明かされた虚構

 カラスの手紙が来てからというもの、アンジェリカは落ち着かなかった。

 もしここで戦争がはじまったらどうなるのか。下手な動きをすればアンジェリカとユールは外患誘致の罪で処刑されてもおかしくはないし、その場合世話役だったハンナは見逃してもらえるんだろうか。

 家事をし、食事をし、三人で過ごしているときはそんなことを考えずに済んだが、ひとりで寝台で眠っているときはそのことがどうしても頭に付きまとい、眠りがどんどんと浅くなっていった。

 そして気がかりが。彼女はユールのおかげでかなり強い抑制剤を飲んでいるものの、だんだんと体が火照ってくるようになってきたのだ……発情期が近付いている。


(塔で幽閉されている中で発情期に入ったら……ユールとハンナにも迷惑をかけてしまうし……)


 ユールのつくったかなりきつい抑制剤に加え、ワインを飲んでどうにか無理矢理気絶して眠ることで、どうにか彼女は発情期から免れようとしていたが、彼女の付け焼き刃の浅知恵で生理現象がどうにかできる訳もない。

 だんだん、アンジェリカの体の動きは鈍くなり、目の下に隈が浮かびつつあった。


「姫様、お体大丈夫ですか? まさか、そろそろ発情期が……」

「大丈夫よ。なんとか抑制剤と酒で誤魔化しているから……」

「姫様。世の中には薬の飲み合わせというものがあります。今姫様に処方している抑制剤はかなりきついものですから、無理に酒と飲めば深酔いしてしまいます。くれぐれも妙な飲み合わせはお控えくださいませ」

「ええ……ごめんなさい」

「でも心配ですね。カスパル様に、殿下が来てくださいますようおっしゃいますか?」


 ハンナがオロオロしながらそう言うと、アンジェリカはビクンと肩を跳ねさせる。


「あの人は今、戦場にいるはずだわ。私のことなんて……」

「ですけど番ですよね? 私も番についてあまり詳しい訳ではありませんが……陛下は番であられた皇后様が亡くなられてからこっち、どんどん弱っていってしまいました。番になにかあるというのは、それだけ強いもののはずなんです」


 ユリウスの父親である皇帝について、アンジェリカは思いを馳せた。

 全ての元凶であり、ユリウスの母を愛しながらも死に至らせてしまった憐れな人。後宮で生まれて彼の様子をつぶさに観察していたであろうハンナがそう指摘するのはもっともだった。


「……皇帝陛下だって、番の取り扱い方を間違えて死なせてしまったのよ。ユリウスが私のことを正しく理解しているとは……」

「姫様、またそんな卑屈なことばかりおっしゃって」

「ごめんなさい」


 ひとまずハンナは、アンジェリカがなんとか眠れるようにと木イチゴの葉でハーブティーをつくり、「抑制剤飲んでないときに飲んでください」と差し出してくれた。アンジェリカはカップに注いでくれたほっとする味のそれを飲みながら、窓の外を見た。

 春から少しずつ初夏へと移り変わる季節であり、若葉の瑞々しい色が視界に映る。既に戦争がはじまっているとは思えないほどに牧歌的な光景に、めまいがしそうだった。


****


 その日、ハンナがアンジェリカの体調を気遣い、なるべく体に普段のないものと、木イチゴのスープを出され、それを飲んで落ち着いていた。

 もしこんな場所で発情期が来たら、また自分は気が狂ったようにユリウスを呼ぶんだろうかと思うと、それが怖かった。


(それに……あの手紙のことがまだ起こっていない)


 こんな体調不良の中で起こったら最悪だ。それにアンジェリカがうんざりとしていた。強めの抑制剤のおかげで火照りは治まっているが、それでも体が重くて鈍い。

 外の爽やかな風情とは裏腹に、体が重くてかなわない。そう思っているとき。

 ミチ……ッ。窓縁の軋む音が聞こえた。


「えっ……」


(これは……攻撃魔法……!?)


 攻撃力の強い魔術は、魔力の強い白狼王国でも、魔術師団以外が習得できないようキチキチの法律で制限されている。

 つまり、この奇襲も明らかに魔術師団によるものだった。

 アンジェリカは必死で口の中で呪文詠唱をすると、どうにか結界を貼って衝撃に備える。

 だんだんと肌を焼くほどの熱量が来たかと思ったら、途端に塔が大きくグラつくほどの衝撃が襲った。


「クゥゥゥゥゥッ!!」

「姫様! ご無事ですか!?」


 大きな声で入ってきたのは、魔術師団の前線部隊が着る黒い甲冑を纏った青年だった。


「……タネリ」


 その青年の声に、アンジェリカの身が竦んだ。

 彼はアンジェリカを幼少期に王城から連れ出し、彼女にアルファのなんたるか、戦闘魔術以外の魔術を叩き込んだ天才魔術師であった。


「……今は戦時中と伺っております。ですが、ここには護衛騎士も神官たちもいたはずです。彼らを撒いたと?」

「あんなの俺の魔術でどうとでもできますよ。あいつらには適当に幻覚を見せていますから、今でも平和に塔を見張っているはずですよ」

「……そう」


 彼らを惨殺されていないということに、アンジェリカはほっとしつつ、タネリはクスリと笑う。


「それじゃあ、そろそろ出ましょう」

「……待って。なんだか変よ」

「なにがですか?」


 タネリが涼しい顔をして尋ねる。だがアンジェリカは、彼は油断ならない人間だということを知っている。

 彼は一見すると精悍な顔つきの青年だが、その実彼は惨忍なことを知っている。アンジェリカが泣いても叫んでも、家族に会いたいと言っていても、笑いながらアンジェリカを痛めつけた。あまりに言うことを聞かなければ、平気で手を挙げ、アンジェリカの目の前で食事をわざとひっくり返して食事を与えないことだってあった。

 アンジェリカに卑屈さと臆病さを植え付けた張本人に楯突くのはアンジェリカだって怖かったが、それでも。

 ここにはユールとハンナがいるのだから、できる限りこの塔に残り、自分は獅子皇国を裏切ってはいないと証明しなければいけなかった。下手に動いてアンジェリカがさらわれてしまったら、ふたりがどうなるかがわかったものではない。


「最初の私の指令は、後宮を乗っ取ることだった。それは失敗したわ」

「そうらしいですね。どうやらこの国のアルファは優秀なようで」

「……ふたつ目の指令は、この国で暮らすことだったわ。それで今、私をさらおうとするのはどうして? 全部の指令が滅茶苦茶じゃない」

「ハハハハハハハハハ……ほんっとうに、姫様というものは、戦時中であっても頭の中がお花畑でいらっしゃる」

「……タネリ?」


 タネリはニタリ……と笑った。その笑みにアンジェリカがゾクリとさせる。


「あんたは立派な実験材料だったんだから、ちゃんと最後まで使い潰されるべきなんだよ。今は番ができたから守ってもらえるとか、そんなおめでたいことを思っているのか?」

「……実験材料って……」

「アルファを籠絡できる唯一の存在がオメガなんだから、そのオメガを使ってアルファを籠絡させようっていうのは、当然だよなあ!?」

「……っ!? 待って! 私は……アルファとして形質が出て……」

「最初からオメガをこの国に送ったら怪しまれるに決まってるだろう? なら、ビッチングでオメガになるように仕向けるさ」

「……待って。じゃあ、私は、最初はアルファじゃなかったの……?」

「魔術師団が仕込んだに決まってるだろう? アルファになるよう、魔力の定期検診の際に少しずつ、本当に少しずつな。どのみち、王族に俺たちを止める権利はない。楽しい実験だったよ。人間が滅んだ生き物に変わっていくっていうのを見つめるのはなあ」

「な……んということを……」


 アンジェリカの足下がグラグラと崩れそうに思うのは、久方振りの感覚だった。

 最初に彼女が絶望したのは、自分がアルファだと判明した途端に、家族から引き離されてしまったこと。そして行われた教育で、アンジェリカの中が少しずつ削れていってしまった。

 次の絶望は、自分の性を否定されたことだった。婚約者に「女と思われない」と言われたときに、彼女は自分が無理矢理番にしないといけない相手を憎まずにはいられなかった。それはただの八つ当たりだとわかってはいた。それでも、アンジェリカは許すことができなかった。

 三度目の絶望は、それでも自分はアルファだから。自分は白狼王国の姫だから。そう己を励ましながら獅子皇国の後宮に入った途端、ユリウスにビッチングでオメガに堕とされたときだった。

 彼女の感じた絶望、次に浮上した希望、叩き落とされた絶望……。

 それら全てがつくられたものだったということに、アンジェリカはヘナヘナと座り込んでしまった。その中、タネリは嘲笑いながら彼女の前髪を引っ掴む。


「だから姫様、ちゃんと呼んでくださいよ。愛しのアルファ様助けてと」

「……っ、どうして……!」

「そういうことだろうと思っていた」


 ムスクの甘い匂い。今のアンジェリカをもっとも心を落ち着ける匂い。

 塔にやってきたのは、白い甲冑を纏い、髪をなびかせるユリウスの姿だった。隣にはカスパルを従えている。


「神託の解析をしている者たちから、満場一致で白狼王国の非人道な魔術実験の話が出ていた。何十年もずっと調査していたが、全く尻尾を見せなかったからな。王族たちの権限を少しずつ削ぎ落として権力を高めて、そのまま意のままに使っていたとは」

「おう、皇太子殿下自らがお出ましになったか」

「というよりも、そちらのほうが番については詳しいはずだが。だから精巧にアンジェリカをアルファに仕立て上げられたのだろう?」


 そう言いながらユリウスは螺旋階段をカツカツと昇り、素早くアンジェリカをタネリから奪い返した。マントがなびき、その中にアンジェリカは閉じ込められる。

 中はムスクの香りで充満していた。


「……ユリウス」

「すまなかったら、ひとりでずっとつらい思いをさせていて」

「どうして……あなたは、そのことをずっと……」

「貴様だけでない。貴様の侍女にも呪いがかけられている。おそらくは、貴様に真相を伝えてはいけないというものだった。あれからも何度も貴様を救えという願いは出ていた。だからこそ、今度こそ絶対に叩くために状況を固めていた」


 ユリウスは彼女の髪に指を絡めるのを、カスパルは心底呆れた顔をして見ていた。


「殿下。あまりに愛想がないと本当に嫌われますよ? 理論でばっかり説明せず言ったらどうですか? 会いたかったし今すぐにでも子作りしたかったと」

「カスパル、口の軽い男は口をなくすぞ?」

「はーい」


 一瞬だけ、空気が抜けた。

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