第4話 三人で作る将棋の土壌

翌日、健人は高谷課長に呼ばれ、総務課に提出する「昼休み将棋愛好会」の設立申請書を渡された。課長はいつも通り穏やかだが、書類を前にするとその表情は少し真剣だった。


「健人くん。サークル設立は、ただ指す場所を得るだけじゃない。この書類一枚が、会社に将棋を指す文化の土壌を作る、第一歩になるんだ」


「そうですね」


高谷課長は多忙なため、書類の作成は主に健人と田中が担当することになった。田中は経理部らしく数字や予算の整理が得意で、熱意に任せて「来年度の備品購入費」まで細かく見積もりを始めた。


「将棋盤はあと二つ、できれば駒台も。高谷課長、予算申請はこういうアグレッシブさが必要ですよね!」


田中は外の大会で培った熱意をそのまま書類仕事に持ち込み、勢いが凄まじい。健人は、その勢いに押されそうになりながらも、田中が見落としがちな細かな規定や、総務が求めるフォーマットの修正を、落ち着いて引き受けた。


健人の担当は、**「設立目的」「活動場所の管理規定」**といった、地味だが確実な文章作りだった。


――この場所を、長く維持していくために。――


健人は、まるで治さんの教えのように、攻め急がず、一文字ずつ丁寧に、堅実に書類を埋めていった。彼ののんびりした性格は、こういう「土台作り」にこそ真価を発揮した。


その夜、健人が丁寧に清書した申請書を見た高谷課長は、満面の笑みを浮かべた。


「佐藤くん。田中くんのアグレッシブさも必要だが、君のこの**『崩れない堅実さ』**が、愛好会には一番必要だよ。ありがとう」


健人は、社内で初めて、自分の地味で目立たない長所を心から肯定された気がした。今まではただの一会社員だった自分が、**「愛好会を支える土台」**という新しい役割を得た。それは、孤独だった彼の心に、温かい居場所の確かな感触を与えた。


「あとは、この申請書を総務に出すだけです。昼休み、談話室で指せる日が楽しみですね」


田中が嬉しそうに言うと、高谷課長は「もう一人、将棋好きがいれば、さらに輪が広がるのだがな」と呟いた。


健人は、昼休みに広々とした談話室で、将棋盤を囲む人々の賑やかな光景を想像した。その中心に、自分がいる。


健人の心に、静かだが確かな期待感が湧き上がっていた。

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