ある一室
羽鐘
モニターは映し出す
どのくらい僕はここにいるの、かわからない。
そもそも僕が誰で、どこで生まれたかも、覚えていない。
気がついたらこの部屋にいて、テレビモニターに映し出された映像を見るだけの生活を過ごしている。
モニターには誰かもわからない人の苦悩が流れる。
ある時は、貧困のなか、懸命に幼い我が子を育てる母親の声なき叫び。
別の時は、夢を追いかけようとして、反対を恐れて静かに泣く少年。
いつかは、リストラされて今後の生活を絶望視する中年男性。
流れるのは決まって、先が見えない未来へ怯える人たちの姿。
僕はその様子を、ソファーの上で胡座をかき、腕組みをして眺める。
そして僕は決まって、ポツリと呟く。
『みんな、素直になればいいのに……』と。
『言霊』というものがある。
言葉に魂が宿り、話したことが現実になること。僕はそう理解している。
流れてくる人たちは、皆、胸の裡の不安を口に出すと、それが現実になることを恐れている。
でも、口に出さないと、覚悟を決めないと、誰にも気持ちは伝わらない。
誰も察してなんかくれない。
自分ですら、本心に気付けない。
だから僕は、映像に語りかける。
『助けてと叫んで』
『夢を伝えて』
『一人で悩まないで』
その言葉に、テレビモニターの横の菊がふわりと揺れ、花びらが一枚散る。
すると、映像のなかの状況は好転していく。
誰かが、救いの手を差しのべてくれる。
モニターは笑顔を浮かべた顔を映してから、プツンと消える。
それと同時に、僕の世界から、色が消える。
ある時、またモニターに映像が映し出された。
愛する人がいるのに、振られることを恐れ、悲しむ若い男性。
僕の見る限り、女性も彼を憎からず想っている。
だから僕は、映像に語りかける。
『告白してごらんよ』と。
すると男性は、女性を思い出の場所に呼び出して、告白した。
でも、返事は『No』だった……
女性は涙を流しながら言う。
『愛しているけど、道は違う』と。
二人は別れ、別の道を進むことになり、僕は酷く後悔した。
僕が余計なことを言わなければ、二人は一緒だったのに、と。
映像のなかの男性は、悲しそうな力のない笑みを浮かべた。
そして、言った。
『告白する勇気をくれて、ありがとう』と。
その瞬間、菊の花びらが凛と張り、僕の世界に色が一つ戻った。
暖かな、赤色。
思わぬ出来事に、僕は菊に語りかける。
「一体、何が……」
菊は、僕の心に言葉を返す。
『あなたの言葉が誰かを支えたから』
そう、優しく。
僕は変わらずこの部屋にいて、流れてくる映像に語りかける。
『素直になればいいのに……』と。
色を失うこともあれば、戻ることもある。
変わらない日常。
でも、それが、僕の世界。
ある一室 羽鐘 @STEEL_npl
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます