第6話 俺の名前

「何なんだよ、この夢……っ!」


 俺の声は震えていた。

 怒鳴ったはずなのに、自分の耳には、どこか切羽詰まった人間が出す"悲鳴"のように聞こえた。


「ゆ、夢……?それは、どういう意味ですか?」


 リシアの声が掠れている。

 彼女の目は潤んでいた。今にも泣き出しそうだった。


「処刑とか、皆殺しとか……!悪趣味なんだよっ!!もういいから、とっとと覚めろって!」


 息が荒くなる。

 胸の奥で何かが渦巻いて、どうにもならない。

 リシアは呆然としたまま俺を見ていた。

 彼女の美しい顔が、驚愕と恐怖で歪んでいる。


「……陛下。私には、貴方様のお言葉の真意が分かりません……」


 リシアは震える声で言った。


「ですが、これは夢でも何でもございません。全て、現実のことでございますっ!」

「は、はあ……?何を……」


 俺は、笑うように息を吐いた。


 現実?この夢が?

 夢の中の登場人物が「これが現実ですよ」と言っている?

 冗談じゃねーよ。


 俺の現実は、ここじゃない。

 俺の現実は、ここには一つもない。


 俺の現実はな。

 六畳一間の部屋で、スマホのアラームに起こされて。

 ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗って、誰とも目を合わせずスマホを見て。

 上司の顔色を窺いながら、どうでもいい資料を作って。

 夜になれば居酒屋で愚痴をこぼして、家に帰って寝るだけ。

 それが俺の現実なんだよ!


「ふざけんな!!これが、げ、現実なわけねえだろ!」


 俺は必死に叫んでいた。


「俺は、王様でもなんでもない!!あんたらに敬われるような人間じゃねえんだよ!」


 リシアの瞳が揺れる。


「な、何を仰っているのですか……?ラハディエル様がいたからこそ、このアルディオンは生まれたのですよ!貴方様がいるからこそ、この国は今日も存続していられるのですっ!」

「な、何なんだよ……?ラハディエルとか、アルディオンとか……!」


 喉が焼けるように熱い。


「いい加減にしろっ!お、俺の名前はな……!」


 口から自然に出るはずだった。

 いつも、名乗ってきた。

 会社でも、役所でも、どこでも。


「俺の名前はな……」


 そこで、言葉が途切れた。

 喉の奥に何かが引っかかって、息が出なかった。

 必死に思い出そうとする。

 けれど、何も浮かばない。

 胸の中に、ぽっかりと穴が空いたようだった。


 俺の名前……

 俺の……


 あ、あれ。






 俺の名前って、

 何だっけ。






 その瞬間、視界が白く霞んでいく。


 リシアが何か叫んでいるようだった。

 でも、もう何も聞こえなかった。


 俺の意識は、そこでぷつんと途切れた。

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