ザクロの実が落ちた
石田空
子供が逃げるには限度がある
裏の家の住民はよく変わる。
この地がベッドタウンであり、車がないとほぼ生活できないせいかもしれない。前に住んでいた人は財テクで持っていたらしいけれど、とうとう手放したみたいだ。
そんな裏の家には立派なザクロの木がある。
毎年毎年、割るとプリプリの実が顔を出すザクロの実が成るのだ。私は食いしん坊だったものの、人の家から盗み食いするのもはばかれて、いつも落ちてくるのを待っていた。
鳥につつかれて実が全滅することもあれば、鳥が来てないタイミングで落ちてきて、その実を取って自室でこっそりと食べることもある。家族に見つかったら最後、「意地汚い」と怒られるのが目に見えていたため、わざわざ言わなかった。
そんなある日、裏の家の住民がまた替わったと母から聞いた。
「なんだかね、ピアノの練習しているからうるさかったらごめんなさいって、菓子折持って挨拶回りしていたの」
「ふうん」
「実里と同い年ですって」
「ほおん」
私は歩いて電車に乗り一時間かけて学校に通っている。なにもない場所だけれど、電車の近くには店も並んでいるし、近所の家庭菜園から物をもらえるのは嫌いじゃないけど、他の人はどうなんだろうと思った。
同い年の友達ができるのは、こそばゆいけど、「なにもない田舎じゃん」と馬鹿にされたら嫌だなと思ったんだ。
****
裏の家は植木を総入れ替えする人が入ってないらしく、どの家もザクロの木を切り倒すことがなかった。
私は今年も実ったザクロの実を凝視していたら、突然裏の家から人が出てきたことに驚いた。いつも見上げるばかりで、家の人が出てきて怒られたことがないから、私は慌てた。
出てきたのはおそろしいほど肌が青白い男の子だった。目はぎょろりと大きく、体は細い。そしてなにより驚いたのは、手が驚くほど大きいことだった。
「なにしてるの?」
「ザクロの実……見てたの」
「これ? 食べられるの?」
それに私は内心驚いた。
この子はザクロを果物と知らないらしい。そうだよな、果物屋で扱っているの見たことないもんな。
「食べられるよ。食べる?」
「うん」
男の子は台を取ってくると、ひょいとザクロの実を取ってきた。私はそれをパカリと割ると、中からは宝石のような艶々した実が顔を出した。一粒一粒の小ささに、男の子は戸惑っていた。
「これ食べられるの?」
「おいしいよ。ほら」
私は一粒目の前で食べ出すと、男の子も真似して食べ出した。
「すっぱ……!」
「この味を楽しむんだよ」
「ふうん……」
そんな他愛もない会話をした。私は彼がどんな子なのか、どうして引っ越してきたのか名にも知らない。
彼は私の通っている学校ではなく、私立のものすごく大きな学校に通っているらしいとは、母が噂話を拾ってきて教えてくれた話だ。
****
裏の家からピアノが流れてくるようになったのは、それからしばらくしてからだった。
ピアノの曲は、学校で聴いたことあるようなないような曲。多分クラシックだったのだろう。でも途中途中でいきなり中断する。ときどき怒鳴り声が聞こえる。
大丈夫なんだろうか。私は裏の家の見える庭に出ておろおろしようとすると、母に止められた。
「こういうのは見て見ぬふりしなさい」
「でも……大丈夫なのかな」
「人の家のことはとやかく言っては駄目」
私は怒鳴り声に耳を塞ぎながら、一緒にザクロを分け合った男の子のことを心配した。
彼は大丈夫なんだろうか。
私が裏庭でうろうろとしていたとき、裏の家の子とひょっこりと再会した。前に会ったときよりも、彼の顔色は悪くなっていた。ただでさえ青白い男の子の顔が、真っ白に見える。
「……大丈夫?」
どう見ても大丈夫じゃないのに、他に言い方はなかったのか。彼は困った顔で笑った。でも目は落ちくぼんでいる。これは絶対に大丈夫じゃない奴。
「ごめん。最近ずっとうるさくて」
「ううん、私もテストの点が悪いとお父さんにしばかれたりするのよ。あなたは?」
「お母さん、僕に音大に行かせたいから」
なんでも。この子は才能があるらしい。ギフトというやつで、人が弾いた曲をそっくりそのまま覚えて真似ができるんだと。彼には才能があるからと、それはそれはもう、躍起になって練習させたという。
小学校中学の賞は総舐めにしたらしいけれど、専門家に言われてしまったらしい。
「猿まねだけでは、いつか絶対に壁にぶつかります。そのとき彼の音楽はどうなるんですか? まねるというのはたしかに才能ですが、それだけではいずれ行けない局面が出てきます」
彼が音大に行くための勉強をはじめたのはそれからだと。
私は溜息をついてしまった。
それなら頑張らなければいけないんだろうけれど。自分の上手い音楽よりさらに上を弾けって、教えられる人なんてどれだけいるんだろう。ならどうしてここに来たんだろう。
「なんでうちに来たの? 都会のほうが多分ピアノの練習しやすいと思うけど」
「ピアノの練習は集合住宅だと限りがあるから。防音工事をするのも近所周りをしないと駄目だし、そもそもグランドピアノを置けない。そうなったら、置ける場所に引っ越すしかないから」
「なるほど……でも、ピアノ楽しい?」
「いい曲を弾けて楽しかったこともあるんだ。でも今は、なにが楽しいのかわからない。頭の中は音楽で溢れてるのに、それが騒がし過ぎて、寝ることができないんだ」
その感覚は理解できないけど。でも嫌なことがあったら、それがずっと頭にこびりついて離れなくてぐわんぐわんとなる気持ちはわかった。
「君、名前は? 私は実里」
「……孝」
「孝くんか。じゃあ今度一緒に遊びに行こうよ」
彼をここから一度連れ出さないと駄目なんじゃないかと、そう思ったんだ。
****
私と孝くんは、電車に乗ってあてもなく旅に出た。
電車賃は全部ICカードに詰めて、空っぽになったら帰る。ベッドタウンで家とわずかな畑しか見えない場所から、だんだん海が見えてきた。
テトラポットの上に座り、ふたりで海を見る。
埋め立て工事のおかげで狭くて、海の向こうには橋が見え、家が見え、情緒という情緒が欠落している。ただ嗅ぎ慣れない海の匂いだけは新鮮で、ふたりで船を眺めていた。
「前にザクロを一緒に食べたけどさ」
「うん」
「ギリシャ神話にもザクロを食べる神話があるんだよ。死の国の神と一緒にザクロを食べる話。死の国で物を食べたら、一生死の国から出ることができないんだ」
「それって騙し討ちじゃないの?」
「かもしれない。娘を奪われた豊穣の女神は嘆き悲しみ、世界が冬に閉ざされてしまった。苦情が殺到したから、娘は春から秋の豊穣の季節までは地上で過ごし、冬の間だけ死の国で暮らすという確約がされた。こうして季節がぱっくりと別れたんだと」
「ふーん」
「きっと可哀想だと思われてるだろうけど、それでも、音楽は嫌いじゃないんだ」
「私、余計なお世話だった?」
「ううん。ピアノとお母さん以外にも気にかけられるものがあったんだって思ったら、なんだか嬉しかった」
孝くんはかなり難儀な性格をしているなと思った。
私たちはICカードでアイスを買い、それを舐めながら、元来た道を帰ることにした。
ピアノの練習をさぼった孝くんはこってりと絞られ、いきなり行方をくらませた私はお母さんに泣かれた。
今でも思う。
もしも私がもう少し大人で、孝くんを誘拐できていたら。
少しは変わったものはあったんだろうか。
孝くんはしばらくしたら、音大の受験のために都会に出てしまい、そのまま帰ってこなくなった。私は地元の市役所に就職が決まり、今もこのベッドタウンで暮らしている。
ときどき彼がネットニュースを賑わすようになった。そのたびにザクロの味を思い出す。
あの日以降、私はあれだけ好きだったザクロを食べなくなってしまった。だから私の思い出すザクロの味は、あの日ふたりで割って食べたもののままなんだ。
<了>
ザクロの実が落ちた 石田空 @soraisida
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