第10話

 次の日、私は図書館でオリハ先輩を待っていた。端末のチャット機能で予定をすり合わせると、オリハ先輩の方が授業を終えるのが遅いようだった。彼を待つ間、私は資料を漁っていた。マヤ・ナイラの図書館は魔法に関する資料がこれでもかというほど置いてある。著名な魔法入門の本から、過去在籍していた生徒や教師たちが置いていった研究メモまで、なんでもかんでも保管されている。

 マヤ・ナイラの歴史や立地に関する資料も置かれてはいるが……さすがに検閲がかかっているのか、生徒ならだいたい知っているようなさわりの情報しか得られない。森の資料を探してみたが、やはり得られた情報は概要程度だった。

 あの森は訓練の他に、魔法の研究をする学生や教師の実験場として使われている。だがそもそも、この学校に研究目的で在籍している人は希少だ。そこまで研究に熱量があるのなら、マヤ・ナイラでなくてもいい。この学校が卓越しているのはあくまで実践的な魔法が学べるという点で、研究は二次的でしかない。

 それでも、たまに奇特な人種もいる。


「やぁ、勉強熱心だね!」


 声をかけてきたのは、魔物の授業をしていた教師だった。大量の資料を腕に抱えて、よろめいている。


「……ホノ先生。お手伝いしましょうか」


 ついそう言ってしまうほど、危なっかしい様子だった。


「あぁ、大丈夫大丈夫! もうすぐ、司書さんが来てくれるはずだから……」

「はぁ……」


 そうは言っても、とても見ていられない。資料の山が揺れるたびに、彼の足元がよたよたともつれそうになる。そしてかけている丸眼鏡が少しずつずれていく。


「いやぁ、普段は誰かに魔法生物を借りて運んでもらうんだけどねぇ、あいにく誰もいなくて……ほら、僕、そんなに魔力がないから、自力で呼び出せなくて……不甲斐ない、不甲斐ない!」


 そう言いながら陽気に笑うホノ先生の首元には、白いチョーカーにオレンジ色の人工石がついている。ゴールドとクラウンの間であり、クラウンを除けば最上級の階級であるダイヤの証だ。魔力をほとんど持たない彼は、異常ともとれるほどの熱量で魔物や魔法生物の研究をしている。そして、研究が認められて卒業したまさに奇特な人物だ。マヤ・ナイラにいるのは、魔物と直接対峙する国家公認魔法使いとのコネが作りやすく、貴重な魔物の研究材料をもらったり意見のやり取りをしたりしやすいから……だという。そんなことを授業で公然と言い、生徒から自然と笑いをもぎ取っているような先生だ。

 そこまで思い出して、私ははっとした。


「ホノ先生って、森で実験とかもするんですか?」

「森? 森って、敷地内の森のことかい?」

「そうです、ほとんど人が訪れないって言われてる」

「あぁ、あそこならたまに行くよ。でも迷子になるからね、よく救出されてるんだ、はは」


 悪気なく笑う先生に一抹の不安を覚えながらも聞いてみる。


「あそこって何があるんですか? 実験とか研究とかに使われるって聞きますけど」

「んー? 森に興味がある、の、かいっ、っとと……」


 資料が大きく揺れ、私は慌てて彼を支えた。少しだけ風の流れを操って、バランスを取る。ついでに、大きくずれた丸眼鏡もちょうどいい位置に戻した。


「あぁ、ありがとう。君は素晴らしい魔法使いだね!」


 まっすぐ褒められると気恥ずかしくて、ついそっぽを向いてしまう。先生はにこにこしたまま言った。


「もし森に行くのなら、気をつけなきゃいけないよ」

「気をつける?」

「そう、あそこは敷地内でも特に影が濃いからね」

「影が濃いって、どういう……」

「ホノ先生」


 奥から司書さんが出てきて、会話が中断される。ホノ先生はそちらに反応して、資料を危なっかしく抱えながら行ってしまった。司書室の中へ入っていき、私はひとり取り残された。


「影が濃い……?」

「どうしたの?」

「っ!」


 後ろから声をかけられて、私はびくりと慌てて身を翻した。そこにはオリハ先輩がぽかんとした顔で立っている。思わずオーバーリアクションをしてしまった、と恥ずかしくなって睨むように先輩を見た。


「オリハ先輩……脅かさないでください」


 オリハ先輩は焦った私を見て、くくっとおかしそうに笑った。


「ふふっ、そんなに驚かなくても……ふふ」

「……わ、笑うことないじゃないですか」

「でも、……ふふ」


 堪えられないといった風に笑うオリハ先輩は、初めて同世代の普通の男の子に見えた。どこか憂いを帯びた美少年の様相はどこにもない。その姿がなんだか希少な気がして、私はむっとしながらも見入っていた。


「……ふふ。座ろうか」

「はい。そうしましょう」


 複雑な心境を誤魔化すように、椅子にどっかりと座って足を組んだ。


「で、影が濃いって何の話をしていたの?」

「あぁ……ホノ先生に話を聞いてみたんですよ。途中で司書さんに連れてかれちゃいましたけど」

「ホノ先生……というと、この学校では珍しく研究を専門にしている先生だよね」

「はい。私、ホノ先生の魔物の授業を受けてるんです。身を守るのに知識くらいはあってもいいかなって……なんとなく」


 正直、魔物の授業を取った理由はそのくらいのものだ。ホノ先生に教えを乞うことがあるなんて思いもしなかった。でも、今は質問したいことがたくさんある。


「ホノ先生と司書さんの用事が済んだら捕まえられないかな」

「どうだろうね……まずは僕たちで考えてみようか」


 オリハ先輩の言葉に私は頷いた。考えなきゃいけないことは山ほどあるのだ。

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