守りたいと願うこと
塔の爆発音で、当然ながら上にいたユールとハンナも驚いて下に降りてきた。
タネリを見た途端に、ユールは全てを察したらしく、膝を突く。
「姫様……大変に、大変に申し訳ございません! 本当のことを言えずに!」
「ユール……」
アンジェリカはユリウスの腕の中で戸惑いながら彼女を見る。ユールはポロポロと涙を溢していた。
「魔術師団の非道さは理解しておりました……獅子皇国が我らの国に停戦の条件を持ち込んできたとき、これはチャンスだと思ったのです。姫様を安全な場所に、魔術師団の目から逃れられる場所に送れると……」
「ユール、口の軽さは身を滅ぼすと、そう言ったよな?」
タネリはニカリと笑った。途端にユールの体が跳ねる。彼女は皮膚から血を噴き出したのだ。
「ユール……!」
アンジェリカはユリウスの腕から出ようとするが、ユリウスは「待て」と彼女の腰から腕を離さなかった。血が流れて崩れたユールを、ハンナは「ユールさん!」と泣きながら抱きかかえる。
ユリウスはアンジェリカから腕を離すことなく、タネリを睨む。
「これは魔術師団の制約の成果か?」
「制約の誓いを破れば、魔術師はそうなりますよ。姫様。あれは姫様の侍女になると志願した際に、三つ制約をした上であなたに預けました。我らの内情を話してはいけない、常にカラスで我らに獅子皇国の情報を流さなければいけない、そして、我らの狙いを話してはいけない……あれはそれを破らないギリギリの線を渡ろうとして失敗したのですよ」
「……ひどい。あなたは、あなたたちは、私の体を作り替えただけじゃ飽き足らず、あなた方の同胞のはずのユールにまでこんなひどいことをして! あなた方には、あなた方には人の心がないのですか?」
「傲慢ですなあ、姫様は」
タネリはなおも顔を歪めた。
普段飄々としたカスパルはずっと腰の剣の柄に手を添えているが、それを抜かない。ユリウスもアンジェリカを腕に中に収めたままずっと距離を取っている。タネリは魔力を放出し続けているから、いくら神殿から加護をもらっているふたりも、身動きできないのだ。
だから、彼の独壇場に水を差せるものは誰もいなかった。
タネリは顔を歪めたまま笑う。
「我々は白狼王国に、魔術を興すためにつくられた! 我々はこの身を粉にしてずっと戦い続けた! でも民は感謝するどころか、我らに人の心がないのかと責めてばかり……その平和を、いったい誰がつくったと? その平和のために、我ら同胞はどれだけ戦場で散ったと? いい加減そんな国を見限って、我らでこの国を乗っ取ろうとして、なにが悪いと?」
「それは……」
「詭弁を使うな」
アンジェリカがたじろぐ中、ユリウスは切って捨てる。
「それだけ国に忠誠を使えないならば、その力を買ってくれる国に亡命すればいいだけの話。国ひとつを乗っ取ってまで、禁術を復活させるまで力に固執したのはそちらの驕り。自分の立場、自分の地位を利用するだけしておいて被害妄想とは、痛々しい詭弁だな」
ユリウスの切れ味鋭い言葉に、先程から笑みを崩さなかったタネリが目を吊り上げる。
「力こそ全てな獅子皇国の皇太子に、なにがわかるというんだ!?」
「なにもわからん。貴様のことは。ただ、貴様のせいで弄ばれた民や同胞、国が心底憐れだと思っただけだ。だからこそ、我らが何度も情けをかけようとしたというのに」
「……獅子皇国が何度も白狼王国に戦争を仕掛けていたのは……」
「亡命してくる民の陳情を聞き入ったまでのことだが。すまないな、アンジェリカ。本当になにも言えずに」
自分の国がここまでひどいことをしているなど、アンジェリカだって今ユールが傷付いて倒れ、タネリが全部ぶち撒けるまで知らなかったが。
アンジェリカはユリウスに言う。
「……ユールを手当てさせてください」
「平気か?」
「はい。あなたが来てくれたから」
アンジェリカからしてみれば、タネリがいつユリウスやカスパルに危害を加えないかと気がかりだったが、それでも血まみれのユールを必死に止血してくれているハンナを手伝わない訳にはいかなかった。
アンジェリカはあまり強い魔術は使えないが、それでもユールを少しずつ治療することくらいならばできる。
アンジェリカはビクビク震えながらタネリから距離を取りつつ、ユールとハンナの元に走って行く。
「ごめんなさいハンナ。ユールは?」
「申し訳ございません皇太子妃様……ユールさんの血が、全然止まらなくて……」
ハンナはすっかりと目に涙を溜め、必死に手に持っていたタオルで血を抑えようとするものの、傷口が塞がらずに血で押し流されてしまう。
アンジェリカはユールの手を取ると、自分の魔力を流し込みはじめた。自分の魔力を流すことで、少しずつユールの治癒能力を底上げしようとしているのだ。
(お願いユール……あなたは私にずっと申し訳なく思っていてくれていたみたいだけど……あなたがいなかったら私は駄目だった。もっとあなたの話を聞いていればよかった。あなたがいなかったら、私はユリウスの気持ちと向き合うことすら諦めて、自棄を起こしていたのに……傷、お願いだから塞がって……!)
アンジェリカが必死でユールに魔力を注ぎ込む中、ずっとユールの傷口をタオルで抑えていたハンナが、グラリと立ち上がった。
「ハンナ? ごめんなさいね足が痺れてしまった」
「……皇太子妃様……」
ハンナは泣いていた。途端にハンナがアンジェリカの首を絞めはじめる。
「アンジェリカ……!」
「……なにをやった、魔術師!」
「この中で、魔術の心得もなく、神殿の加護もないような弱者なんて、そのメイドひとりだろうが……!」
タネリはせせら笑っていた。それにカスパルが剣を抜き、ユリウスは避ける。ユリウスのマントを引き裂いてカスパルの刃がタネリの首に迫るが、それを嘲笑うようにタネリは障壁を張ってそれを防いでしまった。
この戦闘専門の魔術師は、あろうことか仲間割れするための呪いをばら撒いたのだ。だが血を流して気絶しているユールや、魔術の心得を叩き込まれたアンジェリカに呪いは通用せず、神殿から加護を贈られているユリウスやカスパルでは呪いは通用しなかった。
後宮で生まれたものの姫の立場すらないハンナだけが、無防備に呪いを受けて、そのまま泣きながらアンジェリカの首を絞めることとなってしまったのだ。
「グッウウウッ……ッ!」
「皇太子妃様……っ、ごめんなさい、手が、勝手に、動いて……!」
アンジェリカはミチミチと音を立てる首に、ポロポロと涙を流しながら自分の首を絞め続けるハンナに混乱していた。
(どうしよう……! ハンナが……私のせいで、ひどいことをさせてしまって! どうしたら……本当に、どうしたら……!)
アンジェリカの口から唾液が垂れ出てくる。これ以上絞め落とされたら死ぬ。わかっているが、どうしようもなくなっている中。
急にムスクの匂いが強くなってきた。ユリウスの目が、鋭く光っている。
「俺の番に、なにをしようとしている?」
その声は冷ややかだ。その圧迫感は、アンジェリカにも覚えがあった。
(これは……アルファのオーラ……アルファ同士であったとしても、根負けさせてしまうような……これが、ベータだった場合はどうなるの?)
ずっとタネリとカスパルは剣と障壁でやり合っている中、ハンナは膝を突いてしまった。
「あ、ああ……皇太子様……、申し訳ございません。申し訳ございません……っ」
「さすが皇太子! アルファの中のアルファ! 自分の呪いすらも超越しましたか! これが原初の動物の本能にもっとも近いとされている者の圧力ですか! ああ、すごいすごい!」
タネリはハンナにかかった呪いを強制的に解除されたとしても、余裕の顔でカスパルの剣を捌いていた。
戦っているカスパルは怪訝な顔でタネリを睨む。
今までヘラヘラとした言動しかしていなかったのがどこへやら。カスパルの剣技は実戦用そのものであり、螺旋階段の段差というペナルティーでもなおタネリに食らいつくようなしぶとい粘りを帯びた剣筋だった。一方タネリもどうにか障壁を使って彼の刃を捌いてはいたものの、カスパルは剣をかまえながらもときおり行儀悪く蹴りが跳んでくるものだから、だんだん彼の体力も削ぎ落とされつつあった。
タネリは白狼王国の人間であり、純粋な体力勝負では絶対に獅子皇国の人間には勝てない。それが純粋な力だけの勝負であるならば。
「なにがおかしい? 皇太子妃に手をかけようとした罪、償ってもらいますよ……!」
「あーあー! つくられた皇太子妃に周りの皆はお優しい! 万歳獅子皇国! ほんっとうに糞食らえだ……!」
タネリはそう言いながら、片手で障壁を出してカスパルの刃の勢いを殺しつつ、もう片手で衝撃波をつくる……先程窓縁を破壊したときのような、戦闘特化の魔術師以外が使わない魔術。
その衝撃波は真っ直ぐと座り込んだハンナの向こう側で、今なおぐったりと倒れているアンジェリカの方へと跳んでいった。
「こ、皇太子妃様……!」
ハンナが悲鳴を上げようとするが、それよりも先に動いたものがいた。
アンジェリカは目を大きく見開いた。
彼女を庇って盾となったのは、ユリウスだったのだ。いつもなにを考えているのかわからない、悠然とした態度が崩れ、苦痛で歪んだ顔をしていたが、アンジェリカの顔を見た途端に安心したように微笑んだ。
「……無事でよかった」
そう言いながら、ユリウスが倒れた。肉の焼けた音が響く。アンジェリカは思わず彼に魔力を流そうとするが、なにかが拒絶する。
「たしか皇太子には、魔法無効化の加護があったな? 呪いも効かない代わりに、治癒魔術も効かないと見える。ハハハハハハハハハ……!!」
「……殿下!」
カスパルはタネリの足を引っ掛けると、彼の関節を無理矢理外して転がした。その痛みにタネリは悲鳴を上げるが、それは無視してカスパルはユリウスの元へ走る。
ユールはアンジェリカの治癒魔術でなんとか止血はできたが、血が流れ過ぎて目を覚ます気配がない。そしてユリウスは衝撃波で肉を抉られ焼かれたものの、治癒魔術が使えない。この惨状に、カスパルはユリウスのマントを外して、なんとか服を脱がせて患部を止血しながらハンナに告げる。
「外に神官たちが控えている。すぐに呼んできてほしい」
「は、はい……!」
ハンナは泣きながら転がるようにして階段を駆け下りて出て行く中、アンジェリカは大事な人がふたりも目を覚まさない現状に頭が追いつかず、茫然としているが、カスパルが声をかける。
「姫様しっかりしてくださいよ。ユールは既に止血が終わってますから、休めば目を覚まします。そして殿下と姫様は番です。番が傍にいたのなら、なにがなんでも番をヴァルハラに連れて行かないように命を繋ぎ止められるかと思いますから」
「……私、は……私、は、でも。治療ができなくって……」
「殿下に治療魔術が効かないのは神殿側も把握しています。今、神官を呼んできてもらっていますから、彼らに判断を委ねましょう」
カスパルの声に、アンジェリカはユリウスに手を伸ばした。
傲慢な人だと思っていた。なにを聞いても教えてもらえないと勝手に拗ねた。でもそんなことはなかった。
勝手に思い通りの形で情を与えられないからと拗ねて、彼の視線の優しさを見て見ぬふりした自分のせいだ。
「ユリウス……」
アンジェリカは、涙を流して本来なら温かい彼の手を握っていた。
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