私は、ドラゴン。(2200文字)

柊野有@ひいらぎ

改稿後

獣を飼い慣らす母

 私は、木野キノコ。

 長女のすみれが生まれるより前から、私は棚の上にあった。

 粘土と釉薬と、毛糸。

 アーティストである木野さくらが粘土を焼き、毛糸で繋げて仕上げた蒼い染付そめつけのドラゴンである。


 あの子が生まれたとき、さくらは大きなキャンバスに、空を舞うドラゴンを描いた。

「夢で見たの。すみれが背中に乗ってたわ」

 その絵は、今も玄関に飾ってある。


 展示のたび、さくらは私を運び、身にまとう。

 日本各地、それに富士の樹海へ。彼女の作品は、並べるだけでは終わらない。

「誰でもかぶることができる、獣の仮面なの」

 そう言って、私を装着する。


 五年前、さくらは猟銃免許を取った。

「終末を乗り越えるために、必要なの」

 同時期に田舎で解体所を始めた中学の同級生タナベと銃を持ち、山に入るようになった。


 彼女は、昔からターミネーターが好きだった。特にサラ・コナー。

「サラが捕まるシーン、最高! 捕まってもトレーニングを続けるのよ。筋肉は正義!」と、彼女は目を輝かせ語った。朝から鴨居で懸垂する演技をして、すみれに呆れられた。


 ひとたび猟銃を手に取ると、彼女は演技者ではなく、ハンター。

「撃つためじゃない。撃てるようにしておくの。何が起きてもおかしくない時代なの。クマは隣にいる。クマの手を撃ち落として、煮込んで食べてやるわ」

 彼女は猟期にタナベと地元の仲間たちと、猟犬を連れ、山を駆けずり回った。


 ただ、早朝の田舎道をランニング中、イノシシと鉢合わせ、「これは死ぬ」と思ったらしい。朝のランニングは断念したと聞いた。

 彼女は、罠にかかった獣の皮を剥ぐ。血の匂いが残る鹿皮を丁寧に洗い、干した。仮面のマントや、時には展示素材にした。鹿の角と猪のきばと糸を編み込んだ新しい作品を作り上げ、体に装う。


 私は、見ていた。 彼女が怒るとき、私は壁に吊るされる。彼女が笑うとき、私は誰かの手に渡り誰かを演じている。コマネチをしたり、YMCAのポーズをしたり、ダンスしたり。彼女の沈黙のとき、私は机の上で静かに待つ。


        ◆◆◆


 富士の樹海での展示は、年に一度の巡回展のひとつだった。「木野キノコ」は、いつでも触れる展示物となる。二十人ほどの作家と観客が数日間、森の中で寝起きし、火を囲み、語り踊る。


 それは、さくらがドラゴンをかぶる儀式の日。私は、いつものように包まれ、運ばれた。私は獣の皮の上に、静かに座った。風が吹くたびに、頭の棘がわずかに鳴った。


「この仮面は誰でもかぶれる。つけると変わるのよ」

 さくらは、私を手に取り、観客のひとりにかぶせた。その人は天に向け、手を広げ、左右にゆったり首を振り歩く。

 それは踊りではなかったが、踊りとなり、気を利かせた誰かが、小さなスピーカーのボリュームを上げた。


 焚き火が灯された。ジャンベの音が並走する。リズムを刻み、ギターと、風と草が揺れる音、鐘の音が混ざり合った。

 八十二歳のドイツ人の舞姫が、首飾りを揺らしながら回る。

 日本人の若い踊り子が進み出て、麻布あさぬのはだけそうな衣装で舞う。

 カメラも持たない男女が草の中に点在し、じっと見つめていた。やがて数人が服を脱ぎ捨て、踊り始め、数人の動かない男は草の中に取り残された。時が過ぎ、夕焼けが地を照らす。


 さくらは、鹿の角と猪の牙の着ぐるみを身にまとい、輪の中に入っていった。そんなとき、どこにいてもさくらは、その場所での動きを見つけ出し、その通りに振る舞える。モニタの前での息が詰まる入力も、数字の計算もない。そこには、風があった。


 さくらは踊る。肩を揺らし、腰を落とし、地面を這う。そのときの彼女は、仮面そのもの。奥にあるものを動きに変えていく。


 私は、彼女の汗ばんだ手に抱えられ、切り株の前に運ばれ置かれた。苔の湿り気と緑の匂いが、私に触れた。私は地面に近い場所で、風と土と音を受け取った。隣には鹿と猪の着ぐるみ。


 細い身体で草と戯れ、角が落ち牙が外れた彼女は、Tシャツ姿で焚き火の輪に入っていった。素肌に近いその身体は、汗に濡れ、草にまみれ、風に晒されていた。彼女は自分の中に飼っているドラゴンを、放し飼いにしていた。


 その姿を見て、すみれが叫んだ。「えーい、私も踊る!」

 鉛筆をビニールシートの上に投げ、スケッチブックを閉じ、輪に飛び込んだ。彼女は、母の背中を描くことをやめ、代わりに自分の身体で母に応えた。線ではなく動きで。紙ではなく、土の上で。


 母は娘に気づき、離れたところですみれを見ながら、踊り続けた。二人の動きは、似ていないが同じリズムを持っていた。


 かつて、母は脳梗塞で倒れた。救急車の中で、すみれは動揺していたが、母は二日後けろりと戻ってきた。それ以降、酒を断った。

 それまで、酔いの勢いで、すみれをベタベタと抱きしめ寝落ちていた母だが、もう酔っ払って「私はターミネーター!」と叫び、裸のまま転がることはない。すみれが笑いながら描いた、あの夜は過去になった。母が娘に触れる機会は減り、喧嘩が増えた。ふたりの成長過程だ。

 今の彼女は酔っていないが、踊っている。誰よりも激しく自由に。


 私は、切り株の上にいた。隣家に届くほどの大声で罵り合う、過剰な母と娘が踊る輪のそばで、どんなふうに動き、沈黙し自分を差し出しているのかを見た。彼女たちがこれから、何を受け取り残していくのかはわからないけれど。


 私は、彼女が解き放ったドラゴンの、かたちであり、証拠だ。彼女の大学時代に作られた、蒼い染付そめつけのドラゴン。


 それが、私の重さだ。



<了>

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