師範代のレベルアップと、奢りの夕食〜
繰り返しと身体の適応
その日、ヒカリは朝から晩まで、特訓ギルドの訓練場で同じ動きを繰り返していた。
最短3秒チャージで加速。壁に激突する直前、急回転で反動を殺し、着地と同時にリーネの姿を一点に見据えて次のタメに入る。
何度も、何度も。全身が悲鳴を上げるまで、ヒカリはSランクの力の反動を制御するための動きを、生身の身体に叩き込んだ。彼は居合斬り以外のスキルがない代わりに、その驚異的な集中力と学習速度で、徐々に身体を適応させていった。
リーネは弓を構えたまま、ヒカリの動きを厳しくチェックし続けた。
「よろめきが減ったわ、アサクラ君。回転後の視線もブレない。もう、タメの集中を途切れさせないでしょう」
ヒカリは額の汗を拭いながら、力強く頷いた。「はい。これで、納刀の隙も、回避不能な攻撃も、すべて次の居合の準備に変えられます」
「ふふ。あなたのその『ゴリ押し』の精神力には、私も驚かされるわ」リーネは珍しく笑みをこぼした。
レベル99の到達
日が傾き、訓練場にオレンジ色の光が差し込む頃。ヒカリは最後の特訓を終え、身体から立ち上る湯気と共に静かに納刀した。その瞬間、リーネの頭上に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
それは、ヒカリ以外の者にも見える、レベルアップの通知だった。
リーネ
レベル: 98 → 99
経験値: MAX!
リーネは自分の頭上の通知を見て、弓を持つ手を止めたまま、目を丸くした。
「え……あら?私、とうとうレベル99になったの?」
特訓場の隅で休憩していたタマキが、ガバッと立ち上がった。
「うわ!リーネ師範代、ついにカンスト寸前やんか!おめでとう!」
リーネは微笑んだ。特訓ギルドの師範代として、長年指導と実戦を繰り返してきた彼女にとって、レベル99は一つの到達点だった。
「ふふ。まさか、このタイミングで上がるとは思わなかったわ。ここ数日、あなたの特訓に付き合って、常にSランクの居合の殺気を避け続けていたから、集中力と経験値が極限まで溜まっていたのね」
リーネはヒカリに向き直った。
「アサクラ君。あなたのおかげで、私も壁を超えられた。これはあなたがもたらした経験値よ」
「俺はただ、自分の特訓をしただけですが……」
ヒカリは戸惑った。
師範代の奢り
リーネは優雅に弓を下ろし、訓練を終えたヒカリと、駆け寄ってきたタマキを見た。
「さあ、今日はもう特訓は終わりよ。レベル99になった記念に、私がお二人にご馳走するわ」
タマキの狼耳がピクピクと興奮で揺れる。
「え!?リーネ師範代の奢り!?やったー!」
ヒカリも顔を輝かせた。リーネほどの高ランク冒険者が奢ってくれる夕食となれば、調理ギルドのシルバーランク以上の料理が食べられるかもしれない。
「タマキの見習いコックの料理ではなくて、もう少し質の良いお店に行きましょう。あなたがこの数日、硬い干し肉から解放され、心ゆくまで美味しいものを食べられるようにね」リーネは優しく言った。
「ありがとうございます、リーネ師範代!ぜひ!」ヒカリは深く頭を下げた。
美味しいものを食べたいというヒカリの「ゴリ押し」の欲望は、思わぬ形で、師範代のレベルアップという幸運を引き寄せる結果となったのだった。
タマキの半目と美食の壁
「一番好きなもの……」
ヒカリの頭の中で、その言葉がエコーした。ここ数日、彼が心から「美味しい」と感じたのは、タマキが作ってくれたプライドポテトだけだ。他の料理は食べたことがない。
彼は反射的に、口を開きかけた。
「じゃあ、俺はプライドポテトを――」
「待て」
言葉を言い切る直前、隣に座っていたタマキが、鋭い半目でヒカリをギロリと睨みつけた。
「アンタ、なに言っとるんや」タマキは小声で囁いた。「リーネ師範代のレベルアップ記念やで!アタイのポテトはいつでも食えるやろ!ここで頼むんは、『命懸けで稼がんと食えへん料理』やろが!」
タマキの眼力に、ヒカリは凍り付いた。そうだ。せっかくの最高ランクの奢りだというのに、彼は思考停止で「食べたことのある安心できる味」を選ぼうとしていたのだ。
ヒカリはハッと気づいた。メニューに並ぶ、見たこともない美味しそうな料理の数々。海鮮の燻製、濃厚なチーズ料理、そして具だくさんの煮込み料理……。
(くそっ!俺、この世界の美食を知らなさすぎる! 食べたこともないのに、「一番好き」だなんて言えるわけがない!)
ヒカリは、Sランクの居合斬りで魔物を両断することはできても、この「美食の壁」を前に、完全に立ち往生していた。彼の唯一の基準は、「プライドポテト」になってしまっているのだ。
リーネは、黙り込んだヒカリと、隣で小競り合いをしているタマキを不思議そうに見つめた。「どうしたの、お二人さん?」
謙虚な冒険者の皮
ヒカリは、内心の動揺を隠しながら、なんとか笑顔を取り繕った。
「いえ、リーネ師範代。その、俺のようなブロンズの若輩者が、いきなり一番好きなものを頼むのは、畏れ多いと思いまして」
(タマキさんに睨まれるより、こっちのほうがマシだ!)
彼は続けた。「あの、俺はまだこの世界の料理に疎いので……リーネ師範代とタマキさんが、おすすめする料理をいくつかいただいてもよろしいでしょうか?ぜひ、この機会に本物の味を知りたいんです」
タマキは満足そうに頷き、半目を緩めた。「せやろ!それが賢い冒険者や!」
リーネも満足そうに頷いた。「そうね。それと、この『濃厚チーズのグリル』も美味しいわ。ヒカリ君、まずは様々な味を知ることからね」
ヒカリは、二人が選んだ料理をありがたく受け入れることにした。
(くそっ!またしても、ゴリ押しで解決できない壁にぶち当たったぞ!この美食の壁は、5分チャージでも両断できん……!)
ヒカリの美食を賭けた「ゴリ押し」は、「美味しい料理を片っ端から食べ尽くし、『一番好きなもの』を見つける」という、新たな使命を得て、さらに強固なモチベーションとなったのだった。
煮込み料理と極上のチーズ
リーネとタマキが選んでくれた料理が、次々とテーブルに運ばれてきた。
まず、タマキが選んだ『古代のレシピを再現したミネストローネ風煮込み』。
深い赤色のスープからは、乾燥ハーブとは比べ物にならない、新鮮で複雑な香りが立ち昇っている。
ヒカリはスプーンを手に取り、一口飲んだ。
「……っ!」
その瞬間、ヒカリの口の中に、今までのブロンズ食堂では決して味わえなかった、生命力に満ちた熱が広がった。ゴリゴリの干し肉では得られない、柔らかく煮込まれた肉と野菜の旨味が、舌の上で溶け合う。
「うっま……」ヒカリは思わず唸った。「味が、濃いのに、しつこくない……」
次に、リーネが選んだ『濃厚チーズのグリル』。熱々の皿に乗った、分厚いチーズは表面がカリッと焼き上げられ、中はトロリと溶けている。
ヒカリは、タマキが用意してくれた硬めのパンにチーズをたっぷり乗せ、口に運んだ。
「うおぉぉ……!」
鼻を抜ける芳醇なチーズの香り、舌にまとわりつく濃厚なコク。ブロンズ食堂の酒のツマミで出てくるような粗悪なチーズとは、比べものにならない奥行きのある味だ。
「この味は、今まで食べた中で、ダントツで……プライドポテトの次に美味いです!」ヒカリは興奮気味に言った。
タマキは不満そうに狼耳をぴくりとさせた。「なんでや!なんでポテトの次やねん!これはタマキさんのポテトと並ぶくらい美味いやろ!」
ヒカリは真剣な眼差しで答えた。
「違います。プライドポテトは、毎日食べたい安心感。この料理は、命を懸けてでも食べたい感動です。だから、別格です」
ヒカリの純粋な「美味しい」という感動に、タマキもリーネも目を細めた。
食欲という名の原動力
食事中、リーネは優雅にワインを傾けながら、ヒカリに話しかけた。
「ヒカリ君。あなたのスキルは確かに規格外だけど、あなたの『美味しいものを食べたい』という欲求は、とても人間らしくて素晴らしいわ」
「欲求ですか?」
「ええ。私たちの原動力は、お金や名誉だけではない。美食も、愛も、全てが私たちをダンジョンへ駆り立てる。あなたは、その欲求が非常に素直で純粋よ」
リーネは笑いながら言った。
「ブロンズの肉では心は満たされないでしょう?このシルバーランク以上の料理を食べるためには、もっと魔性石を稼ぐか、危険な食材を手に入れる必要があるわ」
ヒカリは皿に残ったソースを一滴残らずパンで拭い取り、口に運んだ。その瞬間、彼の心の中で何かが決定的に定まった。
(俺のSランク居合斬りは、この世界を救うためじゃない。美味い飯を食べるためにあるんだ)
「リーネ師範代、タマキさん。ありがとうございました。俺の目標が、はっきりしました」
ヒカリは、全身の筋肉が疼くような感覚を覚えた。それは、新しい味を知ってしまったことによる、飢餓感と向上心だ。
「俺はまず、『プライドポテトよりも美味しいもの』を、このゴールドタウンの調理ギルドのメニューから探し出す。そのために、無限の宝物庫へ潜ります。そして、魔性石と、未知の食材をゴリ押しで手に入れてきます」
居合斬りの新たな使命
翌日、ヒカリはギルドカードを握りしめ、『無限の宝物庫』の入り口に立っていた。彼の腰には、いつもの刀一振り。防具はない。
タマキは早朝からヒカリに駆け寄り、特製スパイスをまぶした干し肉を差し出した。
「これ、腹持ちええから持っていき!死んだら、燻製チーズもパイ包みも食べられへんのやで!」
「ありがとうございます、タマキさん。絶対、生きて帰ります」
ヒカリの瞳は、昨日とは比べ物にならないほど鋭く澄んでいた。その集中力は、Sランクの居合斬りのチャージを始める直前の、極限の状態だ。
(最強の居合斬りを、最短の3秒から最長の5分まで使いこなす。防御は躱しと離脱の回転。攻撃はフェイントと柄打ち。全ては、美味しいご飯を食べるため)
ヒカリは、ダンジョンの暗闇に向かって、静かに足を踏み入れた。
居合斬りしかないなら、美食への道も、ゴリ押しで切り開く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます