第3話:全裸の勇者
ドゴォッ!
魔物の巨大な右腕が、セドリックのいた場所を叩き潰した。石畳が砕け、破片が四方八方に飛び散る。
だが、セドリックの姿はそこにはない。
「遅い」
声は、魔物の真横から聞こえた。
「なっ──!?」
周囲で見ていた人々が息を呑む。全裸の青年が、まるで瞬間移動でもしたかのように、一瞬で魔物の側面に回り込んでいたのだ。
「ガァッ!」
魔物が慌てて左腕を横薙ぎに振るう。建物を軽々と破壊できるであろう一撃。
しかしセドリックは、その腕の下をスライディングするように潜り抜けた。全裸で。地面に擦れた肌が赤くなるのも気にせず。
「おおおお!?」「す、すごい!」「って、裸!?裸よね!?」
少し離れた場所にいる野次馬たちの声が飛び交う。
「セドリックくん…!」
エルダ夫人は既に安全な場所まで逃げていたが、心配そうにこちらを見つめている。
魔物は苛立ちを露わにし、今度は両腕を同時に振り下ろしてきた。
ドシンッ、ドシンッ!
連続して地面を叩き、セドリックを押し潰そうとする。
だがセドリックは、その攻撃の合間を、まるでダンスを踊るように躱し続けた。前に、横に、時には後方に──予測不可能な動きで、魔物の攻撃は全て空を切る。
「動きが単調すぎる。もっと工夫しろ!」
セドリックが挑発するように叫んだ。
「ガアアアアァァッ!!」
魔物は更に激昂し、今度は巨大な足を振り上げた。踏み潰す気だ。
ドゴオオォォンッ!!
まるで隕石が落下したかのような衝撃。地面に大きなクレーターができる。
「危ない!!」「死んじゃう!!」
悲鳴が上がる。
しかし──
「上だ」
その声は、魔物の頭上から聞こえた。
全裸のセドリックが、魔物の頭の真上、約10メートルの高さに跳躍していた。踏みつけの瞬間、地面を蹴って爆発的に跳躍したのだ。
「砕けろ!」
バァンッ!!
爆発音とも言える音が響く。
セドリックの右足が、魔物の頭頂部に叩き込まれた。まるで隕石の落下。いや、それ以上の衝撃にも思えた。
ミシッ、バキッ、ガキンッ!
魔物の頭部を覆う岩石の装甲に亀裂が走る。
「ギィィィィッ!!」
魔物が苦痛の声を上げ、セドリックを振り払おうと頭を激しく振った。
しかしセドリックは既に着地している。その着地点は──魔物の右腕の上だ。
「次はこっちだ!」
セドリックは魔物の腕を全速力で駆け上がる。まるで地上を走るかのように、垂直に近い腕を。全裸で。
「ちょ、ちょっと!あの人裸で走ってる!」「いや、それよりもあの動き!人間業じゃないぞ!」「でも裸だ!」
野次馬たちの困惑した声が響く中、セドリックは魔物の肩に到達した。
「ガァッ!」
魔物が左腕で自分の右肩を叩こうとする。
しかしセドリックは、その左腕に飛び移った。稲妻のような速度で。
そして、振り下ろされる左腕の動きを利用して──
「せぇぇぇいっ!!」
自らの全身の力を込めた蹴りを、魔物の左腕の肘関節部分に叩き込んだ。
ガキィィィィンッ!!
金属がぶつかり合うような音。
そして──
バキッ、ボキボキボキッ、ガシャァァァンッ!!
魔物の左腕の肘から先が、粉々に砕け散った。
紫色の結晶と岩石の破片が地面に降り注ぐ。
「や、やった!」「腕が!魔物の腕が壊れた!」「でも裸!」
何度目かの「でも裸」という指摘に、セドリックは少し恥ずかしくなった。
「くそ、風呂上がりだったのを忘れてた…!」
しかし戦闘を止めるわけにはいかない。
魔物は片腕を失った痛みと怒りで、更に凶暴になっていた。
「ギギギギィィィィィッ!!」
残った右腕を振り回し、めちゃくちゃに暴れ始める。
周囲の建物が次々と破壊され、避難が遅れた人々に危険が迫る。
「まずい!」
セドリックの目が鋭くなる。
彼は地面に転がっていた、先ほど破壊した魔物の左腕の破片──拳ほどの大きさの岩石の塊を拾い上げた。
「これで──」
セドリックは野球のピッチャーのようなフォームを取る。全裸で。
そして、全身のバネを使って投げた。
ヒュオオオオォォォッ!!
空気を引き裂く音。
岩石の破片は、まるで砲弾のように射出され──
ドガァッ!
魔物の一つ目に直撃した。
「ギャアアアアアァァッ!!」
魔物が初めて、明確な苦痛の叫びを上げた。
巨大な一つ目から、紫色の液体が溢れ出す。視界を失った魔物は、盲目的に腕を振り回す。
「すごい…投げただけで…」「あんな速度で投げられるなんて…」「でも裸!」
「いい加減にしろ!」
セドリックが思わずツッコミを入れた。
「ちぃっ!」
セドリックは再び地面を蹴った。
稲妻よりも速く、音速に迫る速度で疾走する。全裸で。
地面が抉れ、後には深い轍が残る。
「うおおおおおぉぉぉっ!!」
雄叫びを上げながら、セドリックは跳躍した。
「お前のせいで、初の戦闘で赤っ恥書いちまったじゃねーかッ!!」
魔物の右腕に向かって、全身全霊の回し蹴りを放つ。
ドゴォォォォンッ!!
その一撃は、魔物の右腕の肩関節部分を完全に破壊した。
腕が根元から千切れ飛び、地面に落下する。
ズシィィィンッ!
地面が揺れるほどの重量だ。
「ギ…ギィィ…」
両腕を失い、視界を失った魔物は、もはや為す術がない。
よろめき、膝をつく。
その時──
ウゥゥゥゥゥ…!
遠くから、軍用車のサイレンの音が聞こえてきた。
「緊急通報を受けた魔物対策部隊が到着した!民間人は直ちにこの危険区域から立ち去りなさい!」
黒い装甲車が三台、現場に到着し、重装備の兵士たちが次々と降りてくる。魔導銃を構え、魔物に照準を合わせる。
そして、その中から一人の女性が降りてきた。
三十代半ばと思われる、引き締まった体つきの女性。深紅の髪を後ろで一つに束ね、鋭い眼光で状況を把握しようとする。肩には隊長の徽章が輝いている。
「魔物はあれか──って、なんだあれは!?」
隊長が目を見開いた。
そこには、満身創痍でぼろぼろになった巨大な魔物と、その目の前に立つ全裸の青年の姿があった。
「全裸…?全裸の男が魔物と戦ってる…?」
「隊長、あれは…魔物の腕が両方とも破壊されています!」
「信じられない…素手、だよな…。素手であの岩石魔物ストーンゴーレムの装甲を…」
兵士たちも困惑を隠せない。
隊長は状況を理解しようと努めたが、全裸の男が素手で魔物と互角以上に戦っているという現実は、どう考えても理解の範疇を超えていた。
「おい、そこの全裸の民間人!何をしている。すぐにその場から離れろ!」
隊長が拡声魔法で叫んだ。
セドリックは振り返り、満面の笑みで叫び返した。
「分かった!!!」
そう言いながら、彼は魔物に向かって走った。
「え、いや、魔物に近づくなって意味で──」
隊長の言葉が終わる前に、セドリックは跳躍していた。
まるで砲弾のように、魔物の頭部めがけて。
右拳を固く握り、全身の筋肉を最大限に収縮させる。三年間の鍛錬の全てを込めた、渾身の一撃。
「これで──終わりだぁぁぁっ!!」
ドガァァァァァンッ!!!
セドリックの拳が、魔物の頭部中央に直撃した。
瞬間、まるで時が止まったかのような静寂。
そして──
バギッ、ビキビキビキッ、ガシャァァァァァンッ!!!
魔物の全身に亀裂が走り、紫色の結晶が次々と砕け散る。
岩石でできた体が崩壊を始める。
「ギ………」
最期の呻き声を残して、魔物は完全に崩れ去った。
粉々になった岩石と結晶の破片だけが、地面に散乱している。
「………」
その場にいた全員が、言葉を失った。
エルダ夫人も、野次馬たちも、王国軍の兵士たちも、隊長でさえも。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
ただ一つ確かなことは──
全裸の青年が、たった一人で、素手で、魔物を完全に倒したということだった。
セドリックは魔物の残骸の上に着地し、満足げに深呼吸した。
「ふう…いい運動になった」
そして、ようやく自分が全裸であることを再認識し、少し照れくさそうに笑った。
「あ、あの…誰かタオルか何か…」
「貴様ァァァッ!!」
隊長の怒鳴り声が響いた。
「民間人が勝手に魔物と交戦するな!それに公然わいせつ罪で逮捕だ!」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!これは緊急で──」
「言い訳は署で聞く!おい、誰か毛布を持ってこい!」
こうして、セドリックは魔物を倒した直後、全裸で軍に確保されることとなった。
それから三十分後。
セドリックは軍用車の後部座席に座っていた。
幸い、兵士の一人が予備の軍服を貸してくれたため、一応の体裁は保たれている。サイズが少し小さく、セドリックの発達した筋肉に対してパツパツだったが、裸よりは遥かにマシだ。
運転席には隊長が、助手席には記録係の若い兵士が座り、事情聴取が始まろうとしていた。
「まず、名前を」
「セドリックです。セドリック・ブレイドウッド」
「年齢は」
「十八です」
「職業は」
「無職…というか、修行中です」
「修行?」
隊長が眉をひそめる。
「はい。勇者になるための修行です」
「………」
車内に気まずい沈黙が流れた。
「あー…なるほど。それで、魔物と戦える程の実力を身につけたと」
隊長は何とか話を進めようとした。
「まだまだです。あの魔物は動きが単調で、攻撃パターンも読みやすかった。もっと強い敵と戦わないと、勇者には届かない」
セドリックは真剣な表情で言った。
隊長は額に手を当てた。
「君は…自分が何をしたか分かっているのか?」
「魔物を倒しました」
「そうだ。しかもストーンゴーレム級を、素手で、たった一人で倒した。我々魔物対策部隊でさえ、あのクラスの魔物には五人一組で当たることになっている。魔導兵器を使用してもだ」
隊長の声には、驚愕と困惑が混ざっていた。
「君の実力は…正直、規格外だ。勇者志望というのも、あながち冗談じゃないかもしれない。それに、人を助けた。エルダ夫人だったか、彼女にとっては君は勇者と言っても過言ではないだろう」
「本当ですか!?」
セドリックの目が輝いた。
「だが」
隊長は厳しい表情に戻った。
「民間人が勝手に魔物と交戦することは、王国法で禁止されている。それに…」
助手席の若い兵士が申し訳なさそうに言った。
「公然わいせつ罪の容疑もあります。全裸で公共の場に出ていたので…」
セドリックの顔が青ざめた。
「ちょ、ちょっと待ってください!これは風呂上がりで、魔物が出たから緊急で──人命救助だったんです!」
「法律は法律ですから。現場に急行した魔導ドローンにも映像が写ってしまっているので、我々ではどうしようもないのです…」
若い兵士は本当に申し訳なさそうだった。
隊長は深くため息をついた。
「まあ、魔物討伐の法的問題については特別な対応を取るはずだ。世論を敵に回すことになるからな。後日、正式な表彰があるだろう。君が倒さなければ、確実に民間人に多数の犠牲者が出ていた。それは間違いない」
「じゃあ──」
「だが、公然わいせつについては別問題だ。これは裁判所の判断になる」
セドリックは頭を抱えた。
「俺、勇者になりたかっただけなのに…犯罪者になるなんて…」
「まあ、情状酌量の余地は十分にある。人命救助のための緊急行為だったことは明白だからな」
隊長は少し優しい声で言った。
「それに、君の実力は本物だ。もしかしたら、王国騎士団や王国軍が君をスカウトするかもしれない」
「俺は王国騎士や兵士じゃなくて、勇者になりたいんです」
セドリックは頑固に主張した。
隊長は苦笑した。
「勇者か…まあ、君なら本当になれるかもしれないな」
それから一週間後。
王国裁判所にて。
「被告人セドリック・ブレイドウッドは、公然わいせつ罪で起訴されていますが──」
裁判長が書類に目を通す。
白髪の老人で、厳格そうな顔つきをしているが、今は困惑した表情を浮かべていた。
「状況を鑑みるに、これは人命救助のための緊急的な行為であり、わいせつ目的ではないと認められます」
ガンッ、と木槌が鳴る。
「よって、被告人を無罪とします」
法廷に安堵の空気が流れた。
セドリックは胸を撫で下ろした。
「ただし──」
裁判長が付け加えた。
「今後は、緊急時であっても最低限の衣類を身につけることを強く推奨します。例えば、玄関に緊急用のズボンを常備しておくなど」
「はい…肝に銘じます」
セドリックは深々と頭を下げた。
法廷には、くすくすと笑い声が漏れた。
「また、この場を借りて被告人…いや、セドリック氏の魔物討伐における功績を鑑み、王国より感謝状と報奨金十万ゴールドの授与を通達します」
「十万…!?」
セドリックは驚いた。それは、一般的な労働者の年収に匹敵する額だった。
「民間人による魔物討伐は、通常は禁止されていますが、今回のような緊急事態においては、その限りではありません。被告人の行動は、多くの命を救いました。全裸ではあったものの、格好良かったですよ」
裁判長は穏やかな表情で言った。
「以上で閉廷します」
ガンッ。
こうして、セドリックの初めての実戦は、勝利と屈辱、無罪判決、そして思わぬ報奨金という、複雑な結末を迎えたのだった。
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