第2話 母を笑わせよう

クエストの達成から数日。

 ぼく――ルイン・フォン・ベリルの赤子としての日々は、静かに、けれど確実に前へ進んでいた。

 「鑑定」スキルを得てからというもの、ぼくの世界はすっかり変わってしまった。


 揺れるカーテンを見れば、「風属性魔力微量」。

 乳母のミルク瓶を見れば、「温度三十六度」「品質:良」。

 母セリアーナの瞳を見れば、「魔力親和:極」。


 ――そして、その美しい瞳の奥に、ほんの少しの“影”が見えた。

 《精神状態:疲労/心配/愛情》

 母はいつも笑っているようで、その笑みには時々、かすかな翳りが差す。


 ぼくはそれを見逃さなかった。

 その夜、またあの神託が浮かぶ。


――――――――――

【神託:クエストが付与されました】

☆☆☆★★ 母を笑わせよう

報酬:スキル《心話(テレパス)》

備考:笑顔は、魔法よりも世界を癒す。

――――――――――


 (……なるほど。次はコミュニケーションスキルか)

 前世でも、上司を笑わせるのは難しかった。だが、今回は母だ。――いけるかもしれない。


 とはいえ、赤ん坊にできることは限られている。

 言葉はまだ出ない。歩くこともできない。

 ぼくにできるのは、表情と動きと声。


 翌朝、セリアーナがぼくの部屋に来た。

「ルイン、おはよう。今日はよく眠れた?」

 その声に少しだけ疲れが混じっている。寝不足だ。魔法研究の仕事が続いているのだろう。

 ぼくは母を見上げ、思案する。どうすれば“笑わせる”ことになるのか。


 彼女がぼくを抱き上げようと身をかがめた瞬間、ぼくは思い切って顔を近づけ、彼女の鼻を指でつん、と突いた。

「……っ!」

 一瞬の沈黙。

 次いで、セリアーナの唇がふわりとほころぶ。

「まぁ……ルイン、あなたったら!」

 小さく笑った。声も出た。


――――――――――

【進行率:35%】

――――――――――


 (やっぱり、これでいいのか!)


 その後も、ぼくは作戦を続けた。

 手をぱたぱた動かして拍手のまねをしたり、寝返りした状態から顔をにこっと上げたり。

 セリアーナは驚きながらも、少しずつ笑う時間が増えていった。

 けれど、あと一歩、何かが足りない。


 昼下がり、陽光が部屋を満たす。母は机に向かい、魔法書に筆を走らせている。

 ぼくはそっと見上げた。


 《対象:セリアーナ・フォン・ベリル》

 《状態:集中/疲労(軽)/幸福:中》


 幸福度。これをもっと上げるには――そうだ。ぼくは声を出す。

「……ま、ま」

 自分でも驚くほど自然に出た音だった。

 セリアーナの手が止まる。

「ルイン……今、“ま”って言ったの?」

 ぼくはもう一度。

「ま、まー」

 母の瞳が潤み、笑みがあふれる。

「ふふっ……もう、“ママ”って呼んでくれるのね」


――――――――――

【クエスト達成】

☆☆☆★★ 母を笑わせよう

報酬:スキル《心話(テレパス)》を付与しました

派生解放:☆☆★★★ 父の剣を握ろう(報酬:筋力+1)

――――――――――


 頭の奥で、柔らかな波のような感覚が広がった。

 次の瞬間、母の声が、直接心に響く。

《ルイン、ありがとう。あなたがいてくれて、幸せよ》

 ぼくは驚きつつも、心の中で返す。

《こちらこそ、母上。ぼくも嬉しい》

 セリアーナはきょとんとした表情になり、次に笑いながらぼくを抱きしめた。

「もう、あなた……本当に特別な子ね」


 その言葉に、ぼくは静かに目を閉じた。

 心話――それは、言葉よりも確かな絆の魔法。

 ぼくはこの世界で、ひとつずつ確かに“生きる力”を積み上げているのだ。


 神の声が、遠くで囁いた気がした。

【笑顔は、世界を守る第一歩だ。よくやった、ルイン】


 次のクエストは――父との出会い。

 ぼくの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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