第5話 悪趣味な夢
部屋の中には、深い森の中のような静寂があった。
俺のすぐ隣に座っているパルガスが、口を大きく開けたまま言葉を失っている。
やがて、絞り出すような声で言った。
「へ……陛下っ!?今なんと……!」
「え?な、何って、挨拶しただけだが……?」
俺はパルガスの驚いた顔を見て、何がおかしいのか分からず首を傾げた。
「ラ、ラハディエル様が……私たちに、挨拶を……!?」
銀髪の美女が息を呑んでいる。その横で、鋭い目つきの老人が低く呟く。
「セレナよ……ワシは夢でも見ているのか……?」
「い、いえ、サイモン殿……どうやら現実のようです……」
サイモンと呼ばれた老人も、信じられないという顔をしている。
さらに、向かい側にいるメガネをかけた痩せ型の男が、怯えたように口を開いた。
「陛下……?一体どうされたのですか?いつもの陛下なら、私たち下々の者に"挨拶"など……」
その横にいる太った男が、薄笑いを浮かべながらそれに答える。
「その通りだ。貴様のような者にラハディエル様の挨拶など勿体ないだろう、エリオット!ですよねえ?陛下」
「だ、黙れ、トルネ!お前のような俗物こそ、陛下のお言葉を賜る資格はないはずだ!!」
会議室が一瞬でざわついた。
トルネという宝石だらけの肥満男と、痩せ眼鏡のエリオットが火花を散らしている。
俺は思わず声を上げた。
「え、えーっと……!」
混乱していた。
つまり、今の俺の役、この"ラハディエル"って奴は、普段から部下に挨拶ひとつしないような人間ってことか?
さすが"暴君"、筋金入りだ。
俺はサラリーマンとして八年働いてきた。
ミスは多いが、どんなに上司や取引先に詰められようが、挨拶だけは欠かしたことがない。
それは人として最低限の礼儀だと思っている。
だが、この王様は、挨拶ひとつが“大事件”になるらしい。
俺がどうしたらいいか分からず黙っていると、横に控えるリシアが前に出た。
「皆様!ご静粛に。陛下は今日、体調が優れないのです。ですので──」
助かった。
(リシア……なんて優しいんだ……!)
「おお……!そうでしたか。これは気づかず失礼いたしました。いやあ、天下無双のラハディエル様でも、本調子でない時があるのですなあ!はっはっは!!」
パルガスが笑い、俺は咄嗟に調子を合わせた。
「ま、まあな。余にもそういう日があるのだ」
その時、銀髪の美女セレナが立ち上がり、顔を赤らめて言った。
「陛下?後で私の遣いに……いえ!私がお部屋まで薬をお持ちしますね。二人っきりで薬を飲ませて差し上げますから、少し待っていてくださいね……?」
「え、え!?二人っきりって……!?」
思わず声が裏返る。
セレナの声は、まるで恋人にでも言うような声音だった。
彼女は褐色の肌に銀色の髪がよく映える、美しい女性だった。
リシアとはタイプが違うが、彼女に並ぶくらいの美貌を持っている。
「セ、セレナ様……?ご存知の通り、陛下は今日も予定が詰まっております!そのような時間はございません。それに、薬なら私が用意しますので、結構でございます」
リシアの声が鋭くなる。
「あら?リシア、いたのね。影が薄くて気づかなかったわ。それに、侍女のくせに法務卿の私に意見するなんて、いい度胸してるじゃない……!」
二人の視線が交錯し、空気が凍った。
(この二人、仲が悪いんだ……)
リシアが表情を引き締め、議事の進行を始めた。
「さて、皆様。陛下はご体調が優れませんので、本日は私が代わって進行いたします。では、まずパルガス様からよろしいでしょうか?」
「おお!!今日は私からだな!」
パルガスは胸を張り、報告を始めた。
「陛下、先日申し上げた南部辺境の反乱軍の件ですが……」
「は、反乱軍?」
「はい。我がアルディオンの支配に従わぬ、愚かな蛮族どもでございます!奴ら、随分と抵抗しておりましたが、我が誇り高き騎士たちの猛攻により無事鎮圧されました!」
「そ、そうか。それは何よりだ」
よく分からないので、とりあえず返す。
"アルディオン"というのが、この国の名前なのか?
(まあ、いわゆる戦時報告ってやつか。"勝った"んなら、いい結果ってことだよな、多分)
パルガスは誇らしげに胸を張った。
「はっ!ありがたきお言葉。陛下の命の通り、“女、子ども含め全員皆殺し”にいたしました!これで奴ら、当分逆らわんでしょう!」
「……は?」
俺は一瞬、耳を疑った。
言葉が喉の奥で止まる。
「お、女、子どももか……?」
「?……はい!兵を南方へ派遣する前に、陛下自ら命じられたではありませんか。“女も子どもも生かすな。奴らを根絶やしにせよ”と!」
空気が止まった。
血の気が引くのが分かった。
「そ、そんな……!」
吐き気がこみ上げた。
(何なんだよ、この夢は……!)
俺の中で、何かが壊れた。
「っ!!」
俺は徐に立ち上がる。
椅子が後ろに倒れ、乾いた音が会議室に響く。
自分の顔が怒りで歪んでいるのが分かった。
「へ、陛下!?突然どうされたのですか……!?」
俺の表情を見たセレナが、怯えた声を上げる。
「お、おお!どうされました、陛下!このパルガス・アルトアイゼン、何かとんでもない不敬を……?」
パルガスも目を丸くしている。
俺はもううんざりだった。
(こんな悪趣味な夢、早く終われよっ……!)
俺は何も言わず、会議室を飛び出した。
背後でリシアの声が響く。
「み、皆様っ!本日はこれにて散会といたしましょう!残りのご報告は、陛下の体調が戻り次第……!」
俺は宮殿の廊下を俯きながら足早に進む。
窓から見える景色も、これ以上目に入れたくなかった。
そのまま、朝にいた寝室へ戻った。
胸の鼓動が止まらない。
「はあ……はっ……はあ……!」
後ろから追いかけてきたリシアが、部屋に駆け込んでくる。
「へ、陛下?一体どうされたのですか……?朝からずっとご様子が……」
「……んだよ」
「え……?」
「うるせえんだよッ!!」
「ひっ……!」
俺の怒鳴り声が、部屋に響いた。
リシアは震え上がり、泣きそうな顔で立ち尽くしていた。
「陛下、陛下って……さっきからうるせえんだよッ!!」
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