第47話 生き残るための力

 因課・灯影支部、応接室。


「ほんっっっとに、すみませんでした!」


 派手なメイクにポニーテール、アクセサリーを沢山身につけた、一目で灯影の人間と分かる女性が、海莉の隣で深く頭を下げる。


 浅葱海莉の母親だった。


「うちの子、想像力豊かというか……脳内がファンタジーなので……でも! 助けていただいて本当にありがとうございます!」


 雁木は腕を組んだまま、無表情でその謝罪を受けた。


(この親あってのこの子ありってか……)


 心の中でだけ毒づき、ため息まじりに書類へ視線を落とす。


「コンビニ強盗事件。その際に──」


「やっぱ海莉にはお買い物早かったんですかねぇ〜! ほんと、この子、運が悪くて!!」


 笑っているのに、明らかに動揺している母親の声が割り込む。

 雁木は書類から顔を上げ、じろりと母親を見遣る。


「……運の問題じゃねぇ。あんな状況で生きて帰ったのは、坊主の“異能の兆候”があったからだ」


「い、異能……? 海莉に異能があるんですか!?」


 母親が目を丸くする。

 雁木は重たく書類を机に置いた。


「強盗がナイフを子どもの首に当ててる状況で、衝撃波を起こしかけた。普通のガキにできる芸当じゃねぇ」


 ちらりと海莉を見るが、海莉は母親の影に半分隠れたまま、目を潤ませて俯いていた。


(泣き疲れて相当参ってんな……)


 雁木はこめかみに手を当て、小さく吐き捨てるように言う。


「……運が悪かったのは強盗の方だ。あのまま放っといたら、お前の息子の揺れただけの反射で粉々になってた可能性がある」


「こ、粉々!? え、すごっ……!」


「そう。衝裂ってのはそういう系統だ」


 雁木は、机の端に置いた異能登録の資料を指先で軽く叩いた。


「坊主には、暴走の可能性がある。登録して正規訓練を受けた方が……生きやすい」


 それは脅しではなく、ただの事実だった。

 海莉は母親の袖をぎゅっと握りしめ、小さく震えながら言った。


「……死にたくない……」


 母親はその声に顔を歪め、雁木を見た。


「登録……すべきでしょうか」


「異能者の異能登録は義務だ。未登録異能者が何か犯したら、罪に問われる」


 雁木は視線を海莉へ向ける。


「坊主がまた今日みてぇな目に遭ったら、今度は助かんねぇかもしれねぇ。あの衝撃、本人の体にも負担がくる」


 海莉は、涙をこぼしながら、それでも雁木の言葉を聞いていた。


「……つよく、なりたい」


 消え入りそうな声なのに、はっきりとした意志があった。

 雁木は、わずかに口元を緩める。


「なら、俺が面倒見る」


 その瞬間、海莉の運命は確かに動き出した。


「え、面倒見るって……どういう」


 母親が恐る恐る尋ねると、雁木は僅かに笑みを浮かべた。


「悪いようにはしねぇ。この坊主の訓練、俺が直々につけてやる」


 母親は言葉を失う。

 海莉は 、母親の袖をぎゅっと握り、顔をぐしゃりと歪めた。


「やだあぁぁぁぁ!! しんじゃうぅぅぅ!!」


 絶叫。


 部屋中に響きわたった悲鳴に、雁木の笑みがゆっくりと消える。


「……おい。誰が殺すって言った」


 だが幼い海莉には、黒スーツの大男が不敵に笑いながら訓練を宣言してくるという状況だけが強烈に焼き付いた。


「むりぃぃ!! こわいぃ!! あのひとヤクザぁぁ!!」


「誰がヤクザだコラ!」


「ひいいぃぃぃ!!」


 怒鳴り声が響くたび、海莉は母親の背中に半分隠れながら震えた。


「ちょっ、海莉! 言い方!! 気持ちは分かるけど!」


「だってぇ!! こわいもん!!」


 母親が雁木へ必死に頭を下げる中、雁木は深いため息を吐いた。


「……ったく。いいか坊主。お前は異能持ちだ。放っときゃ、今回みたいにすぐ暴れる」


 怒ってはいない。

 むしろ言葉は、どこか事務的で冷静だった。


 しかし、幼い海莉には、どうやっても捕まって連れていかれるようにしか聞こえない。


「……行きたくない……」


「行きたくないとか関係ねぇ。今のままじゃ、お前はいつか本当に死ぬぞ」


「し、しししし……ころさないでぇ!!」


「俺じゃねぇよ」


 向いに座る雁木は、前屈みで目線を合わせる。


「だから俺が鍛える。守ってやる……できるようになるまでな」


 その言い方が恐ろしくて、海莉は目をそらした。


(できるようになるまで? って……いつ……?)


 母親は、ゆっくりと息を飲み、海莉の背中を優しく押した。


「……ね、海莉。生きるためなんだよ。雁木さんは、悪い人じゃないんだからね。さっき助けてくれたでしょ?」


「……うぅ……」


 海莉は泣きそうな表情で雁木を見た。

 雁木は腕を組んだまま、短く告げる。


「今日じゃねぇ。明日だ。放課後、迎えに行く」


「…………」


 海莉の脳裏に、迎えに来る黒スーツの大男という恐怖映像が浮かんだ。


***


 翌日。

 連れてこられたのは、市外れの訓練場。


 鉄骨、砂地、古い車両、謎の落とし穴。

 幼い子供には意味不明な恐怖スポットの集合体。


「ここで……やるの……?」


「ああ。当たり前だ」


 雁木はスーツの上着を脱ぎ、腕まくりをした。

 その身体は、子供の目でも分かる戦う大人の身体だった。


「坊主。今日からお前は、生き残る訓練をする。異能を持つ以上、逃げるだけじゃ死ぬ」


「……あ……の……」


「ん?」


「…………帰りたい……」


「却下」


 雁木は容赦なく手を叩いた。


「まずは走るぞ坊主。ついて来い。置いてかれたら、その時点で死んだと思え」


「ひぃぃ!!」


 雁木の厚い筋肉が浮かび、海莉は顔を引きつらせた。


「……む、無理……」


「無理かどうかは俺が決める。行くぞ」


「やだああああぁぁ!!」


 海莉の悲鳴を完全に無視し、雁木は歩き出す。

 歩き……出すだけだった。


「速い!! 速いって!! なんで歩いてんのに速いの!!?」


 海莉は全力疾走しているのに、雁木の背中は全く距離が縮まらない。


「遅ぇぞ坊主。置いてくぞ」


「置いていかれたくないぃぃ!!」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら必死で走る海莉。


 しかし、その時だった。


 訓練場の端に設置された金属パネルが突然、ギィィと音を立てて動いた。


「止まるな」


「え? なんで? なんの音? やだァァ!!」


 海莉が足を止めそうになった瞬間。


 パネルが倒れ、巨大な影が上から落下してきた。

 鉄の塊が地面に叩きつけられる轟音。


 海莉の耳が一瞬でキンと鳴る。


「ひっ…………!」


 恐怖で足が縫い付けられたように動かなくなる。


「動けって言ったよな?」


 雁木の低い声。

 海莉の足は震え、呼吸が乱れ、喉がひゅっとつまった。


「む、無理……動けない……こわい……」


 涙で視界が滲む。

 雁木は海莉の前にしゃがみ、肩に手を置いた。


 その手は大きくて、温かい。


「坊主。いいか。“怖い”ってのは動けなくする毒だ。だがな、“怖いから動く”ってのも、もうひとつの本能だ」


 海莉は小刻みに首を振る。


「む、無理……ぼく、むり……しぬ……」


「死なねぇよ。俺がいる」


 雁木はそう言って立ち上がり、海莉の背中を押した。


「走れ。今のうちにだ」


「ひっ……あ、ああ……!」


 海莉は涙目のまま足を踏み出そうとした。


 しかし、踏み出した瞬間、別の影が海莉の視界を塞ぐように降ってくる。


 訓練用の落下物。鉄の箱。


(死ぬ……!!)


 幼い脳はそれしか考えられなかった。

 だが、海莉の胸の奥で、何かが爆ぜた。


 空気が、裂けた。

 何も触れていないのに、落下物が横に弾け飛ぶ。

 周囲の空気が波打ち、砂地が丸く抉れる。


「……え?」


 海莉は自分の両手を見た。

 何も持っていないのに、鉄の箱が吹き飛んだ。


「今の……なに……?」


 自身が何をしたのか理解できず震える。

 雁木は、海莉の前に立って鉄塊を確認してから、小さく笑った。


「今のが“衝裂”だ」


「しょうれつ……?」


「そうだ。お前の異能だ。生存のために初めて暴れた……本能の力だ」


 海莉の小さな胸は激しく上下し、手も震えている。


「こわい……ぼく、なにしたの……? ぼく、人をころすの……?」


「違ぇよ」


 雁木は迷いのない声で言い切った。

 次の瞬間、海莉を抱き寄せる。

 乱暴に見えるのに、その腕は強く温かい。


「坊主、聞け。お前は殺すためじゃなく、生きるためにこの力を持ってる。今日のお前はよくやった。誰も傷つけてねぇ。むしろ自分を守った」


 海莉は雁木の胸に顔を埋め、息を震わせた。


「こわかった……! すごく……こわかった……!」


「ああ。怖かったな。でも、よく生きた。偉いぞ」


 海莉の小さな手が、雁木のスーツをぎゅっと掴む。


 その瞬間、雁木はふっと微笑んだ。


「坊主。今日からお前は守られる側じゃなく……生き残る側になる」


「……生き残る……?」


「ああ。俺が鍛えてやる。誰より死なねぇ異能者にしてやる」


 海莉の涙は止まらない。


 だけどその涙は、恐怖だけじゃなく、

 どこか救われたような温かさが混じっていた。



 この日から、海莉は、雁木に対して“本能的な恐怖”を抱くようになった。


 雁木は優しい。

 助けてもくれる。


 だが、あの巨大な鉄塊よりも、雁木の訓練の方がよっぽど怖かった。


 そして――


 雁木が怒ったときの海莉の恐怖反応は、この日の暴走とセットで刻まれている。

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