ヤマ

 小刀を握る手に、僅かに汗が滲む。

 それでも、止めることはできなかった。


 削るたび、木の香りが立ち昇る。

 甘く、懐かしい匂いだ。


 机の上は、木屑だらけだった。


 床に広げた新聞紙の上に、腕と脚、そして、頭が転がっている。

 まだ荒削りだが、形になってきた。 


 顔は、ない。


 作り方を調べたものの、表情だけは上手くいかない。

 けれど、どうにかそれ以外は、完成させたい。

 形を確かめるように、ただ只管ひたすら、手を動かした。



 心地良い、木を削る音。

 一定のリズムで響くそれが、部屋の静けさを埋めてくれる。


 数日後、ようやく、人の形になった。


 私の腰くらいの高さしかない木偶でく

 ぎこちない腕と脚、丸みのある胴体、顔のない頭――

 関節は、各部位に穴を開け、紐を通し、繋げた。


 素人の仕事のため、粗い出来だが、悪くない。

 数種類の紙やすりで表面を整え、柔らかな布で拭き取ると、木目が皮膚のように艶めき始めた。



 夕方になり、蝋燭に火を灯す。

 人形を椅子に座らせ、向かいの席に自分が座る。


 テーブルの上には、湯気の立つ味噌汁。

 人形の前にも、同じもの。


「いただきます」


 静かな声が、居間の壁に吸い込まれていく。


 箸を動かす間、木目を見ていると、まるで呼吸しているかのように錯覚するが、人形は微動だにしていない。


 だが、それで十分だった。



 食事の後、食器を片付け、やすりをかけ直す。

 面と向かっているとき、木肌に残った削りの跡に気付いたのだ。


 美しい木目に、余計な跡が残るのが嫌だった。

 綺麗にしておかないと、折角の「形」が、汚れてしまう気がした。



 夜、灯りを落とし、布団にくるまる。

 隣を見ると、薄暗い部屋に、人形の影が浮かんでいる。


 頭を少し傾けているようにも見える、その姿に声を掛けた。


「おやすみ」


 返事は、ない。


 けれど、不思議と安心した。





 翌朝、雨音で目を覚ました。


 カーテンを開けると、庭の奥に、濡れた切り株が見える。



 以前はそこに、一本の木が立っていた。



 少し前、思い立ってったのだ。

 古い木で、朽ちかけており、表面は黒く、空洞も多かったが、芯の部分は、まだしっかりしていた。


 それが、ちょうど良かった。


 その木材は柔らかく、まるで人の体温を含んでいるようだった。

 芯に近い部分ほど温かく、しっとりと重い。


 刃先を入れるたび、抵抗がなくなる。

 まるで、自分の形を知っていて、導くかのように、それは削れていった――



 庭の切り株は、今も雨を吸って、静かに濡れている。


 下の土の中は、どうなっているのだろうか、と時々考える。


 でも、確かめる必要は、ない。





 夜、また食卓を整える。

 今日の献立は、炊き込みご飯と煮物。

 居間に、香りが広がる。

 人形の前にも、茶碗を置く。


「いただきます」


 微かに、人形の首が、揺れた気がした。


 蝋燭の火が、揺れている所為せいだろう。


 それでも、構わない。



 人形の表面を撫でる。

 指先に伝わる感触は、まるで人の肌のようだ。

 少し冷たくて、優しい。

 自分の声を聞いてくれている気がする。





 私は、目を閉じた。


 雨音は、まだ続いているようだが、どうでも良いこと。



 人形と私の間に、もう境界はない。


 同じ匂い、同じ温度、同じ静けさ。


 それが、何よりも落ち着く。





 木を伐ったときのことを思い出す。


 土を少し掘り返してみると、湿った土の奥から、淀んだ空気が立ち昇った。



 あの匂いが、鼻に残って離れない。



 だから、土を盛るように戻し、すぐに木材を持ち帰った――











 人形は、すぐには、腐らない。





 それが、良い。

 それが、いちばん、良い。





 ——腐らないのが、良い。

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ヤマ @ymhr0926

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