3.守る為に

図書室の空気が再び落ち着きを取り戻し、ゆっくりと静かさが戻ってくる。

夕暮れの光は橙から深い赤へと変わり、古い木の机と本棚に柔らかい影を落としていた。


悟が全体を見渡し、小さく呼吸を整える。

「……じゃあ、一度休憩にしよう。夕方だし、少し頭をリセットしたほうがいい」


「そ、そうだね……」

あかりは頷きながら、今日だけで胸が忙しすぎた自分に苦笑した。


道都は席に戻り、机の上の参考書を整える。

「宿題、まだ残ってたろ。……教えてやるから持ってこい」


その声音はそっけないのに、どこか優しい。

あかりの心臓はまた忙しく跳ねた。


「あ、ありがとう……!」

急いで席に座り、ノートを広げる。


寛は隣の席にドサッと座り、肘をついて笑う。

「お、道都先輩の“勉強会”ですかぁ? 尊いですねぇ?」


「殺すぞ」

「ぎゃーっ! はい黙りまーす!」


悟が「二人とも静かにね」と笑いながら本棚の陰へ戻っていき、あかりと道都は向かい合って机を挟む形になった。


互いに距離が近い。

近すぎる。


(……やっぱり、近い……息の仕方を忘れそう……)


「ここ、間違ってる。こっちが先だ」

道都がペン先であかりのノートを示す。


指が、すぐそばにある。


「……あ、うん……」


どれくらい時間が経ったのか。

気づけば図書室はすっかり夕陽を失い、夜の気配へと静かに変わっていた。


――そして。


あかりは、ゆっくりと目を覚ました。


(……え……あれ……?)


視界の先に、道都の寝顔。

静かに呼吸していて、柔らかく乱れた前髪が頬に落ちている。


(うそ……すご……近い……)


どうやらあかりは、勉強中に眠ってしまったらしい。

しかも向かい合ったまま、机に突っ伏したまま、同時に寝てしまっていた。


(え、ちょっと……近い……近すぎ……)


ほんのすこし手を伸ばしたら、触れられそうな距離。


――かっこいい。


そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。


(あ……やだ……見惚れてる……)


そのときだった。


横から……あたたかい何かが、あかりの手をそっと握ってきた。


「……っ!?」


驚いて振り向くと――


寛が、目を閉じたまま半笑いで手をひっつかんでいた。


「……ふ、ふふ……寝てないぞ……俺は……全部見てる……」


「いや起きてるんかい!!」


反射的に小声で突っ込み、あかりは自分の手を引っ込める。

寛は目を開け、ニヤッと笑った。


「いやぁ……青春だねぇ……。見惚れてたよね? ねぇ?」


「み、見惚れてない!!」


「はいはい、言っとけ言っとけ……俺、見てたからな。今なら悟以外誰も見てないし、見惚れるなら俺にしても良いんだけど?」


図書室に小さく悟の笑いが漏れ、あかりは顔を真っ赤にしながら身だしなみを整えた。「そうやってすぐふざけるんだから……」と軽くあしらいながら。


道都はまだ眠っている。

悟は少し離れた棚の影で、眠る二人を守るように静かに佇んでいた。


あかりは窓の外の夜空を見上げる。


(夢のこと……思い出してきた……)


三つの影。

差し伸べられた手。

選ばなくてはいけない未来。


(……守護者としての責務が終わったら……落ち着いて、全部終わったら……)


そっと胸に手を当てた。


「……やっぱり、一人……選ばなきゃいけないのかな」


誰に聞かせるでもなく、夜の図書室に静かに落ちていく。守る為に、想う為に選択しなければならない時がいずれ来るという不安を胸に持ちながら。


その横で、道都の寝息と、寛の「俺は寝る!」という無駄な宣言が重なる。でもそれがあかりの心の不安を少し和らげた。今はまだ、急がなくて良いのだ。それに寛にも悟にも道都にも、そして何より自分にも嘘をつかないようにきちんと向き合う為にも、今やることを全力でしようとあかりは一息吐いた。


そしてその時、外の夜風が少しだけ揺れた本のページを優しく捲った。


――それは例えるならば……未来が僅かながらも確かに動き出しているような、そんな匂いであり、気配だった。

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