第48話 日常と死線のあいだで
静音はしばらく黙っていたが、やがてため息をつき、腕を組み直した。
「あんたが雁木を怖がるのは……トラウマってこと?」
その問いには海莉は首を捻り、眉を寄せた。
「トラウマ……っていうか、普通に怖ぇだろ。強盗に襲われて、雁木さんがいて、で……因課に連れて行かれるって」
「更には、衝裂の暴発ね」
こくりと海莉が頷けば、静音はふっと笑う。
「小学生なら分かるけど、いい大人なんだからしっかりしなさいよ」
「してんだろ! 今は……ちょっとビビるくらいで」
海莉は肩をすくめ、空になった紙パックのストローを吸った。
「暫く灯影に世話になるし、あんたも支部で手伝うでしょ」
「まあな。それより、観測課どうすんだ。こっちに部署ねぇけど」
その問いに、静音はチョコレートの包装紙を指先でくるくると捻りながら、少しだけ目を伏せた。
「……情報収集に回る。白楼の中にいたときは、影喰いを学術的に調査なんて出来なかったしね」
くしゃり、と包装紙を軽く握りつぶす。
「でも……今なら出来る。灯影からなら、白楼に入ってくるデータも多少は拾えるし」
少し考えるような間を置いてから、海莉は菓子カゴの中に手を伸ばし、ビスケットを一枚取った。
「……影喰いの情報なら、本部のデータベースにアクセスした方が早いぞ」
「権限が必要になるじゃない。あたし、そんなの持ってないわよ」
静音が肩をすくめると、海莉は待っていたと言わんばかりに目を細め、にやりと笑った。
「俺のID貸してやる。基本的な権限は、だいたい持ってるし」
「……因課で一番忙しい男ってのは伊達じゃないわね。IDまで働かされてるってこと」
海莉はビスケットを齧りながら肩をすくめる。
「便利だから使えって。どうせ俺が持ってても忙しいだけだし、俺は俺でやることあるしな」
「ま、有給謳歌しなさいよ」
「ぐ……休んでる場合じゃねぇってのに」
「いいじゃない、少しくらい」
ふっと笑い、静音は立ち上がる。
「灯影は、表現者の街。外に出て少しくらい遊んでもバチは当たらないわよ」
その言葉に、海莉は大袈裟なほどのため息を吐き、テーブルに突っ伏す。
「それが問題なんだよ……」
「は……?」
静音が怪訝な表情を浮かべれば、海莉はスマホを取り出す。
SNSを開けば、灯影市の情報が盛り沢山。
新しい服屋は、トレンドの先を行く。
おしゃれなカフェは、いかにも映えを狙ったかのようなスイーツ。
シルバーアクセサリーの新着情報に限定商品のセール。
「外に出たら……俺の意志じゃ止められねぇ……! 買っちまう……絶対買っちまう……!」
震える海莉に、静音が無言で引いた。
「……あんた、戦闘より物欲の方が強くない?」
「うるせぇ……俺だって……節制したいんだよ……!」
海莉が机に額を押しつけながら呻くと、静音はしばらく彼を見下ろしていた。
そして、ぽつりと「あ……」と声を漏らす。
「そうだ。この店のマフィン、テイクアウトしてきて」
「追い打ちかけんな!!」
海莉は頭を抱えたまま呻く。
静音はため息をひとつ吐き、軽く肩をすくめた。
「……まあ、あんたが元気なのは分かったわ。よし」
「……よしってなんだよ」
場の空気がわずかにほぐれ、二人はいつもの呼吸に戻った。
***
因課・灯影支部。とある一室。
雁木と蓮は、無言で向かい合っていた。
「――で、てめぇらの組織が灯影に来ると?」
雁木が静かに問いかけると、蓮はごくりと息を飲み、頷いた。
「ストラタム防衛技研……俺の世代の強化人間はもう俺一人だけだ。けど、後継の開発だけは続いていた。あいつらは、異能を兵器として扱う。躊躇なく壊す。命令波さえ出せば、ストラタム兵は迷いなく襲ってくる」
「それが、なんで灯影に向かってくる」
雁木の眼光が鋭く細くなる。
「……多分、俺の死亡偽装がバレた。それに……例の区画を見た海莉や祈里が、“実験対象”から“殺害対象”に切り替わった。ストラタムは証拠を残さない。全部まとめて、排除する」
雁木の指先が、机上のボールペンを無意識に軋ませた。
「……命令波の素子は、今でも俺の身体に埋まってる。スピーカー役の強化人間が来て、命令を出されたら……俺は抗えない。意識も身体も勝手に動く」
蓮は震える拳を、膝の上でぎゅっと握りしめた。
俯いたまま、唇を強く噛む。
「だから――」
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、恐怖も迷いも、もうなかった。
「その時は、俺を壊してほしい。俺が、あんたたちを殺す前に」
雁木は、暫く何も言わなかった。
ただ、その瞳の奥は確かに怒りを孕んでいた。
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