スキル獲得で成り上がり冒険譚

しょーちゃん

第1章 転生とスキルと…

第1話 転生、赤子、そして最初のクエスト

 目を開けた瞬間、世界は巨大だった。天蓋は白く、揺れる影がゆっくり通り過ぎる。耳に届くのは布の擦れる音、遠くで鳴る鐘、そしてあたたかな声。


「――ルイン。私の、かわいい子」


 言葉の意味はわかるのに、喉はうまく動かない。ぼくは泣くしかできず、けれどその泣き声に応えるように、柔らかい腕が抱き上げてくれた。甘い香り。胸にひびく鼓動。


 その人は微笑んだ。銀糸を編んだような髪、深い青の瞳。


「セリアーナ様、具合はいかがですか」


 低い声。足音が重く、しかし静かに近づく。


「アーレスト、ええ。――この子、目がよく合うの。まるで全部わかっているみたい」


「我が子だ。早熟でも驚かんさ」


 アーレスト。セリアーナ。二人の名が胸の奥に沈む。どこか遠い、前の世界の記憶もまた、同じところに沈んでいる。仕事、終電、缶コーヒー、白い蛍光灯。……そして、倒れ込む床。


 死んだ。ぼくは一度、確かに。


 その瞬間、視界の端に、文字が灯った。


――――――――――

【神託:クエストが付与されました】

☆☆☆☆★ 寝返りを打とう

報酬:スキル《鑑定》

制限時間:なし

備考:はじめの一歩は、体の向きを変えるところから。

――――――――――


 まばたきする。もう一度見ても、消えない。いや、次のまばたきで、今度は薄く霞んで消えた。

(転生特典……本当に、くれるのか)

 声にならない独り言は、泡のように胸の内で弾けた。


 それからの日々、ぼくは赤子として過ごしながら、同時に前世の大人としても過ごした。朝、乳を飲み、昼、眠り、夜、母の歌を聞く。その合間に、ぼくは小さな体をそっと捻ってみる。手足は短く、腹筋は心もとない。だが失敗しても怒る者はいない。ベッドの縁には小さな鈴が吊られ、揺らすと澄んだ音が鳴った。


 セリアーナは本を読み聞かせてくれることがあった。魔法学の入門書を、赤子に。彼女はそれを「挨拶みたいなものよ」と言った。ぼくが目を見開くと、やわらかな指先が額から鼻筋へ、すっと撫でる。

「ルイン、魔力は呼吸と同じ。出入りを感じられる子は、きっと遠くまで行けるわ」

 アーレストは寡黙だが、抱く腕は確かだった。鍛えた体の匂いがした。ぼくの小さな手を彼の指が包む。

「握力が強い。――騎士の素質だ」

「まだ生後数ヶ月よ」

「なら数ヶ月の騎士だ」


 夜。部屋が静まると、ぼくは再び挑戦する。右肩を少し前に、首を、そう、もっと楽に。重力は敵であり味方だ。布の皺に指を引っかけ、腹を小さく丸める。


(寝返り一つが、こんなに難しいのか)


 だが、ぼくは知っている。目標を細分化し、できる段差から崩す。前世で身につけたやり方だ。まずは「顔を横に向ける」を十回成功させる。成功したら「片膝を立てる」。できたら「肩を越す」。


 鈴が、ちり、と鳴った。


 首が痛い。けれど、次に進む。ぼくは待つことを学んでいる。赤子の時間はゆっくりだが、鍛錬には向いている。


 ある夕暮れ、窓から朱い光が差し込む。乳母が歌う子守唄が遠のく。ぼくは呼吸を整え、右手をわずかに前へ。足を、蹴る。

 ころり。

 世界がぐるりと回って、布の香りが変わった。視界の天蓋が、右から左へ流れ、止まる。

 ――できた。


――――――――――

【クエスト達成】

☆☆☆☆★ 寝返りを打とう

報酬:スキル《鑑定》を付与しました

派生解放:☆☆☆★★ 自分の手を掴もう(報酬:器用Lv1)

――――――――――


 冷たい水が脳に注がれたような感覚が走る。次の瞬間、目に見えない網が世界にかぶさる。

(鑑定――)

 ぼくは手近なものへ意識を向ける。布の端。

《対象:綿布。品質:良。織り手:王都ギャレンの機織職人。魔力親和:低》

 おもちゃの鈴。

《対象:銀鈴。音色:澄。製造:ベリル家工房。付与:微弱な安眠の加護》

 空気。

《対象:室内空気。温度:二四度。魔力濃度:標準+》

 世界が言葉を持ち、言葉が世界を掬い上げる。ぼくは思わず喉を鳴らした。たぶんへんな声だ。だが、たまらなく楽しい。


 扉が開く気配。セリアーナが駆け寄り、ぼくを抱き上げた。

「ルイン、寝返り……! まあ、早い子」

 彼女の頬に涙が光る。アーレストもいつの間にか立っていて、口元がわずかに緩む。

「やるな。――ベリルの名に恥じぬ初陣だ」

 ぼくは二人を見上げ、ゆっくりとまばたいた。視界の隅で、神託の文字が一行だけ残る。

【ようこそ。君の物語は、よく眠った翌朝から始まる】


 やがて夜が訪れ、ぼくは腕の中で眠りに落ちる。胸の奥に、微かな確信が灯っていた。

 クエストは、日常の形をして現れる。ならば、日常を極めればいい。呼吸、視線、指先の角度――そのすべてが、ぼくの武器になる。

 明日もまた、ぼくは挑戦する。小さな課題を、大きな前進に変えるために。

 鑑定という目を得た今、世界は、ひとつひとつ読み解ける。

 ――ルイン・フォン・ベリル。生後数ヶ月、職業:挑戦者。最初のクエスト、完了。

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