擬似能力、テメェの血を吸ってんだろ?粗悪品でよくやろうと思ったな…」
「黙レ。粗悪品だろウが、関係ネェんダよ…!」
その叫びは、もはや人間の声ではなかった。
刀から伸びた管は脈を打つたび、まるで生き物のように蠢き、釈迦堂の体を締め上げる。
血液が逆流するたびに、彼の身体はびくりと跳ね、呻きが漏れる。
それでも、瞳の奥に宿る戦意だけは、決して消えなかった。
釈迦堂は叫びと共に刀を振り下ろした。
空気が裂け、吸い上げた血によって熱された液体を纏った刃がの風が走る。
「まぁ、誰だって思惑の一つや二つぐらいはある…か。」
灰色に変色した掌が、その振り下ろされた刀を掴んだ。
刃は掌にぶつかり、滴る液体が服を溶かし、床のコンクリートを焦がす。
「力の絡繰はその管だよな?」
佐田原は動じず、そのまま釈迦堂の身体に刺さった管を掴み、力任せに引き抜く。
「止メろ…!?触んジゃ…」
「ったく、なんだこの管?蛭みてぇな形してやがんな…」
管が抜かれるたび、肉の裂ける音が響き、釈迦堂の体が小刻みに震える。
最後の一本を引き抜かれた瞬間、彼の膝が砕けたように床へと沈み込んだ。
「無力化した…」
燕はただ、佐田原の背中を見つめていた。
人間離れした、静かな“威圧”を放つその背中を。
「何者…なの…」
時陰の声が震える。
足に力が入らず、その場に崩れ落ちる。
その光景に誰も言葉を継ぐことができなかった。
「おい
低く掠れた声が、静まり返った倉庫の中に響いた。
佐田原の声に応えるように、空気が揺らぎ、
そこに“何もなかった”空間から、ゆっくりと一人の男が浮かび上がる。
「この久道で回収は終わるよ」
その肩には、行方不明となっていた野党の
「そうか。なら、さっさとここ出て榊昴の野郎追わねぇとだな」
「待ってください。彼らをどうするつもりですか!」
燕の声が鋭く跳ねた。
「処理だよ」
「しょ、処理?」
「日本の政治家や著名人の遺体がここにあった。それが世間に知れてみろ?異能犯罪は激化し、国民の不安は大きくなるだけだ」
佐田原は淡々と告げた。
「そういう事。だから俺達がそれを処理すんのさ。行方不明としたままでね」
「待ち、やがれ…そんなこと俺たちが見逃すわけねぇだろ…」
乾ききった血で赤黒くなったスーツの上から、竜崎は斬られた肩を押さえ、息を荒げながら言葉を吐き出す。
その目は怒りに満ちていたが、すでに身体は限界に近かった。
「…その怪我で俺達とやるつもりか?死に急ぐのはバカのすることだぜ」
佐田原の言葉は、嘲りではない冷たい現実認識だった。
その瞬間、
トゥルルルルル♪
佐田原の腕に装着されたデバイスから通信音が鳴る。
彼は手首を軽く傾け、無表情のまま応答した。
『あ、隊長?
「どうした。」
『榊らしきメンズみっけた〜。今、多摩方面に向かってる。うゆちゃんと追ってるよ〜
それに含めて、他の部隊も動いちゃってるっぽいよ〜
ってなわけで海上隊長と共にカムバ〜ック』
「わかった、すぐに合流しに行く」
通信を終えると、佐田原は一言も残さず踵を返し、倉庫の出口へと歩き出した。
その背中は、圧倒的な静けさを纏っていた。
「んで、佐田原。あの釈迦堂って奴はどうする?」
「…そのヤクザ崩れは俺達の仕事に関係ねぇから放っておけ」
「そうか」
海上は軽く肩をすくめ、そして音もなく姿を消す。
空間に波紋のような揺らぎだけが残り、それもすぐに消えた。
「待ってください。…貴方達はいったい何者なんですか!ただの極道と付き人じゃないですよね?」
燕の声は、怒りでも疑問でもなく、ただ“人間としての感情”の叫びだった。
その言葉に、佐田原はわずかに立ち止まる。
背中越しに、冷たくも重い声を落とす。
「…覚えとけ警視庁の異能対策室。俺たちは警察庁対異能排除特殊異能部隊。通称【No Trace】だ」
その名が落とされた瞬間、空気が凍った。
誰も言葉を発することができない。
そして――
二人の姿は、音もなく夜の闇に溶けていった。
「…異能対策室…【No Trace】…俺の邪魔しやがって…」
釈迦堂がゆっくり口を開いた。
管に吸われた血のせいか掠れ、声は震えを帯びていた。
「釈迦堂さん…聞きたい事が山ほどあります。 話を聞かせてください。貴方は真能連盟の信徒なのですか?」
燕は静かに、しかし確かな求心力を伴って問いかける。
「…違え」
短く、しかしはっきりとした否定を釈迦堂はした。
「なら何故、榊昴の様な人間に手を貸したのですか?」
燕の問に、釈迦堂はしばらく口を閉ざした。呼吸だけが耳に残る沈黙。
竜崎の苛立ちがそれに耐えられなくなって先に爆発した。
「黙ってんじゃねぇよ釈迦堂ッ!」
竜崎が声を荒げる。怒声は倉庫の鉄壁に跳ね返り、小さな閃光のように辺りを震わせた。
「竜崎さん…」
神室が竜崎の肩を掴み、制する。神室の眼は真剣で、静かに首を振る。無用な暴発を避けるための一動作だ。
「…釈迦堂さん何か訳があるんですよね?」
燕の問いは変わらない。釈迦堂は、少しずつ、言葉を吐き出すように口を開いた。
「…真能連盟がヤベェ宗教なのは結構前から知ってんだ…」
その一言に続く沈黙で、場の空気がまた一段と重くなる。皆が、彼の次の言葉を待った。
「……妹だ」
釈迦堂は燕の目をまっすぐ見て、短く答えた。その声には、恥でも悔でもなく、砕けそうなほどの切実さが籠もっていた。
「妹さん?」
「あいつは…今真能連盟に入り浸ってる…あそこの信者でまともな状態で帰ってきた奴はいねぇって話だ。そんなところに唯一の肉親を置いとけるわけねぇだろ…!」
釈迦堂の言葉は崩れそうな仮面の中から絞り出された。本気で守りたい者のために狂気へ踏み込んだ男の声だ。燕達は反論する言葉を見つけられなかった。
「唯一のって…肉親は?」
燕の問いに、釈迦堂は一瞬視線を落とす。
「…どっちも10年前に死んだ…あいつがガキの頃にな」
「…そう…」
「だから俺は外側から真能連盟に関わった…用心棒って形で。深く関わっていきゃ、幹部連中に逢える…そうすりゃあ全員皆殺しに出来る…!あの宗教を壊滅できる…!! 俺は、ただ妹を…晴香を助けてぇだけなんだ!」
叫びにも似たその告白は、理性と感情が紙一重で揺れ動く様そのものだった。釈迦堂の拳がほんの少し震え、脈打つ血管が皮膚の下で踊り、管を抜かれて出来た傷跡から流れる血の速度が上がった。
釈迦堂の言葉に燕達は沈黙した。彼が用心棒ではなかった理由が、突然に紐解かれたのだ。そこには、警察としての職務と人としての痛みが同時に立ち上り、動きが鈍る瞬間が生まれた。
「…釈迦堂その刀はどうしたんだ…?榊から貰ったのか?」
竜崎は静かに問いた。
「こいつか?…あそこは真の異能がどうのこうの喚いてる連中だこんなん使うわけも入手する事もねぇだろう… こいつはテールム社の奴から貰った。 俺が真能連盟を殺すための武器としてな…」
釈迦堂の声は乾いていた。理屈と感情が混ざり合う説明に、燕は眉を寄せる。
「テールム社が擬似能力を…」
「それってテールム社が製作したって事かっすかね?」
村崎の言い回しに、神室はすぐに答えた。
「…今の日本で擬似能力を作れるのはイノベーション事務局だけ…話を聞かなきゃいけないわね」
情報の輪郭が一つずつ現れ、燕は反射的に言葉が出た。
「テールム社とイノベーション事務局。紫苑が車出す。」
村崎はそのまま車両へと駆けていった。
「釈迦堂さん、貴方は一度拘束という形をとらせていただきます。事情はどうあれ私達と交戦しています。処罰は後ほど下します。」
「……好きにしろ…その代わり」
「…そっからは後にしろ。乗れ」
竜崎が言葉を遮るように命じ、村崎が静かに釈迦堂を車に乗せた。
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