21話【ニコラシカ】



榊昴の捜索は、初手から大きく躓いた。


刻一刻と時間は過ぎ、気づけば夕暮れ。

沈みゆく陽が、敗北感を煽るように西の空へと落ちていく。


異能対策室の一行は、本部へと戻った。


室内には、最低限の業務的な会話だけが飛び交っていた。誰もが黙り込み、空気は重い。


全員、心の奥で同じことを考えている――榊昴を逃がした。千載一遇の機会を棒に振った。


焦燥と無力感が入り混じる中、次の手を模索するが、有効な案は何一つ浮かばない。


そのまま夜が更け、燕たちは手がかりもないまま翌日を迎えた。


翌朝、全員が揃うと、開口一番に声を発したのは意外にも神室だった。


「提案があるっす。」


唐突な発言に、室内の空気がわずかに動く。


燕は一瞬の間を置いたが、すぐに促した。


「言って。神室くん。」


「俺の知り合いに情報屋が居るっす。東京一の情報力を持ってるって奴っす。そいつに会いに行かないっすか?」


「情報屋?」


竜崎が腕を組み、眉をひそめる。


「安全なんだろうな?そいつは。」


「大丈夫っす。俺が保証するっすよ。」


「神室くん、分かってる? 警察が外部の者と私的に協力するのは、いつの時代も推奨されてないわ。場合によっては――」


「分かってるっすよ。」


神室は食い気味に言った。


「けど、じゃあ次の手が何かあるんすか?」


燕は何も言えなかった。


「……いいえ、無いわ。」


静かに絞り出した言葉に、室内の空気がより一層重くなる。


「なら、なりふり構ってられないんじゃないっすか?」


神室は強い口調で続けた。


「榊昴を放っておいたら危険っす。また襲撃して来るのは榊昴かもしれないし、あいつの信者達かもしれないっす。そうなったら事態はもっと酷くなって収集つかなくなるっすよ。」


彼の言葉が燕たちに重くのしかかった。


「……分かったわ、神室くん。その案に乗せてもらうわ。」


一瞬の沈黙の後、燕はしっかりと頷いた。


「次の手がないことには変わらないわ。なら、少しでも情報が得られる方がいい。」


「紫苑も賛成。何もせずに足踏みしてるよりは、ずっとマシ。」


「そうか。じゃあさっさと行こうぜ、班長。」


「情報屋は池袋の北のBARによく居るっす。」


燕たちは迷うことなく車両に乗り込み、情報屋が出没する池袋のBARを目指して走り出した。


北池袋付近


BAR【SPIN STONE】


その店は長年にわたりこの街の夜を見守り続けてきた老舗のBARだった。洗練された雰囲気と、確かな腕を持つマスターのいるこの店は、北池袋周辺で最も評価が高いと評される場所でもある。


燕たちは、静かにその扉を押し開いた。


店内は薄暗く、暖かみのある照明がバーカウンターを照らしている。奥の棚には年代物のボトルがずらりと並び、酒の香りが微かに漂っていた。カウンター席には、昼間から酒を片手に寛ぐ一人の男がいた。


ニット帽を深くかぶったその男は、どこか飄々とした空気をまといながら、グラスを静かに傾けている。


カウンターの奥では、マスターが無骨な手つきでグラスを磨いていた。鍛え抜かれた肉体を持つその姿は、ただのバーテンダーではないことを容易に想像させる様だった。


マスターは手を止めると、無言のまま燕達を見て、低く響く声で言った。


「……業務はまだだぜ?」


その言葉には、一見無関心を装いながらも、店の空気を乱す者を警戒するような鋭さがあった。


燕は落ち着いた様子で一歩踏み出し、身分を明かす。


「警察です」


マスターは再びグラスを磨きながら、薄く笑った。


「……見りゃ分かるよ。こんな時間に警察がここに何の用だい?酒を飲みに来た感じじゃないよな?」


その眼差しは鋭く、敵意こそないものの、簡単には信用しないという意思を感じさせるものだった。


その時、カウンター席のニット帽の男が静かに言った。


「あぁ、いいよマスター。多分お目当ては俺でしょ?」


マスターを制するように男は静かに笑い、グラスを置いた。その瞬間、燕の隣に立っていた神室が一歩前へ出る。


「瑠璃垣、頼みがある」


男――瑠璃垣晋羽るりがき しんばは、神室の顔を見て、口角をわずかに上げた。


「警察姿、似合わないな、神室」


その一言に、神室はふっと笑う。


「え、神室くん、知り合いなの?」


思わず燕が口を挟むと、神室は気楽な口調で答えた。


「高校の時の同級生なんすよ、こいつ」


瑠璃垣は軽く会釈するように顔を上げる。


「どうも」


「……って言っても、会うのは高校卒業して以来なんすけどね」


「だな。何年ぶりだっけか? てか、よくここが分かったな?」


瑠璃垣は興味深そうに問いかける。


「いや、分かんなかったから調べたんだよ、お前のこと」


「は? おいおい、同級生の身辺調査とか警察の力バリバリに使ってるな〜。さすがは異能対策室。」


瑠璃垣の言葉に、神室は軽く肩をすくめて言った。


「なんだよ、俺たちのこと知ってんのかよ?」


「情報屋だからな。調べた」


「お前もかよ!」


思わず突っ込んだ神室に、瑠璃垣は悪戯っぽく笑う。


二人は顔を見合わせた後、同時に吹き出すように笑った。その様子は、まるで異能対策室の一員ではなく、学生時代に戻ったかのような空気を醸し出していた。


燕達は、そんな二人のやり取りを無言で見守る。邪魔をしないように、カウンター席の後ろのテーブル席へと移動した。


そして数十分が経ち、ふと神室が我に返ったように本題を切り出す。


「……って、思い出話しに来たんじゃないんだよ。瑠璃垣、情報屋なんだろ? 力を貸してくれ」


神室の声のトーンが変わると、瑠璃垣の表情もまた、仕事をする眼へと切り替わる。


「……ま、それが目的だよな。榊昴だろ?」


「!? よく分かったな……!」


「情報屋舐めんな? で、何の情報が欲しいんだ?」


その言葉に、燕が声を発す。


「榊昴のこと、何でも分かるの?」


「まぁ、ある程度はね。勿論、今の奴の居場所も」


「なら聞かせて」


王来が間髪入れずに言う。


しかし、瑠璃垣は困り顔をしながら指先でグラスを弄び言った。


「……一応、情報で食ってるから、それなりには“貰う”ぜ?」


その瞬間、神室が静かに財布を取り出し、カウンターに置いた。


「そこは俺が出す」


「そうか。…まず榊昴、奴の本業は分かるよな?人材派遣の経営者。5年足らずで三社ほど経営してるやり手の男。が、その実態は真能連盟の幹部…それも”司祭”って言われてる。」


「司祭?」


時陰が聞き返す。


「真能連盟に限らず、宗教団体には階級がある。下から入門者、信徒、幹部、導師、司祭、最高指導者、そして教祖。」


「榊昴は上から3番目の階級ってこと…?」


時陰の声がわずかに低くなる。


「そう。教団内で信頼されてるのは基本導師以上って話らしい。」


瑠璃垣は淡々と説明を続けた。


「奴がセミナーをやってるのを知ってるよな?昨日散々騒ぎになってたわけだし。」


「それも知ってんのかよ…」


竜崎が忌々しげに吐き捨てる。


「その異能者支援社会共生セミナーの目的だが、表向きは異能者と非異能者の共存と共生のため、異能に対する理解を深めること。だが、裏ではセミナーにのめり込んだ人間を信者として真能連盟に加入させるのが実態だ。」


「まぁ、予想できたことだな。」


竜崎が吐くように言った。


「真能連盟の入門者や信徒の大半は、このセミナーの受講者で占められてるって話だ。」


瑠璃垣はカクテルグラスを傾け、中身を飲み干した。琥珀色の液体が喉を滑り落ちていく。


グラスをカウンターに置くと、彼は改めて燕たちに向き直る。


「さて、ここからが本題だ。」


店内の空気が微かに張り詰める。


「警察は今すぐ真能連盟から手を引いた方がいい。」


ずっしりと重くのしかかる様な言葉が瑠璃垣の口から出てきた。


「…どういう意味?」


燕が真っ直ぐ瑠璃垣を見つめる。


「理由は二つある。まず、真能連盟の幹部以上は異能者だ。それも知ってるな?その中でも司祭以上は、異能の規模が違う。」


「なんだそれ?規模が違うって、異能に規模もクソもないだろ?」


神室が不快げに眉をひそめた。


「あるんだよ。少なくとも、お前たちが今まで戦ってきた異能者のそれとは全く違う。…異能に対する理解力とでも言えるのかもな。」


瑠璃垣の目が一瞬鋭く光る。


「真能連盟を探るというのは、その”上”を刺激するってことだ。その意味が分かるか?」


彼の声にわずかな怒気が混じる。


「抵抗手段のない非異能者たちは、もっと怯える日々を送る事になる。警察は、それでもいいと?」


「…いいえ。良くないわ…けど、抵抗手段も今後流行するわ!」


燕の声には、確固たる意志が込められていた。


「例の擬似能力だっけ?…あれがどの程度のポテンシャルを持つのか、この目で確かめないと何とも言えない。だが、それでも真能連盟の異能者に対抗できるかどうかは分からない。」


瑠璃垣は一度深く息を吐き、冷静さを取り戻す。


「そして、もう一つ…真能連盟のバックには得体の知れない存在がいる…可能性がある。」


「あ?なんだよ、その歯切れの悪い情報は。」


竜崎が眉をひそめる。


「…俺ですら、ほとんど実態を掴めてないんだ。ただ、確実に何かがいる。」


「それはどこからの情報なの?」


燕が静かに尋ねる。


「俺の感だ。」


「情報屋が感ね。」


村崎が呆れたように言う。


「まぁ、とにかく真能連盟の事件を深追いするのはやめた方がいい。そうじゃないと…」


瑠璃垣が言い切ろうとした瞬間、


──バンッ!


BARの扉が勢いよく開いた。


「おいおい…なんなんだ今日は。開店は19時からだ。馬鹿野郎。」


マスターが口調を荒げ、唸るように言った。


入り口の外には、ローブをまとった者たちが不自然に立ち並んでいる。その姿勢に、ただならぬ威圧感が漂っていた。


「はぁ…こうなる。」


瑠璃垣が短く吐き捨てる。目を細め、状況を冷徹に見極めながらも、どこか呆れた表情を浮かべていた。


「こいつら、真能連盟か…?」


竜崎が低く、危機感を孕んだ声で問う。


「えぇ。このローブだったわ。」


燕は静かに答えると、じっとローブを着た者たちを見守った。


「ローブを着てるのは幹部以上って言ってましたっけ?」


神室が、少し身構える。


「というか、なんでここが分かったの…?!」


時陰が驚きの声を上げ、明らかに動揺している様子を見せた。


「付けられた?」


村崎が一歩後ろに下がりながら、顔をしかめて考え込む。


「いや、多分こいつらの目的は俺だろ。」


瑠璃垣はカウンター席から立ち、すでに動き出していた。


「最も、あんた達とは理由が違うだろうけどさ。」


その言葉が店内に響くと、ローブをまとった三人が一斉に足を踏み入れる。動きが無駄なく、まるで一つの流れのように。


真ん中に立った男が、静かな口調で告げる。


「少し動きすぎたな。情報屋。」

「司祭様は貴公に天罰を降すと仰った。」

「我らがその雷光らいこうとして貴公を罰する。」


ローブの者達は言葉と共に、手を前に突き出す。三人の手が重なるように合わせられ、掌から眩い光が迸る。まるで電撃のような、強烈なエネルギーが中心から湧き上がるのが見て取れる。


「おいおい…!ここで異能か!?くそッ!」


竜崎は即座に反応し、刀の柄に手をかける。その目は鋭く、完全に戦闘態勢に入っていた。


「紫苑が援護する…!」


村崎もまた、狙撃銃を構え、標的を狙い定める。


「おい、ポリ公共!そんなもん今は引っ込めやがれ!」


マスターが一喝し、竜崎達を一瞬で制止する。


「んじゃあこの店、粉々になるぞ!!」


竜崎はマスターに言い返すと、マスターのその眼差しは瑠璃垣に向けられた。


「そいつに任せとけ。」


「「裁きの鉄槌を!!!」」


3人の掌から、爆発的な勢いで電撃が迸る。BARの中に突き刺さるような轟音が響き渡り、放出される瞬間。


瑠璃垣はその一瞬を逃さず、まるで時間が止まったかのように高速で動く。そして、1人のローブを着た男の掌に、人差し指を突き立てた。


その指が触れた瞬間、電撃の奔流が彼の体に迫り、今にも焦げていく様な、そんな感覚を与えられるその前に、瑠璃垣は冷静に口を開いた。


「”そんな事象は無かったアンチ・フィクション”」


彼の言葉が響き渡ると、周囲の空気が一瞬、静まり返った。


「な、に?」

「裁きが…我々の裁きが?!」

「どこへ消えた!?」


3人の掌から放たれるはずだった電撃。それは、完全に消え失せていた。電撃が走った痕跡すらなく、ただ空気がひときわ冷たく感じるだけだった。男たちの掌は、ただ一か所に合わさり、その真ん中に瑠璃垣の綺麗な人差し指が突き立てられていた。


「”そんな事象は無かったアンチ・フィクション”」


瑠璃垣は改めて説明する。 


「触れた異能者の異能の効果を、無かったことにする異能だ。」


「貴方…異能者だったのね…」


燕はその言葉に驚き、目を見開いた。


「情報屋は命懸けなんだ。命を守りながら情報を集めるには、このくらいの異能が必要なんだよ。」


瑠璃垣は一歩後ろに下がりながら、さらに声を上げる。


「マスターーー!!」


「任せろ晋羽!!うらァ!!!」


BARのカウンターから飛び出したマスターが、慌てて立っているローブの男たちを次々と外に突き飛ばしていく。


「マスター、強っ!?」


神室が目を丸くして言った。


「客として来るなら歓迎してやるぜ、馬鹿野郎共。」


マスターはローブの男たちに冷徹に言い放った。


「…貴公は裁きの対象ではない。」

「司祭は無関係な人々を巻き込むことはしない。」


男たちは、暗いローブの中から視線を鋭く煌めかせ、燕たちと瑠璃垣をじっと見据えた後、無言でゆっくりと引き返していった。


「ったく、店ん中が汚れんだろうが…」


「悪いな、マスター。俺のせいだ。」


「構わねぇよ。」


「分かったか?ちょっと真能連盟を突いたら、これだ。」


瑠璃垣は燕たちを見つめ、冷静に語りかけた。


「これからあんたたちがやろうとしているのは、真能連盟を包んでいるベールを引き裂こうとすることだ。導師や司祭、最高指導者レベルの奴らが、あんたたち…いや、警察全体を狙い出すぞ。」


「瑠璃垣、お前…何を焦ってんだ?」


神室が鋭く問いかけた。


「さっき言っただろ。奴らの背後には得体の知れないものがいる。そいつらが動き出した時、俺はすごく危惧してるんだ。いつも通りの日常が送れるのか、ってね。」


「感…じゃないのか?」


「…だといいんだがな。情報屋の感は、警察の感に勝るぞ?」


瑠璃垣は冗談めかしてそう言い、少し肩をすくめた。


「貴方が真能連盟を危険視しているのは充分に分かったわ。でも私は引けない。私の恩のある施設が襲撃された。大事な妹分が私達に懇願したの。引けるわけがない…!」


燕は決意を胸に、瑠璃垣にしっかりと告げた。


「だから、私達がこの事件を終わらせる。」


「瑠璃垣、榊昴の居場所を教えてくれ。」


神室も続いて問いかける。


「そうか、わかった。なら俺ももう止めない。」


瑠璃垣は二人の顔を見た後、少しの間を置いてから答えた。


「大田区だよ。大田区の城南島海浜公園…ここ数ヶ月、その近くで榊昴を見たという情報がある。それで、今朝もそこで見かけたってさ。あそこには使われていない倉庫がそれなりにあるから、隠れるならそのどこかだろうね。」


「大田区か!助かる、瑠璃垣!」


「みんな、城南島海浜公園付近を捜索よ。」


燕は竜崎達に指示を出し、店を後にした。


「神室、その代わり真能連盟関連の情報は、これっきりだ。」


「分かってる。じゃあ、またな。」


「次ここに来る時は、酒を飲みに来い、ポリ公共。」


マスターがボソッと言った。


神室はそう言ったマスターに一瞥し、無言でBARを出た。


瑠璃垣は、静寂が漂うBARで再びカウンター席に戻り、穏やかな表情を浮かべながら腰を下ろした。嵐のような出来事に、ふっと鼻で笑った後、マスターに向けて、静かにカクテルを注文した。


〜マスター、ニコラシカを1つ。と。

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