龍と成る

蒼龍仙米

第1話 神守の末裔 1

 午前一時三十分に灯ひとつない境内に入った。

 陰の気が極に向かって収斂し続けている。

 間もなく丑三つ刻。

 異界の門が開き、この世とあの世が繋がる刻。

 果たしてあいつは現れるのか?

 じわりと地面が歪んだ。

 来る。

 右斜めから襲って来た殺気を感じると、体を沈めて、さらに右に回り、縦手刀で頸部と観た空間を突いた。

 指先に皮膚らしきものが触れた感触はあったが、深くは入らなかった。

 じっと、それが在り続けていると思われる、空間を睨む。

 やがてその空間に血の花が咲いた。

「ほう。本当に武が使えるとは思っていなかったわ。少しは楽しめそうだ」

 血の花は、たちまち巨躯の男の姿の一部となって、わたしと対峙した。

「やはり。あなただったのですね。どうしてわたしに教えたのですか?」

「どうせいつもの気狂いのひとりだろうと思ったまでだ。そんな輩の相手をするのが俺のお役目だからな。宮司さまは、不浄な仕事はなさらない。闇の仕事はみんな俺のお役目ってわけさ」

「何のためにこんなことを」

「もちろん、神さまのためさ。神は常に贄を求めている」

「わたしに、贄になれと」

「あんたなんかに贄の役はできない。それでも、神を冒涜した罪を雪ぐために、死んでもらおう」

 巨躯の男がゆっくりと動いた。

 そんな風に観えた。

 たが、それは男の咒術による幻視でしかない。

 男がいわゆる武術の遣い手でないことはわかっている。

 男が遣うのは、あくまでも咒術だ。

 平家の落人とのことだが、その古の歴史の中で、連綿と伝えられ、繋ぎ続けられた咒術なのかもしれない。

 一方のわたしの咒術は心もとない。

 相子相伝によって、幼い頃に仕込まれてはいたが、それからもう六十年近い時間が過ぎている。

 父にしても、そんな家系の使命を終わらせたい、と思っていたのではないか? と今では思えてもいる。

 それでも戦う意味はあるのか?

 それを問うている暇は今はない。

 わたしは不動明王の真言を唱え始めた。

 この戦いに命は捧げる。

 だからお不動様のお力をお借りしたい、と。

 ふっ、と男の気配が薄れた。

 暗闇に沈んだ境内に風が渡っていった。

 去った。

 男が戦わずして去ったことがわかった。

 なぜ?

 今日、決着をつける必要がない。

 ただそれだけのことなのだろう。

 じわじわと時間をかけた甚振ってやろう。

 そういう意思表示なのかもしれない。

 いずれにしても、今夜はここまでのようだ。

 わたしは神殿に向かって深く礼をしてから、境内を後にした。



 

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龍と成る 蒼龍仙米 @zeniyaryuichi

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