戦闘シーンで泣けるなら

明鏡止水

第1話 戦いばかりの闘いで。

むかし社会の先生が言ってたんだ。

なにか教えてくれていたんだけど、そのあと。


「今のマンガは戦いばかりだ」


と、おっしゃったんです。


当時、オタクの我。ちょっと、反発。

それは先生が戦う漫画やアニメしか目にしてないだけで少女漫画とかエッセイまんがとか当時からあったと思うよ。

まあ、私が中学生の頃見てたのって鋼の錬金術師とかBLEACHとかテニスの王子様なんだけど。あとNARUTOとか。


バリバリ、努力。友情。勝利。


家庭教師ヒットマンREBORN! みたいにギャグからバトル漫画になるジャンプの特性とか。人気なもの、テレビでアニメ化されて目につきやすいゴールデンなタイムにそんなんばっかやってたら。


社会の先生も考えるものがあったのかもしれない。


恋愛漫画や日常系、ギャグ漫画もあるよ、先生……。


さすがにカルピス劇場みたいにラスカルとかアルプスの少女ハイジとかフランダースの犬とか、ジブリとか。ちょっとそこまで平和なのは当時やってなかったかも。


デジモンもポケモンもベイブレードすら戦い、戦い、戦い。


そんな戦いばかり、手足の欠損、血飛沫、残酷な題材や表現が誌面やテレビでも放映できたのは、なぜだろう。


当時もすこしだけ、日本は先人たちが本当に命をかけて戦ってくれたおかけで、平和だったから。

その事実に作者たちはキャラクターに命と血肉を与えて肉付けて、愛すべき物語を世に生み出し続けてくれたのかもしれない。


いま、鬼滅の刃やチェンソーマンや呪術廻戦の映画が見られるのも、学校に行けるのも、


ほんとうはね、


♦︎ ♦︎ ♦︎


ところで私は。


特定の案件を踏み抜く、あるいは存在、物事を表す「地雷」や見たらつい食べたくなる「飯テロ」みたいな言葉がほんとうはね、


にがてかな。


人が使うのは自由。嫌いだから使わないで、なんてわがまま言わない。


中学生の頃、訓練した犬がやっと地雷を見つけたがそれを見つけたがために爆発してその犬が死んでしまう、というような劇を劇団さんみたいな団体がやってくれた。


テレビで地雷により手足を失った人のドキュメンタリーも放送していて10代の頃みたことがある。


テロは響きだけで今の世の中でも戦争や被害が想起させられて。


だから「地雷」、「飯テロ」は私の中で、心が冷たく止まるも言葉だ。


もしかしたらテロとかテロリストという言葉は戦争や誰かに被害を被らせたり、無差別に誰かを傷つけるような表現の言葉ではないのだろうか?

と、考えたりすることはある。


それにしたって。


最初に

「あ、その話題オレ地雷」とか「私は存在自体が地雷なんだよね」という言葉聞くたびに傷ついた人や街の映像が脳裏に浮かぶ。


私が面倒な奴なのかもしれない。

先生、時代は平和に近づいても遠ざかってもいない。またあるものは元からあるのです。


戦いは増える。広がる。拡がる。

平和は普及される。唱えられる。


どちらも人はあらわすことができるのです。


となりのトトロでめいちゃんがとうもろこしを持って走るところで泣けたり、鬼滅の刃で煉獄さんやしのぶさんが戦うシーンで泣けたり。


戦うこと。争うこと。穏やかではないこと。

だからといってぜんぶの漫画が、場面が、悪影響な訳ではないんです。


生き様を表すこと、心情を吐露すること、今を生きる人に希望や力や勇気、思いのために。


先生、たたかいばかりではないんです。

「生きることは戦うこと」と大好きなPEACH-PIT先生のローゼンメイデンなどでは出てくるとおもいますが。


年中人はたたかっているわけではないけれど、人は確かに生きて戦っていていろんなものに負けたり勝ったりおあいこだったり、お互い様だと認め合ったりしてると思うんです。


戦闘シーンで泣いてもいいじゃないか。

作画に感動してもいいじゃないか。


リアルタイムで生きてるので。


戦いばかりじゃ、ないんだぜ。

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戦闘シーンで泣けるなら 明鏡止水 @miuraharuma30

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