第4話 消えた村
気がつくと、朝日が差していた。
泥にまみれた体を起こし、周囲を見回す。
いつの間にか雨は止み、木々の間から県道が見えていた。
――助かった。
由紀子はふらつきながら歩き出し、数時間後、通りかかったトラックに救われた。
運転手は驚いた顔で彼女を見た。
「姉ちゃん、そんな山の中で何してたんや。」
息も絶え絶えに、彼女は答えた。
「谷ノ原って村で……人が、消されてるんです。」
男の表情が、一瞬だけ固まった。
だがすぐに笑って首を振る。
「谷ノ原? そんなとこ、この辺にねぇよ。」
「そんなはずありません、私は――」
「地図にねぇ。俺、この道何年も走ってるけど、聞いたこともねぇな。」
由紀子は携帯を取り出した。
圏外だった。
だが、圏外であることよりも恐ろしいのは――
撮ったはずの写真が、ひとつも残っていなかったことだ。
宿、村、あの社。
すべて、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
*
一週間後。
県警の捜査員に事情を説明し、山へ案内することになった。
地図に印をつけ、確かにここだと示した。
だが、山道を登っても、どこまで行っても、あの村はなかった。
ただ、朽ちた鳥居のような木片が一本、苔むして倒れていた。
「ここに、確かに人が住んでたんです。」
由紀子は訴えた。
「家も、神社も、村長も……」
だが、捜査員は困ったように眉をひそめただけだった。
「この辺り、戦後間もなくは集落がひとつあったらしいが、
ダムの水没で移転したはずです。……五十年前に」
由紀子はその言葉に耳を疑った。
――五十年前?
だが、彼女の服には泥の跡があり、腕には転んだ傷痕が残っている。
現実に触れたはずの“何か”が、確かにあったのだ。
警察署を出た夜。
ホテルのロビーで一息ついていると、受付の男が声をかけた。
「お客様、こちらお荷物をお預かりしておりました。」
差し出されたのは、古びた封筒だった。
宛名は、彼女の名前。
だが、送り主の欄には見覚えのない筆跡で、こう書かれていた。
「谷ノ原村役場」
由紀子は震える手を必死に抑えながら封を切ると、中には一枚の紙が入っていた。
――
谷ノ原名簿 更新
よそもの 由紀子
※記録済・再来禁止
――
そして、紙の下のほうには、薄い灰がこぼれていた。
まるで、燃えた誰かの記録の残りのように。
*
翌朝、由紀子の姿はホテルから消えていた。
部屋には荷物がそのまま残され、窓が少しだけ開いていたという。
警察は失踪事件として捜索を続けたが、
彼女の名前は、翌年の戸籍記録からも削除されていた。
――まるで、最初から“そんな人間はいなかった”かのように。
山奥の古い地図の片隅に、今もかすれた文字がある。
「谷ノ原」
その上に赤い印が、誰かの手で引かれていた。
――“立入禁止”。
鎮守の村 六條京 @Kyo_Rokujo
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