第八章 ― 真なる物語 ―

夜の星渡書店。

カウンターに置かれたランプが、古い本たちを柔らかく照らしていた。

静寂の中、結人はゆっくりとペンを走らせる。


『星渡書店日誌』

第七章 ――世界を紡ぐ者として。


書き終えた瞬間、ページの端がひとりでにめくれた。

白紙のはずの次のページに、淡い文字が浮かび上がる。


「お兄ちゃん、まだ書いてるの?」


結人は手を止めた。

その声は、確かに灯のものだった。

懐かしい、優しい声。


「……灯?」


風がそよぎ、ページの文字がゆらめく。

そして、光の粒がひとつ、紙の上から空へと立ち上った。

その光は、少しずつ人の形を成していく。


そこに立っていたのは――灯だった。


白いワンピースを纏い、月光のような光をまとって。

「お兄ちゃん、久しぶり。」


結人は立ち上がる。

「……夢じゃないのか。」

「うん、夢じゃないよ。ここは“物語の中”でも“外”でもない場所。この店は、二つの世界のあいだにあるんだって。」


灯は微笑んだ。

その笑顔には、もう悲しみも恐れもなかった。


「私ね、あの本の中で気づいたの。“生きる意味”って、探すものじゃなくて――誰かと一緒に作るものなんだって。」


「……灯。」


「お兄ちゃんが、私を見つけてくれたから、私はこの世界に戻ってこられたの。」


灯は店の棚に視線を向ける。

そこには、無数の新しい本が並んでいた。

どれもまだ白紙。けれど、かすかに文字が浮かび始めている。


「これ、全部……?」

「うん。この店に訪れる人たちの“物語の種”だよ。お兄ちゃんが“読む者”として見守って、私が“書く者”として紡いでる。」


「じゃあ……今も、一緒にやってるんだな。」

 灯はうなずいた。

「ずっとね。」


ふと、店の奥の扉がひとりでに開いた。

その先には、かつて夢で見た“月下の図書館”が広がっていた。

銀色の光の道が、二人を導くように伸びている。


「司書さんが、呼んでる。」


灯が微笑んで、結人の手を取った。

二人はゆっくりと光の中を歩いていく。


図書館の中央、円形のテーブルの上に一冊の本が置かれていた。

表紙には、金の文字でこう書かれている。


『真なる物語』


司書――あの店主がそこに立っていた。

「来てくれたね。」


結人が問う。

「この本は……何なんですか?」

司書は穏やかに答えた。

「これは、すべての物語を繋ぐ“根源の書”だ。世界の始まりと終わりが、ひとつに刻まれている。」


灯がそっと本に触れる。

ページが開き、風が吹く。

無数の声が溢れ出した――笑い声、泣き声、祈り、願い。

それは、人々が紡いできたすべての“生きる証”だった。


司書が言う。

「結人、灯。君たちは、この“真なる物語”を次に受け継ぐ者だ。」


結人が深く息を吸う。

灯がうなずく。

「私たちで、書いていくんだね。」

「そうだ。今度は、俺たちの言葉で。」


二人が本を開くと、光があふれ、天井に無数の星が瞬いた。

その星々はまるで一行一行の文字のように空を埋めていく。


司書は静かに微笑んだ。

「――物語とは、誰かが誰かを思うその瞬間に、生まれる。」


その声が消えたとき、司書の姿も光の中へと溶けていった。

残ったのは、二人と一冊の本だけ。


朝。


星渡書店の前を通る通学路。

制服姿の少年がふと立ち止まる。

木の扉には新しい看板が掛けられていた。


星渡書店

――物語を、君へ。


扉を開けると、店内には温かな灯り。

カウンターの向こうに、若い男性と女性が立っていた。

「いらっしゃい。」


少年が目を輝かせる。

「ぼく……夢を見たんです。知らない本の世界で冒険してて……。でも、目が覚めたら忘れちゃって……」


女性――灯が微笑む。

「大丈夫。思い出せない夢も、どこかにちゃんと残ってるの。」


男性――結人が棚から一冊の本を取り出す。

銀の月が描かれた装丁。

「これを読んでごらん。君の夢の続きを書けるかもしれない。」


少年が本を受け取ると、扉の鈴がやさしく鳴った。

チリン――。


そして、その音が遠くの空へと消えていく。

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