2.夕暮れで
三時間後、あかりはすべての本の調査を終えた。
道都に報告すると、彼は満足そうに頷いた。
「よくやった。五十三冊、すべて正確に調査されている」
「ありがとうございます」
「君の成長速度は、僕の予想を超えている」道都は珍しく笑顔を見せた。「このままいけば、一ヶ月後には正式な守護者補佐として認定できるだろう」
あかりの胸が温かくなった。道都に認められるのは、こんなにも嬉しい。
「では、今日の訓練はここまでだ。帰りなさい」
「あの、瀬野先輩」あかりが声をかけた。
「なんだ?」
「先輩は、まだ残るんですか?」
「ああ。書類整理と、明日の訓練の準備がある」
「手伝います」
道都は少し驚いた表情を見せた。
「いや、君はもう十分働いた。休んでいい」
「でも、一人だと大変でしょう?」
道都は少し考えた後、頷いた。
「…では、お願いしようか」
二人は執務室で並んで作業を始めた。
書類を整理し、明日使う本を選び、魔法陣のメンテナンスリストを作成する。
静かな時間。でも、心地よい沈黙だった。
作業が一段落したところで、あかりがお茶を淹れた。
「どうぞ」
「ありがとう」
二人で温かいお茶を飲む。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
「もう、こんな時間か」道都が窓の外を見た。
「はい。秋は日が短いですね」
「ああ」
沈黙が続いた。でも、それは気まずい沈黙ではなかった。
「結城」道都が口を開いた。
「はい?」
「君は、本が好きか?」
「はい、大好きです」
「なぜだ?」
あかりは少し考えた。
「本は、色々な世界を見せてくれます。知らない場所、知らない時代、知らない人々」あかりは微笑んだ。「本を読むと、自分が誰にでもなれる気がするんです」
道都は静かに頷いた。
「僕も同じだ」道都は本棚を見た。「子供の頃、僕は本の中に逃げ込んでいた」
「逃げ込む?」
「守護者としての訓練は厳しかった。父は完璧を求めた。でも、僕は完璧ではなかった」
道都は遠くを見るような目をした。
「だから、本の世界に逃げた。そこでは、僕は誰にでもなれた。勇敢な騎士にも、賢い魔法使いにも」
あかりは道都の横顔を見つめた。普段は完璧な生徒会長、冷徹な守護者。でも、今の道都は違った。一人の少年のように、どこか脆く見えた。
「でも、やがて気づいた」道都は続けた。
「本の世界は、現実逃避に過ぎないと。僕は守護者として、現実と向き合わなければならないと」
「先輩…」
「だから、僕は本を読むのをやめようとした」道都は苦笑した。「でも、できなかった。本は、僕の一部だったから」
道都はあかりを見た。
「君も、そうなのか?」
「はい」あかりは頷いた。「本は、私の一部です。本がなければ、私は私じゃない」
道都は微笑んだ。それは、あかりが初めて見る、道都の本当に柔らかい笑顔だった。
「なら、僕たちは似ているんだな」
「はい」
その瞬間、あかりの胸が高鳴った。
道都との距離が、また少し縮まった気がした。
「そろそろ帰るか」道都が立ち上がった。
「はい」
二人は図書館を後にした。旧校舎を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
「寒くないか?」道都が尋ねた。
「大丈夫です」
「そうか」
二人は並んで歩いた。普段、こうして一緒に帰ることはない。でも、今日は自然とそうなった。
校門まで来たところで、道都が立ち止まった。
「結城」
「はい?」
「今日は、ありがとう」
道都は珍しく照れくさそうに言った。
「手伝ってくれて、助かった」
「いえ、私こそ」あかりは微笑んだ。
「先輩と一緒にいられて、嬉しかったです」
道都の目が僅かに見開かれた。
「君は…本当に不思議な奴だな」
「え?」
「僕といて、嬉しいと言ってくれる者など、君くらいだ」
あかりは驚いた。
「そんな…先輩は、みんなから尊敬されているじゃないですか」
「尊敬と、好意は違う」道都は空を見上げた。
「みんな、僕を恐れている。冷たい生徒会長。近寄りがたい守護者。それが、僕の評価だ」
「私は、そうは思いません」
道都はあかりを見た。
「なぜだ?」
「先輩は、確かに厳しいです。でも、それは相手のためを思ってのこと」あかりは真剣に言った。「先輩は、誰よりも責任感が強くて、誰よりも真面目で、誰よりも優しい人です」
道都は何も言わなかった。ただ、あかりを見つめていた。
その青い瞳には、戸惑いと、そして何か別の感情が浮かんでいた。
「…ありがとう」道都は小さく言った。
「君の言葉は、嬉しい」
あかりの顔が赤くなった。
「では、気をつけて帰れ」
「はい。先輩も」
二人は別れた。
あかりは家路につきながら、胸に手を当てた。
心臓が、激しく鳴っていた。
これは──恋?
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