いじめっ子の妹(三歳)に懐かれているらしい

渡貫とゐち

第1話


「なあ、新井(あらい)ー、アンタってなんで女みたいな髪型してんの?」


 クラスで一番のギャル(一番ってなんだ? という疑問は置いておく)――陽キャグループの王様、染めた金髪の猪原(いばら)りんこが僕の席へやってくる。

 ずしんずしんと足音を立てながら。……僕からすればそんなイメージだった。


 三年生へ進級した途端にこれだ。確かに、挙動不審だった僕も悪いけど……でも、陽キャの邪魔をするようなことはしていない! ……はず。

 他にも陰キャはいるのに、どうして僕なんかを……。そんなの当然、僕がこれまで引きこもっていたからだろう。久しぶりに登校した新顔をいじってやろうという遊びのはずだ。


「鬱陶しい前髪だな……どれ、アタシが切ってやるよ」


 と、猪原りんこがハサミを持ち出した。抜き身のまま目の前に出されたものだから、ひゅ、と股間が寒くなる。

「安心しろぉ? アタシ、上手だからさー」と。ノリが悪ふざけの中、ハサミをちょきちょきと動かされたら怖過ぎる。開閉の音がトラウマになりそう……悪夢になって出てきそうだ。


「それ、伸ばしてる?」


「ち、ちが、う……ただ、その、切るのがめんどう、で……」


 違うよ切るのが面倒なだけだよ、と声に出したつもりが全然声が出なかった。ボソボソと……、猪原りんこの取り巻きの女子たちが、僕の小さな声に苛立ったようだった。


 見るからにむっとしている。猪原りんこは、気にしてなさそうだったけど。その器の差が、王と取り巻きの差なのかもしれない、と思った。とても口にはできないけど。


「で、新井はどういう髪型が好みだ?」


「いら、ない……ッ、切らなくて、い、」


「どういう髪型が好みなんだよ。隠すなよぉ、切ってやるからさー」


 まるで男友達みたいなノリだ。肩を組んでくる猪原りんこを押しのけようともできず……いや、別に彼女の膨らみが当たってるからとかじゃなくてね!?


「りんこ、押さえとく?」


「ん? あー、そうだなあ、頼む。ハサミで耳とか切っちゃいそうだし」


 取り巻きのギャルが、横と後ろから僕を掴む。女子とは思えない力だった(これは引きこもりだった僕の筋力不足だ、男なのに情けない……っ)。


 身動きが取れなくなって……猪原りんこがハサミを突き出した。


「動くなよー、位置がずれるからなー」


 と、僕の前髪にハサミが入り…………

 刃が前髪を切る、その寸前で、教室に先生が入ってきた。



「座れ受験生。天才の私が地獄を見せてやる」


 不穏な一言に教室内がぴりっとした。同時に、ギャルたちも僕に興味を無くしたようで、ちゃっかりと先生にはバレないようにハサミを抜いていた。

 証拠隠滅もしている……僕が訴えれば……いいや、証拠がないから、僕の虚言になる。目撃者が――いやいや、僕の味方をしてくれる人が、どれだけいるのだろう……いないだろうなあ。


 つまり、猪原りんこを追い詰めるには、僕が積極的に証拠を集め、周りへ根回しをしないといけないってことだ。それをする労力と気力があるか……? ないね。


 だからみんな、泣き寝入りするのだろう。

 ……まあ、前髪くらい、切られてもいいと割り切っておくべきか。陽キャの女王、猪原りんこにブチ切れられるよりはマシだろうし……。


 その時、後ろから、僕に覆い被さるように猪原りんこが。

 あ、ほんのりとした、薔薇の匂い……。


「またあとでな、新井ー」


「…………」


 逃げるなよ、という圧があった。



 昼休みになって、もう絡まれたくないから早速、逃げることにした。このまま仮病(でもない、ストレスで本当に体調が悪くなってきた……)を使い、早退しようと思ったら――先回りされていた。


 廊下の先には猪原りんこ……、幸い、彼女ひとりだけだ。


「ッ、……なんで……?」

「逃げるな、って言ったろ。アンタの考えることなんかお見通しなんだよ、新井」


「に、逃げるな、って言っても、逃げるよそりゃ! だって――、教室にいたら君がいじめてくるじゃないか!!」


「かっこよくしてやろうと思って散髪することがいじめだとー? それは被害妄想も極まったって感じだな。アタシ、そんなつもり、ない」


 なぜカタコトだ。


「いらない! ふ、不要な善意、は、攻撃してるのと一緒だか、」


「あー、うっせえなあ。アタシのクラスにアンタみたいな、なよなよした陰キャがいるとムカつくんだよ。だからアタシの手で育成してやろうって話だ。アンタに拒否権があると思ってる? ねえぞ? 登校したなら覚悟を決めてアタシのおもちゃになりやがれ」


 勝手なことを……、最悪のトイストーリーにはなりたくない。


「構うなよ! なんでいちいち――、」


「イライラするから構うんだ。アタシに同じことを言わせんなよ」


 彼女のわがままはこのまま押し通されるだろう。……話し合いをしても、この脳みそが陽キャの女には僕の苦しみなんて分からない。

 理解するつもりがない人間に語ったところでなにひとつ、意見は刺さらないのだ。だったら、身の安全を確保するべき。


 踵を返す。


 猪原りんこから遠ざかればいい――そう思っていたが、


 後ろにも陽キャギャルがいた。


 四天王みたいに四人が並んで立っている。小柄から長身まで、被らない、眩しい人選だった……なるべくしてなった陽キャたち……。


「う、」


「ほらほら、新井氏、おとなしくりんこの魔の手でいじられちゃいなよー」


 犬を思わせる小柄なギャルが顔を近づけてきて、そこへ意識を振ったことで、長身のギャルが僕のポケットから財布を抜き取ったことに気づくのが遅れた。


「あっ」


「美容院代としていくつか貰っておこうかしらね。ある分でいいわ――あら、偶然、たくさん入ってるわね」


 ちょうど、お小遣いを詰め込んでいた日だった。なにを買うでもないけど、だからってクラスメイトの手で切られる美容院代に払いたいわけじゃない。


「ダメ、それは……」


「いいからさ、今よりマシな髪型になると思うからさー、ねー?」


「い、いいってば! 僕は、そういうのいらないんだから――」


「なら、金だけ貰っていくけどいいよな? 拒否したアンタが悪いんだぞ、新井?」


 結局、そのまま金だけを奪われた。カツアゲだ。だったら切られていた方がマシだったかもしれないが……いいや、やっぱり嫌だ。陽キャの悪ふざけで切られてたまるか。


 だったらブチ切れられた方が……、そっちも嫌だなあ。


 全部嫌だ。わがままだけど、たぶん、それが真理な気がする……。



 その日から、僕は猪原りんことその取り巻きに絡まれるようになった。

 陽キャの女子だけでなく、男子からもいじられるようなり、久しぶりに登校した元引きこもりの僕の立ち位置は、分かりやすくいじめられっ子だった。

 避雷針、という言い方もできるだろう。

 僕がいじめられている限り、僕以外はいじめられないのだから……。


 なんだそれ、僕だけが……。

 僕だけが、また……。


「…………」


 せっかく復帰できたと思ったらこれだ。


 結局、僕に居場所はなかった。あった、と言えるかもしれないけど、こんな居場所、あった方が毒だろう。こんなところ、早々に降りてやる。




「母さん――今日は学校いかない」


 母さんは慣れたように、「そう、分かったわ」とだけ言って――――


 朝ごはんを作るために、キッチンへ向かっていった。


 受験の年だが、僕は進路も決めていない。卒業はできるだろうけど、でも……将来のことなど、なにも想像できなかった。





 先生に騙され、登校した日は授業参観日だった。


 騙された、と言えば先生が悪く映るけど、先生のこれはファインプレーとも言える。


 だって親の目があれば、僕をいじめてはこないだろう……だから今日の内に、卒業に必要な条件を満たさないと。


 甘えてばかりもいられない。

 言いながら甘えてばかりだけど、僕だって、がんばらないと。


 ちらり、と猪原りんこを見れば、彼女も僕を見ていた……彼女の微笑みは悪魔のそれだった。ぞぞぞ、と震えた体を席にくっつける。ガタガタと机が揺れるけど、一呼吸で落ち着いた……大丈夫、今日はなにもしてこないだろう。


 授業参観は筒がなく進行していた。次第に親の目も減っていくため、一通りがんばったら、親の目と一緒に僕も早退しようと思っていたら――僕の席に近づく人影があった。


 小さかった。小柄だとしても、さすがにクラスメイトではなかった。



「にぃに」


「え?」



 席に座る僕の太ももに小さな手を乗せていたのは、三歳ほどの、女の子だった。


「え?」


 戸惑いの声はもうひとつあった。

 猪原りんこ。


 彼女の、これまで見たこともない驚きの顔が、鮮明に見えていた。




 ・・・つづく

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