兄弟の盾(イージス)と「最弱」の怒り


路地裏の絶望

ドロドロとした暗い匂いが漂う、王都の裏路地。貴族街の華やかさとは無縁のその場所に、ライルは追い詰められていた。

彼の前には、フードで顔を隠した三人の男。誰もが剣や短剣を構え、その武器には生々しい魔力が込められている。彼らの目的は一つ。第六の魔帝アステルを侮辱するための道具を破壊すること――つまり、魔法適性ゼロのライルの殺害だ。


「おいおい、最弱の魔帝の弟様が、こんな薄汚い場所で何をなさっている?」


リーダー格の男が、下卑た笑いと共に剣を突きつける。


「いいか、小僧。貴様の兄は魔帝の恥だ。そして貴様は、その恥の弟。さっさと消えて、俺たちの主人の不興を晴らせ」


ライルは奥歯を噛み締めた。転生者としての冷静な思考は、この状況で抵抗しても無駄だと告げている。魔法が使えない自分は、魔力で強化された彼らの攻撃を前に、ただの肉塊にしかならない。


(くそっ……俺さえいなければ、兄さんはこんな連中に馬鹿にされないのに!)


彼が悔しいのは、自分が殺されることではない。自分が兄の「弱点」として利用され、兄の威厳が損なわれることだった。


「どうした? 魔法適性ゼロの無能。恐怖で立てないか?」


男たちは嘲笑を増幅させ、一斉に飛びかかった。剣が振り下ろされる。ライルは目を閉じ、全身に走るであろう激痛に覚悟を決めた。

その刹那。


「私に触れるな」


キン、という乾いた音が路地裏に響いた。

ライルは痛みを感じない。ゆっくりと目を開けると、自分の目の前に、見慣れた細身の背中があった。


「……アステル兄さん?」


公務で王都を離れているはずの、第六の魔帝アステル・ゼフィール。彼は、背を向けたまま、ただの杖一本で、三人の刺客の剣を完全に受け止めていた。


「どうして……ここに」


「私に触れるな」


アステルは、弟からの問いかけではなく、刺客たちに向けて静かに、しかし世界を凍らせるほどの低い声を発した。杖は微動だにしない。


「私を馬鹿にするのは、構わない」アステルの声は淡々としている。「私の極めた無属性魔法を『地味』だと笑い、私を『最弱の魔帝』と呼ぶのも、結構だ」


彼はゆっくりと杖を押し返し、三人の刺客を数メートル後退させた。


「だが……私の、唯一の、守るべきものに、その汚い手で触れるのは許容範囲外だ」


刺客たちは冷や汗を流した。確かにアステルは最弱と揶揄されるが、目の前の男は間違いなく世界最強の一角、魔帝だ。彼から放たれる圧倒的な威圧感は、ただの刺客が耐えられるものではなかった。


リーダーが震える声で叫ぶ。「ひ、退け! 魔法は効かない! あいつは最弱だ、ただの……!」


その時、アステルは杖を下ろした。そして、ライルを振り向きもせず、淡く、澄んだ無色の光を放つ魔法を起動させた。


絶対付与(イージスの加護)

その光は、五大属性のどれよりも地味で、派手さも破壊力もゼロだった。しかし、その輝きは極限まで高められた純粋な魔力そのものであり、アステルの全ての努力と愛情の結晶だった。


「無属性魔法、奥義――『絶対付与(イージスの加護)』」


光がライルの全身を包み込む。彼の体内の魔力適性ゼロの器官を無視し、純粋な魔力が彼の肉体の隅々まで染み渡っていく。


一瞬にして、ライルの全身の筋肉が隆起し、体格が数段階引き上げられたように見える。息をするだけで、肺に空気が爆発的に流れ込む感覚。五感は研ぎ澄まされ、周囲の音や光がスローモーションのように感じられた。


アステルの囁きが、ライルの脳内に直接響いた。


「今、君は世界で最も『強化』されている。素早さ、防御力、攻撃力、全てが常識を逸脱した領域にある。君を馬鹿にした彼らは、私の魔法の真価を、その身をもって知ることになる」


アステルは刺客たちに向き直り、静かに告げた。


「さあ、試してみろ。彼を『無能』と罵ったお前たちが、その『無能』にどうあがいても勝てないという現実を」


規格外の破壊者

刺客たちは戸惑いながらも、覚悟を決めて再び突進した。


「怯むな! あいつはただのバフを受けただけだ! 素人なんだ、押せば勝てる!」


リーダーが剣を横薙ぎに払い、ライルの首を狙う。


(遅い……!)


ライルの転生者としての頭脳は、男の剣筋を完全に予測していた。魔法適性ゼロの彼に、今や世界最高の『素早さ』が加わっている。

ライルは、魔法も使わない、ただの右ストレートを放った。


ドォォンッ!!


リーダーの剣は空を斬り、その顔面にライルの拳が叩き込まれる。その威力は、魔力で全身を強化した刺客の肉体防御を、紙切れのように貫いた。


「がぁッ!?」


男の顔面は一瞬で血に染まり、数メートル吹き飛び壁に激突。そのまま意識を失い、グチャリと崩れ落ちた。


残りの二人は、友人の一撃で沈む光景に、恐怖で足を止めた。


「ば、バカな……! 今のは、魔帝クラスの一撃だぞ!」


もう一人の刺客が、渾身の炎魔法を放つ。ライルはそれを、避けることすらしない。


ガンッ!という鈍い音と共に、炎はライルの『絶対防御』に弾き返され、彼の服すら焦がすことはできない。炎はそのまま壁に直撃し、焦げ跡だけを残した。


ライルは静かに歩みを進める。彼に今、魔法は必要ない。あるのは、兄の深い愛情によってもたらされた、純粋な、そして規格外の肉体能力だけだ。

最後の刺客は、完全に戦意を喪失していた。


「あ、悪魔だ……! 魔法適性ゼロだと? 馬鹿な! この男は、魔帝を凌駕している……!」


「――俺を馬鹿にするのは構わない」


ライルは、転生者としての冷静な視線をそのままに、初めて口を開いた。彼の声は、アステルにそっくりなほど、静かだった。


「だが、俺の兄を馬鹿にする奴は、この世界に存在しなくていい」


その言葉と同時に放たれた、『絶対素早さ』が乗った回し蹴りが、刺客の腹部に炸裂した。


ズシャアアアアン!!


血を吐きながら、最後の刺客もまた、瓦礫の中に叩きつけられた。


アステルは、その全てを満足げな表情で見届けた。路地裏に立ち尽くすライルを、彼の無色の魔力はまだ守り続けている。


「これで、誰も君を舐めなくなるだろう、ライル」


そして、アステルは静かに笑った。彼の無属性魔法が、誰よりも「最強」であることを、証明した瞬間だった。

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