第3話:異世界の第一歩
扉を押し開けた瞬間、柔らかな陽光が一気に全身を包み込んだ。
暖かい風が頬を撫で、鼻先をくすぐるのは焼き立てのパンの香り。
目を細め、思わず息を止める。
静かに一歩踏み出して、ゆっくりと瞼を開いた。
——そこに広がっていたのは、まるで異世界の絵画のような光景だった。
教科書で見た、ヨーロッパの町並みに似た赤茶けた煉瓦造りの家々が並び、白い煙を吐く煙突がいくつも天を突いている。
石畳の街路は陽光を反射して淡く輝き、窓辺には花が咲き乱れていた。
市場のざわめきが風に乗って届く。
商人たちが声を張り上げ、子供たちが笑いながら走り抜けていく。
人の声と風と香りが混じり合い、生命の息吹を感じる。
——これが、異世界。俺が“踏み入れた”場所。
「……思っていたより、荒廃していないんだな。」
思わずこぼれた言葉に、隣の男が微笑を浮かべる。
「ここはエルネシアの中心部だからね。」
ダリウスは穏やかな口調で言った。
「ケモノが侵食しているのは国境に近い地域だ。ここからはかなり離れている。
逆に言えば、もしこの都市にケモノが現れたら——国境を守る軍が全滅したってことになる。つまり、国としてはもう終わりだ。」
「……そういうことか。」
「そう。だから、この賑わいは仮初の平和にすぎない。」
彼は遠くの鐘楼を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。
「国境では、毎日のように兵士や冒険者が命を落としている。
それでも人は生きる。食べて、眠って、笑って——それでも生きていかなければならないんだ。」
その横顔は穏やかで、それでいて、深い影を落としていた。
長い戦いを見てきた者の静かな覚悟が滲んでいるように思えた。
「まぁ、いきなり戦場に行くのは無謀だ。」
彼はすぐに表情を和らげ、俺に目を向ける。
「まずは装備や必需品を揃えよう。そのあと……グラン王国へ向かう。」
「グラン王国?」
「この都市国家から最も近い大国さ。」
軽く肩をすくめ、ダリウスは笑う。
「エルネシアでは冒険者登録ができない。
だから君が“ケモノ狩り”をするなら、グラン王国で正式な冒険者として登録する必要がある。」
「もし、登録しなかったら……?」
思わず喉が鳴った。ゴクリ、と小さな音が響く。
「捕まる。最悪、刑罰もあり得る。」
その声音は一切の冗談を含んでいなかった。
「武器を持って戦うというのは、それだけで“権限”を伴う行為なんだ。
昔は誰でも『冒険者』を名乗れた時代があった。
けれど、偽の冒険者たちが詐欺や強盗を繰り返し、世界は混乱した。
それ以降——登録していない者が武器を持つことは、法で禁じられた。」
「……他の兵士や衛兵は?」
「彼らは国の兵として登録されてる。冒険者と同じく、法の下で生きているさ。
ただ、彼らは国境を越えた瞬間に“武器を持つ権利”を失う。
戦えるのは自国の地だけ。
例外は、“騎士”と“冒険者”。
彼らだけが、国を跨いでもその力を認められる。」
「結構厳しい決まりが課せられているんだな。」
「当たり前のことではあるんだけどね。」
そう言って、ダリウスは腰に吊るした剣をそっと撫でた。
「それだけ、武器を持つ者の責任は重い。」
静かな沈黙が一瞬だけ流れる。
遠くで鐘が鳴った。陽が傾き、街に金色の光が差し込む。
——その静けさを破ったのは、明るい声だった。
「二人とも、そろそろ行かないと教会しまっちゃうよ〜!」
振り向けば、ミアが両手を腰に当ててこちらを見ている。
スカートの裾を風に揺らしながら、少し拗ねたような表情はとても可愛らしい。
「もう昼過ぎか。急ごう。」
ダリウスが笑い、軽く伸びをした。
「教会って……何しに行くんだ?」
「色々あるけど、メインは回復薬の入手と君の“適性”を調べることだ。」
「適性?」
「それは向こうで話そう。」
ダリウスはそう言い、踵を返して歩き出した。
差し込む陽光が彼の背中を照らし、長い影を石畳に落とす。
ミアの笑い声が遠くで弾けた。
俺は一瞬だけ空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
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