第1話-1. 織田兄弟の確執 熱田神宮の判物状

ここは尾張清州城、天主閣の間で二人の話し声が聞こえる。


永禄元年(1558年)の年の瀬も迫ったころ、織田信長(尾張織田弾正忠家当主)に対して、家老の柴田勝家(通称権六)が先日入手した織田信行名義の熱田神宮宛判物状を手に、に差し出した。織田信秀の次男で、織田信長の同母弟。二年前、当時家老であった柴田勝家らと謀り、信長に反旗を翻して稲生で戦ったが敗北している。それまで兄信長同様に弾正忠を名乗っていた信行は、戦後、信長に降伏し、勝家と共に許されていた

「殿、この書状、拙者が宮司より譲り受けたものでございます。ご覧下さい。拙者が確認致しましたところ、花押は確かに勘十郎様の名前に似せておる。しかし筆跡や押印の細部を見るに、亡父信秀公の署名に酷似しており、真偽のほどを直に問い質す必要がございます。」

書状は和紙に筆でしたためられ、朱の花押が鮮やかに押されていた。文面には「弾正忠家の領内での収入及び諸役に関して、末森城主勘十郎の許可に従い執行すべし」とあり、熱田神宮への領内取り分が信行の指示で処理されたことを示唆していた。信長はその書状を受け取り、静かに目を細める。

「なるほど、こやつが出したと申すのか。」

勝家は慎重に告げる。

「殿、書状自体は確かに信行様名義でございます。ですが、これが偽造である可能性も残ります。末森城よりお呼び出しになり、直に真偽を確かめられるのが最も確実かと存じます。」

信長は眉を寄せ、書状を握りしめる。

「うむ、明朝には末森城より呼び出して、勘十郎と直に話をせねばならぬな。」

勝家は膝を折り、静かに応じた。

「その通りでございます。拙者が直々に申し伝え、問い質して参りますれば、もし偽造であれば、殿の御意に沿う処置も可能にござります。」

信長はしばし書状を眺め、やがて口元に微かな笑みを浮かべる。

「よし。では勘十郎には病気の見舞いに来るように、と言えばよい。これで自然に清州城に呼び寄せることができる。」

勝家は頷き、二人で密かに作戦を確認した。こうして織田信長は判物状を手元に置き、翌日の信行召喚の手筈を整えるのだった。


数日後に何も事情を知らない信行は信長の病気見舞いに尾張清州城に登城した。そして兄信長の病室に入る前に、織田家の位牌が置かれている大きな仏壇のある部屋に向かった。彼は仏壇を開けて正座をすると、”萬松寺殿桃巌道見大禅定門”と書いてある父信秀の位牌に祈った。

「父上、この武蔵守勘十郎信行、必ずや織田弾正忠家を盛り立ててどこの大名にも負けない家にしますぞ。」


亡父への短い挨拶を終えると、信行は信長の病室に入った。

「兄者、お加減は如何でござるかな。余り大事でないと良いのだが。織田弾正忠家の当主容態不安となれば、守護代家の両名、東の今川に付け入る隙を与えて我らの領内は不安な状況になる。さすれば諸国との交易や熱田神宮からの実入りもなくなってしまう。早く兄者に回復してもらわんとなあ。」

永禄元年年(1558年)年の瀬も迫ったころに、尾張清州城に織田弾正忠家の当主信長が風邪で体調を崩したと聞いて、弟で末森城主である信行が見舞いに来ていた。この二人は六年前に病死した織田信秀の嫡子で、共に土田御前を母とする同母兄弟である。とは言え、兄の信長は当時の日本人男性としては背が高く色も白くて貴人の風体が有ったのに対し、弟信行は当時としても小柄で色も浅黒かった。


信長はまだ体調がすぐれなかったが、信行の言葉に頷いた。

「信行、わざわざの見舞い相済まぬ。最近はめっきり寒くなってきたので、風邪をひいてしまったようだ。ところで熱田神宮と言えば、そなたに話しておきたいことが有ったのだ。」

「兄者、それはいったいどのようなお話で?」

と信行は尋ねた。信長は少し体を起こして答えた。

「その方、未だに熱田神宮に判物状を出しておろう。熱田宮司がその方の書状を持って、儂に一体どちらが弾正忠様でございますかと聞いてきおった」

信行は少し気色ばんで答えた。

「何を益体も無いことを申される。儂はもう弾正忠を名乗っておらず、また判物状も一切出してはおらんぞ。稲生で負けた際にそれを条件として手打ちにしたではないか。この信行、誓ってそんなことはしておらぬ。根も葉も無い事を申されるな。」

しかし信長は引き下がらずに、布団の下から書状を引き出した。熱田神宮宛の判物状で、信行の名前と亡父信秀の者に酷似した花押が押されていた。

「これでも知らぬ、存ぜぬと申すのか。」

「本当に知らぬと言っておろうが。兄者はこのようなものを誰かに作らせて、因縁をつけて何をするつもりか。」

「まだ白を切る気か。動かぬ証拠はここに有る。お主が非を認めて、これまでの儲けを弾正忠家に戻すならば、母御前に免じて今回も許してやるぞ。」

「くどいぞ。儂は熱田に何もしておらぬ。儲け等も有るはずもなし、返すも返さないも無い。阿保らしいから儂は帰るぞ。」


両者とも一歩も自分の言い分を譲ろうとしないのを見て重臣の一人、河尻秀隆が仲裁に入った。

「まあまあ、お二人とも。そのようにお喧嘩をなされては、それこそ内外の敵に付け込まれますぞ。」

信長は河尻の言葉を全く無視して信行に言った。

「その方の顔なぞ見ていると更に病が悪くなる。今日はもう遅いが、明日早々には立ち去れ。」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに信行は室を出て行った。信長は病床を出て河尻秀隆に言った。

「気分直しに酒が飲みたくなった。権六(柴田勝家)も呼んでまいれ。」

秀隆は少し慌てて「暫くは安静になされた方が。」と止めようとしたが、信長は「構わぬ。」と遮った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る