クロの右腕

@sidemusi

第1話

## プロローグ


二十年前、世界は変わった。


東京の地下に突如として出現した「ダンジョン」。そこから溢れ出す魔物、そして人類に目覚めた超常の力―「覚醒」。


今や、覚醒者を育成する専門学園が各地に建てられ、ダンジョンの攻略は国家的事業となっていた。


東京ダンジョン学園。日本最大のダンジョンに最も近い、エリート覚醒者養成機関。


そこで、柊陽太は落ちこぼれだった。


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## 第一章:寄生


「柊、また死んだのか」


教官の呆れた声が、薄暗いダンジョンに響く。


陽太は訓練用ダンジョンの入口で膝をついていた。胸のバイタルモニターが赤く点滅している――模擬戦での「戦死」を示す信号だ。


「すみません…」


周囲のクラスメイトたちが呆れた視線を向けてくる。中でも桐生美咲の冷たい瞳が、特に痛かった。


彼女は氷の槍で魔物を次々と貫き、A級覚醒者として学園の頂点に君臨していた。一方、陽太の「覚醒能力」は、身体能力がほんの少し向上する程度。E級にも満たない、限りなく一般人に近い存在。


「なんで俺なんかが、この学園に…」


夕暮れの校舎裏。陽太は一人、そう呟いた。


親の期待、周囲の失望、自分自身への苛立ち。全てが重くのしかかる。


その時、足元で何かが蠢いた。


「…なんだ?」


黒い液体。いや、スライム状の何か。それは側溝から染み出すように現れ、陽太の靴を這い上がってくる。


「うわっ!」


振り払おうとしたが、黒い物体は驚くべき速さで右腕に巻きついた。冷たい感触。しかし痛みはない。むしろ――心地よい?


『……ヨウタ』


「誰だ!?」


『オマエノ…ナカ…』


頭の中に直接響く声。黒いスライムは陽太の右腕に完全に融合し、皮膚の下で脈打っている。


「離れろ! 何なんだよお前は!」


『…ナマエ…ツケテ…』


「は?」


『オマエト…イキル…ツヨク…ナル…』


右腕が熱を持つ。いや、力が漲る。今まで感じたことのない、圧倒的な力。


陽太は試しに拳を握った。瞬間、右腕全体が黒い甲殻に覆われ、コンクリートの壁を殴りつける。


ゴッ――


壁に大きな亀裂が走った。


「これ…俺の力…?」


『ワレワレノ…チカラ…ヨウタ…ナマエ、ツケテ?』

「クロ…黒いからクロ?安直すぎるか?」

『イイ…クロ、ナマエ。』


陽太の心臓が高鳴る。恐怖と、そして何より――期待。


初めて手に入れた、本物の「力」。


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## 第二章:覚醒


翌日のダンジョン実習。


「今日は第五階層まで進む。各班、連携を忘れるな」


教官の指示で、生徒たちは五人一組の班に分かれてダンジョンへ入った。陽太の班は案の定、「お荷物」を押し付けられた班だった。


「柊、お前は後ろで見てろ。足引っ張んなよ」


班長の嘲笑。陽太は黙って頷いた。


だが、右腕の中で「クロ」が蠢いている。


『タタカウ…ミセル』


「待て、まだ何も分からないんだ」


『ダイジョウブ…マカセロ』


ダンジョンの薄暗い通路を進む。湿った空気、遠くから聞こえる魔物の咆哮。


やがて――現れた。


体長三メートルはある、ゴブリンキング。通常より一回り大きい、第五階層のボス級魔物。


「なんでこんな奴がここに!」


班員たちが動揺する。


「退却だ! 俺たちじゃ無理!」


その瞬間、ゴブリンキングが跳躍した。その標的は――逃げ遅れた女子生徒。


「助けて――!」


陽太の体が勝手に動いた。


「クロ!」


『アァ!』


右腕が変形する。黒い刃、いや、巨大な鎌が形成される。陽太はそれを振るった。


シュンッ――


一瞬の閃光。ゴブリンキングの腕が宙を舞う。


「…え?」


魔物が絶叫する。班員たちが呆然と立ち尽くす中、陽太の右腕は更に変形し、今度は鞭のように伸びて魔物の首に巻きつく。


「これで――終わりだ!」


ギリギリと締め上げる。ゴブリンキングの巨体が崩れ落ちる。


静寂。


「柊…お前…」


班員たちが信じられないという表情で陽太を見つめる。


陽太自身も、自分の右腕を見つめた。黒い甲殻は既に消え、普通の腕に戻っている。


しかし、確かに感じる。


この右腕の中に、眠る圧倒的な力を。


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## 第三章:疑念


噂は瞬く間に広がった。


「柊がボス級魔物を一人で倒した」


「あのE級が?」


「覚醒が進んだのか?」


教官たちも動揺していた。陽太は翌日、学園の医務室で精密検査を受けることになった。


「特に異常は見られませんね…しかし、あなたの覚醒レベルは確かに上昇している。D級…いえ、C級相当まで」


医師の言葉に、陽太は安堵した。バレていない。「クロ」の存在には気づかれていない。


『カクス…ヒツヨウ』


「分かってる」


廊下を歩いていると、桐生美咲とすれ違った。


彼女は立ち止まり、陽太を見つめる。


「柊君」


「な、何?」


「あなた…何かあったの?」


その瞳は、冷たいようで、どこか心配そうだった。


「別に。ただ、覚醒が進んだだけだよ」


「…そう」


美咲は去っていった。しかし、その背中には疑念が滲んでいた。


---


夜、自室で陽太は「クロ」に問いかけた。


「お前、一体何なんだ? どこから来た?」


右腕が蠢き、黒いスライムが浮き上がる。それは陽太の机の上で小さな人型を形成した。


『ダンジョン…フカク…ウマレタ』


「ダンジョンから?」


『ワレワレ…オオゼイ…イタ…シカシ…コロサレタ』


「殺された?」


『ニンゲン…コワイ…ダカラ…ニゲタ…ソシテ…オマエ…ミツケタ』


陽太は息を呑んだ。つまり、「クロ」はダンジョン深層に生息していた生命体で、人間に駆逐され、逃げ延びてきた――


「お前、魔物なのか?」


『チガウ…マモノ…チガウ…ワレワレ…タダ…イキタイ…ダケ』


切実な声だった。


「じゃあ、なんで俺に寄生したんだ?」


『オマエ…ヨワイ…カナシイ…ワレワレ…オナジ』


「…同じ?」


『イッショ…イキル…ツヨク…ナル』


陽太は黙り込んだ。


弱いから狙われた。しかし同時に、共感されたのだ。


「じゃあ、これからもよろしく…クロ」


『アァ…ヨロシク…ヨウタ』


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## 第四章:試練


それから一週間。


陽太の成績は急上昇した。ダンジョン実習では次々と魔物を倒し、D級からC級、そしてB級へと認定が変わっていく。


周囲の評価も一変した。


「柊、すごいじゃん!」


「俺たちと組んでくれよ!」


しかし、陽太の心は晴れなかった。


『ヨウタ…カナシイ?』


「いや…でも、これって全部お前の力だろ? 俺の力じゃない」


『チガウ…ワレワレ…イッショ…ワレワレノチカラ…オマエノチカラ』


「そうかな…」


その時、学園に警報が鳴り響いた。


「緊急事態! ダンジョンから大規模な魔物の群れが逆流! 全覚醒者は迎撃準備!」


ダンジョン・ブレイク。


ダンジョン内の魔物が何らかの理由で一斉に地上へ溢れ出す、最悪の事態。


「第十階層以下からの逆流と推定! A級以上は前線へ!」


生徒たちが混乱する中、陽太は校舎の窓から外を見た。


地面が裂け、そこから無数の魔物が這い出してくる。オーガ、トロール、ワイバーン――高位魔物の群れ。


「クロ、行くぞ!」


『アァ!』


---


校門前は地獄と化していた。


教官たちが必死に魔物を食い止めているが、数が多すぎる。生徒たちも戦闘に参加しているが、次々と倒れていく。


「みんな、下がって!」


美咲が叫ぶ。彼女の周囲に巨大な氷壁が出現し、魔物の群れを遮る。


しかし、オーガの一撃で氷壁に亀裂が走る。


「くっ…!」


その時、陽太が飛び出した。


「美咲、援護する!」


「柊君!?」


右腕が変形する。今度は巨大な盾。オーガの一撃を受け止める。


ガキィンッ――


火花が散る。しかし、陽太は押し返した。


「クロ、形態変更!」


『リョウカイ!』


盾が刃に変わる。オーガの腕を切り落とす。


「柊君…その腕…」


美咲が気づく。陽太の右腕が、異様に変形していることに。


「説明は後だ! 今は――」


突如、地面が大きく揺れた。


そして現れたのは、体長十メートルを超える巨大な蜘蛛型魔物。第十五階層のボス、「アラクネ・クイーン」。


「嘘だろ…あんな奴がなんでここに…」


教官たちが絶望する。


アラクネ・クイーンは糸を吐き出し、生徒たちを次々と拘束していく。美咲も動きを封じられた。


「みんな…!」


陽太は叫んだ。


「クロ、お前の全力を貸してくれ!」


『ダガ…ゼンリョク…ダス…オマエ…タエラレル?』


「構わない! やるしかないんだ!」


『…ワカッタ』


瞬間、陽太の右腕だけでなく、全身が黒い甲殻に包まれた。背中から翼のような刃が生え、頭部には角。


完全なる「共生形態」。


『イクゾ…ヨウタ!』


陽太は地面を蹴った。音速を超える速度で、アラクネ・クイーンに迫る。


魔物が糸を放つが、陽太は空中で回避し、背中の刃を展開する。


「うおおおおおっ!」


両断――


巨大な蜘蛛の体が真っ二つに割れ、崩れ落ちた。


静寂。


やがて、歓声が上がる。


「やった!」


「柊が倒した!」


しかし、陽太は膝をついた。全身から黒い甲殻が剥がれ落ち、右腕だけが元に戻る。


『スマナイ…ツカイスギタ』


「いや…助かったよ、クロ」


美咲が駆け寄ってきた。


「柊君…あなた…」


「ごめん、隠してた。これは――」


陽太は右腕を見せた。


「寄生生物。俺と共生してる、相棒だ」


美咲は複雑な表情を浮かべた。しかし、やがて小さく笑った。


「…そう。でも、あなたたちのおかげで、みんな助かった」


「美咲…」


「ありがとう、柊君」


初めて、彼女が笑顔を見せた。


---


## エピローグ


その後、学園は「クロ」の存在を公式に認めた。


ダンジョン深層には、魔物とは異なる「共生型生命体」が存在する可能性。それは新たな研究分野として注目を集めた。


陽太とクロは、特別な存在として学園に在籍を許された。もちろん、定期的な検査は必須だったが。


「なぁ、クロ」


「ナンダ、ヨウタ」


「お前と出会えて、良かったよ」


「ワレワレモ…ヨウタ…アエテ…ヨカッタ」


右腕の中で、クロが温かく脈打つ。


陽太は空を見上げた。


弱かった自分。力を求めた自分。そして今、共に生きる相棒を得た自分。


「これからも、よろしくな」


「アァ…イッショニ…イキヨウ」


桐生美咲が隣を歩いている。


「柊君、今日の実習、一緒に組まない?」


「え? いいの?」


「当たり前でしょ。あなた、今やA級なんだから」


二人は笑い合った。


ダンジョンへと続く道を、陽太は力強く歩き出す。


右腕の中の相棒と共に。


新しい未来へ――


**【完】**

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