個性と凶器、そして兄の哲学
転生者の悔恨
それは、アステルが五大魔帝の末席に加わるよりもずっと前、まだ彼が「無属性魔法の若き天才」とだけ呼ばれていた頃の話だ。
ライルは、冷たい学園の廊下の隅で、教師の目を盗んで嘲笑う生徒たちの声を聞いていた。
「またアステルの弟がいたぞ。魔法のセンスが全くない、あの無能」
「兄は魔帝候補とか言われてるけど、弟はただの平民以下だ。そんな奴、この世界じゃゴミだ」
魔法が全てを決める世界。前世では知識と技術を頼りに生きてきたライルにとって、この世界の理不尽は、耐え難い苦痛だった。知識は豊富でも、肉体は魔法を受け付けない。彼は、常に「無能な弟」というレッテルを貼られ、いじめの対象となっていた。
しかし、ライルの苦痛の源は、自分自身に向けられる侮蔑ではなかった。
(俺のせいで、兄さんが馬鹿にされる……!)
アステルは、小さな地方貴族の息子でしかない。爵位や権力は、五大魔帝や大貴族に遠く及ばない。だが、彼はその「魔帝候補」という地位を鼻にかけることは決してなかった。
「アステルも無属性魔法なんて地味なものばかり極めて、つまらない奴だ」
「あんな地味な魔法で、本当に魔帝になれるのか?」
兄に向けられる、陰湿な嘲笑の言葉。ライルが前世の人生で見てきた、権威を振りかざし、力を笠に着る貴族たちとはあまりにも違う兄の姿は、信じられないほど尊かった。
だからこそ、ライルは、アステルが馬鹿にされることを許せなかった。
誇りと地味な魔法
ある日の夕暮れ、誰もいない学園の裏庭で、ライルは訓練を終えたアステルに、つい、苛立ちをぶつけてしまった。
「兄さんは……どうして、そんなに堂々としているんだ?」
アステルは、地味な無属性魔法の鍛錬で疲弊しきった身体を休めながら、首を傾げた。
「何を、ライル」
「皆が兄さんを馬鹿にしているんだ! 『地味だ』『最弱だ』って! 兄さんはあれだけ努力して、誰よりも強いのに、どうしてそれを否定しないんだ!」
ライルは拳を握りしめた。
「どうして、その魔法使いであることに誇りを持っていないんだ! 兄さんがその力を振りかざせば、誰も文句なんて言えないだろう!」
アステルは静かにライルを見つめた。いつものように穏やかで、しかしどこか達観した瞳だった。そして、ゆっくりと口を開いた。
「確かに、この世の中は魔法を扱える人たちは特別な存在だと言われているね。僕も無属性しか扱えないけれど、それでも魔法のセンスはあるのかもしれない」
アステルは空を仰ぎ、薄れゆく夕日を見た。
「でもね、ライル。そんな『特別な人間』だからこそ、普通の人を人と接しないのは違うことなんだ」
「違う、って……」
「僕の無属性魔法は、君の言う通り、派手じゃなく地味だ。なんなら、純粋に身体能力がすごい人や、熟練の剣士には負けてしまうかもしれない。だけど、それだけなんだ」
アステルは弟の肩にそっと手を置いた。
「魔法が使えるのは、ちょっと人とは違うだけの個性なんだ。足が速い人、歌が上手い人、勉強が出来る人、話が面白い人、そして魔法が使える人……力を扱えるのは個性であって、優劣なんて付けられないんだよ」
力を凶器にしない
ライルは言葉を失った。アステルにとって、世界を変えるほどの力である魔法が、ただの「足が速い」という個性と同じ範疇にあるという認識が、理解できなかった。
「力に自信を持つことは悪くない。僕も自分の魔法に誇りを持っている。でも、それに奢ってはいけないんだ」
アステルは手のひらに、一瞬だけ無色の光を灯し、すぐに消した。
「力は使い方次第で凶器になる。刃物と同じなんだ。この力を、弱い人間を脅したり、自分の権威を示す道具に使うのが、僕たち魔法使いの役目ではないんだよ」
アステルはライルの髪を優しく撫でた。
「ライル。僕自身が馬鹿にされることについては、どうか見逃して欲しい」
ライルは驚いて顔を上げた。
「それは、ライルが不甲斐ないからではない。彼らは、まだ人としての価値に気付けていないだけなんだ。力や権威でしか、人を測ることができない。でも、それを知っていくには時間をかけるしかない」
アステルは、哀れむような、寂しそうな瞳で笑った。
「だから、彼らを許してあげて欲しい。いつか、僕たちの力が必要な時が来る。その時、この地味な無属性魔法が、誰かの希望になればいい。それだけで、僕の努力は報われる」
ライルは、その日以来、自分の無力さと、アステルに向けられる侮蔑に苦しみ続けた。しかし同時に、力を驕らず、哲学を持って生きる兄を、心から尊敬するようになった。
――だからこそ、ライルは心に誓っていた。
(兄さんは誰も傷つけない。兄さんが馬鹿にされることも、許してしまう。ならば、兄さんの代わりに、俺が。兄さんの愛情を盾にして、兄さんを馬鹿にした全てを、徹底的に叩き潰してやる)
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