2つの魂と、覚醒した「この世界のライル」


不在の魔帝と地道な訓練

魔帝会議と「戦代」への招集により、兄アステルが王都を離れている間も、弟ライルと弟子リゼの訓練は続いていた。


王城の裏庭、人目につかない場所で、リゼは毎日走り込みを続けている。ライルは、リゼの走法や呼吸法を指導し、その『素早さ付与』の効率を高める手助けをしていた。


最初の頃、長時間身体を酷使すれば疲労困憊で怪我もしていたリゼだったが、ライルの指導とアステルの教えによって、今では長時間身体を酷使しても特に問題なく動かせるようになっていた。


「リゼさん、今の加速、最高効率に近づいています。体幹のブレがほとんどありません」


「はい! ライルさんのアドバイスのおかげです!」

和やかな空気が流れる中、突如として、背後から冷たい殺意が放たれた。


シュッ――


黒装束の人間が二人、音もなく二人の間に現れた。彼らは、アステルの依頼を拒否され、ライルの事業に圧力をかけようと目論む辺境伯の差し金であろう。


転生者の無力と少女の抵抗

二人のうち、大柄な一人が電光石火の速さでライルの背後に回り込み、彼の首元を掴んで、近くの石壁に叩き付けた。


ドンッ!


「ぐっ……! お前、誰だよ……!」


ライルは、頸動脈を圧迫され、苦しみながら問いかける。魔法適性ゼロの身体では、この規格外の握力を持つ刺客に抵抗することすらできない。

黒装束は、冷酷な声で囁いた。


「悪いな、依頼なんだ。恨むなら、お前の地味な兄を恨みな」


その瞬間、訓練中だったリゼが動いた。彼女は、持ち前の『素早さ付与』を一瞬起動させ、黒装束の腕に飛びついた。


「やめて下さい!」


リゼは、師であるアステルを侮辱され、指導者であるライルを傷つけられた怒りから、握力を強くして刺客の腕を掴み、ライルから放させようとする。

しかし、黒装束はリゼを「邪魔するな」と一言吐き捨て、その小さな体を無造作に、魔力を込めた手で叩き付けた。リゼは悲鳴を上げる間もなく、地面に崩れ落ちた。


「リゼさんに、手を挙げんじゃねーよ!」


ライルは、弟子の危機に怒りを燃やすが、首を掴まれたままでは、魔法も使えない自身の力では、全く抵抗できない。無力感が、彼の転生者の魂を覆い尽くした。


(くそっ……! やはり俺は無能なままなのか……!)


意識が朦朧とし、頭が白く染まり始めた、その時。


覚醒した「この世界のライル」

ライルの意識が、深い底に沈む。転生者である「異世界の魂」が、肉体の限界と絶望によって一時的に意識を手放した瞬間、その肉体の奥底に眠っていた、「この世界本来のライル」の魂が、覚醒した。


それまでの冷静で知的なライルとは全く違う、荒々しく、攻撃的な殺気が周囲の空気を引き裂いた。


「触れんじゃねーよ、クズが」


その声は、低く、ドスの利いた、ライルとは思えない声だった。


次の瞬間、首を掴まれたままだったライルの足が、驚異的な速さで上がり、刺客の腹に鋭く蹴り込まれた。蹴られた黒装束は、呻き声すら上げられずに数メートル吹き飛び、壁に激突して意識を失った。

ライルは、自由になった首を鳴らしながら、周囲を見渡した。


地面に倒れているリゼを見て、彼は何の感情もこもっていない、冷たい視線を向けた。


「ラ……ライルさん?」

リゼは突然の変貌に、恐怖と戸惑いを露わにする。


「誰だお前。もしかして、俺にガールフレンドでもいたの? まあいいや。なんでもさ」


その口調は、まるで他人事。転生前の記憶を引き継いでいる様子は一切なく、この世界本来のライルの記憶と性質だけが、肉体を支配していた。


彼は、残るもう一人の黒装束に、迷いなく声をかけた。


「お前、どこの組織のやつだ?」


刺客は恐怖に顔を引きつらせるが、「答える筈がないだろう!」と叫びながら、短剣を構えて襲いかかってきた。


しかし、ライルはその刺客の顔面に、凄まじい速度で手を伸ばし、顔面を掴んだ。そして、容赦なくその頭を床に叩き付けた。


ガンッ! ガンッ! ガンッ!


何度も何度も、後頭部を石床に打ち付ける。血が飛び散り、数秒後には刺客はぐったりと気絶した。ライルの行動は、躊躇もためらいもない、純粋な暴力だった。


リゼは、恐怖でその場に座り込んでいた。

「ライルさん、しっかりして下さい! 貴方はそんな暴力的な人じゃ……」


リゼの言葉に、ライルは一瞬で近づき、彼女の胸元を掴み上げた。


「外野は黙ってろよ」


その瞳は、暗く、冷たく、まるで獣のようだった。彼はリゼを掴んだまま、何の感情も込めずに壁際へ放り投げた。リゼは衝撃で息を詰まらせたが、幸い、怪我はなかった。


ライルは、乱暴に服の埃を払い、倒れた二人の刺客を一瞥した。


「ちっ。くだらねぇ」


そして彼は、誰に告げるでもなく、その場を去っていった。その足取りは、転生者のライルが見せたことのない、力と暴力に満ちた確かなものだった。

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