23話「心繋」③
カニバル化した麻湖の処遇をどうするか、燈はずっと考えていた。
殺すべきだ、とまず思った。
あの塔子ですら、自我を失って五十人もの人間を殺したのだ。
麻湖も野放しにすれば必ず人を殺すだろう。
それに、最愛の塔子を殺したにもかかわらず、麻湖は殺さないというのは理屈に合っていない。たくさんのカニバルを殺してきたのに、ひとりだけ見逃すなんて有り得なかった。
しかし燈はそれと同時に、矛盾したもう一つの気持ちを抱いていた。
塔子と同じように麻湖を殺すのは、理屈に合わない。
なぜなら既に燈は知ってしまったからだ。
カニバルは人間に戻るという現実を知ってしまったからだ。
塔子がカニバルになったときは、打つ手がなかった。
しかしミライが《カニバルを人に戻す弾丸》を撃った時に、その前提がひっくり返った。
もちろん燈にそれは再現できない。
理由は二つあった。
ミライの武器は生命エネルギーを込めた弾丸のため、純度百パーセント、願いだけを込めることができる。一方で燈の武器は剣であり、そもそも物理的な当たり判定があった。
さらに一番大きな理由として、燈は殺意をなくすことができなかった。
カニバルは人を殺す。塔子さんですら例外なく人を殺す。
その相手に向かって、殺意や敵意を全く持たずに攻撃をするということが想像できなかった。
それは――世界中の人を笑顔にするという馬鹿げた夢を本気で語り続けているミライにのみできる芸当だった。
「麻湖を人質にでも取ったつもりですか? さすがに状況を楽観視しすぎだと思いますよ。僕が今さら麻湖にどうこう思うとでも? それに今の麻湖はカニバルです。人語もわからない、知性のないバケモノに――何かを思うとでも?」
「思えばいいな、と心の底から願っているよ」
「残念ながら」
燈はため息をついた。
もちろんもとより期待はしていなかったので、ため息は半分演技のようなものである。
「繰り返しになるが、俺はてめぇを殺すつもりだ。恩も情もあるが、人間をカニバルに変えても何も思わないやつは、もう殺すしかない」
そう言いながら、燈は麻湖の首を掴んで立たせる。
両手両足を縛られている麻湖は少しだけ抵抗したが、それっきりだった。
ミライは銃弾を撃たず、興味深そうに燈の行動を眺めていた。
「お前を上位カニバルから戻す方法はないかとも考えたんだぜ。でも、俺の剣は物理的な接触があるから、核を斬ってしまうし――何より今のお前相手に殺意を抱かないことなんてできるはずがない」
そういうとミライは首を傾げながら、「二個目の理由は、殺意を抱けないっていうところは納得しましたが」と言った。
そのままきょとんとした表情で続きを言う。
「――燈さん、嘘を吐いていますね?」
燈はにやりと笑った。
「ああ、そうだ。てめぇが一番知っている通り――俺はルルドを倒してからも研鑽を積んでいた。その結果、俺は剣にオーラを纏わせて、リーチを伸ばすことができるようになっている」
それは上位カニバルになった直後のミライと燈の戦闘で、燈が見せた奥の手だった。
剣に生命エネルギーをエンチャントするだけでなく、エンチャントした生命エネルギーを拡大させ、剣の攻撃範囲を伸ばす技。
その不意打ちの一撃に、かつてミライは深手を負い、撤退していた。
「だから燈さんの武器に物理的な接触があるっていうのは嘘でしょう。まあ、僕やカニバル相手に殺意をなくすことができないっていうのは本当でしょうけど――ん?」
ミライは何かに気が付いたような表情で眉をひそめた。
燈は大きく頷く。
「俺がお前を殺す――それがプランAだ。本筋のプラン。お前のリロードの隙をついて、俺が弾丸を込める。その隙に核を破壊して殺す。それは失敗した。だがな、その失敗は新しい可能性を運んでくれたんだ」
燈はミライの全身に生命エネルギーを――弾丸を込めた。
しかし当然それには殺意が含まれていない。自分を撃つことになる弾丸なのだ、当たり前である。
そしてそれが、燈にとっての新しい可能性だった。
「俺はついさっき初めて、自分の生命エネルギーに殺意を込めないことに成功した。成功したんだよ! こういうのは自転車の乗り方と同じでな、ゼロとイチに大きな隔たりがある。できるできないに高すぎる壁があるんだ。俺はそれを突破した。つまりな――」
燈はカニバル殺しの剣に生命エネルギーをエンチャントした。
「俺は、お前への殺意を消すことはできない。今のお前は敵だと心が認識しているからだ。でも、麻湖さんは違う。俺は、この子に対してなら――殺意をまったく抱かないことができると思うんだ」
あの日できなかったことを、やる。
少しでも殺意や敵意が混じれば、麻湖は塵になる。
そこに躊躇がなかったわけではない。
だが、燈は麻湖の核に剣を添えた。
あとは剣の切っ先を伸ばすだけ。
殺意のない一撃を、核に当てるだけ。
人間に戻したいという純粋な願いで、斬るだけ。
燈の脳裏に塔子の声が響いた。
「やっちゃえ、燈くん」
任せろ、と小さく呟いて。
燈は麻湖の核を貫いた。
麻湖の体がビクンと大きく跳ねる。成功したのか、失敗したのかはこの時点ではわからない。
わからないが、すぐに答えが出るだろう。
「凄いですね、燈さん。素直に凄いです。でも」
結果の出ないうちに、ミライが燈に声をかけた。
まるで、成功を信頼しているようだった。
「――それで、どうするつもりですか?」
ミライの問いかけを燈は鼻で笑った。
「わからないか」
「もしかして、人間に戻った麻湖なら僕のことを説得できるとでも? 繰り返しになりますけど、さすがに見立てが甘くないかなあ」
ミライが首を傾げた瞬間、麻湖の全身を包むように風が吹いたような気がした。
ふわり、と灰色の塵があたりを舞う。
それは、カニバルが死ぬときの舞い方ではなくて。
「やったよ、塔子さん」
麻湖が人間に戻った印だった。
燈はガッツポーズの代わりに剣を強く握りしめて、喜びを噛み締めた。
できた。あの時できなかったことが、できた。
もちろん、塔子を救いたかったという後悔の念はある。しかしそれよりも、あの時の気持ちを糧に、ひとりの女の子を救えた喜びの方が大きかった。
カニバルから戻った麻湖は当然のように全裸だったので、燈は自分が来ていたアウターを羽織らせる。
「だから、それでどうするつもりなんです!」
一連の流れを見ていたミライが、痺れを切らしたように叫んだ。
しかし燈はそれを無視して、麻湖の頬を叩いた。
「起きてください」
麻湖は「ん」とも「あ」ともつかない声を出して、ゆっくりと目を開ける。
「ここは――んっと、燈……さん?」
彼女はきょろきょろとあたりを見渡してから、上位カニバルと化したミライの方を見た。
「……せっ、せんぱい!?」
「――は? なんで……?」
ミライには既に人間だったころの面影はない。
それでも麻湖は、ミライを見て一発で彼を認識していた。
少しの間うつむいてから、顔を上げる。
「そっか、あたし、事故に遭って。それを救うためにあたしをカニバルにしたのかな」
「その通りなんですけど、目覚めてすぐにそこまでたどり着けます!?」
燈がガラにもなく驚きの声を上げる。
「ええ。なんとなく、ぼんやりとですがカニバルになっている間も意識があったので」
「……なるほど」
「だからあたしは全裸なんですね」
「そこはもうちょっと騒いでもいいと思いますが」
麻湖と燈がのんきな会話をしていると、ダン、と大きな音が響いた。
壁に大きな跡が残る。ミライが壁に向けて弾丸を放ったのだ。
「燈さん、僕は聞いているんですよ。それでどうするつもりなんですかって!」
そう叫んだミライを麻湖は一瞥して、燈の方を見た。
そのまま麻湖は手を大きく振りかぶって、燈の頬にビンタをした。
「痛っ!」
パチン、と大きな音が響く。
ミライも燈と唖然として、瞬間時が止まったように感じた。
そのまま麻湖はつかつかとミライの方に歩いていき、ミライの頬にもパチンとビンタを噛ます。
ミライはそれを避けなかった。
否、避けられなかったと言ったほうが正しいだろうか。
二人が麻湖の真意を測りかねていると、彼女が口を開いた。
「あんたらさぁ!」
それは、麻湖がずっと言いたかった言葉。
カニバルやルルドとの戦いの顛末を聞くたびに思っていたこと。
「もうちょっと手を取り合ったらどうなんですか!」
その叫びは廃倉庫にこだまして、二人の耳に何度も届く。
その言葉のエコーが消えた瞬間に、麻湖は誰も予想していなかった行動に出た。
「でもまあわかりましたよ。カニバル殺し同士、手を取り合えない事情や心情があるんでしょう。だったら! あんたらが手を取り合えないなら!」
麻湖はゆっくりと、ミライの核に手を伸ばして――触れた。
人間は、カニバルの核に触れることで、カニバル殺しに成る。
ミライの赤黒く光る核に触れた麻湖の手には、赤黒い光が宿っていた。
「あたしがせんぱいと燈さんを――繋ぐ!」
ここに、新たなカニバル殺しが誕生する。
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