1日目-2 美の暴力にロックオンされる

「おっすー、オタク。来てやったぞ。今日もしけたツラしてんな」


 え、ぼく?

 反射的にラノベで顔を隠す。

 なわけない。そんなわけ。自意識過剰。呼ばれているのは自分じゃない。

 教室の最後列、窓際、カースト圏外、黒板消しの粉すら払っていない、こんなぼくに。


「オタクー? 顔隠すなー」


 ちらと見上げた彼女は、ぼくの掲げるラノベに視線を落としていて、顎で示した。

 黒髪がさらりと揺れる。ちょっとした動作すら絵になる、完璧な美少女ギャル

 ぼくの机越しに、目の前で立ち止まる。


「てか、何その防御。意味ないから」


 デッッッ……カい。

 規格外の現実に、思考が停止する。

 視界が白い。完全に占拠される。

 止まってもなお、すけべな乳が、ぷるぷると。


「……あのさあオタク」


 彼女が口を開くと同時に、ふわりと香った。

 脳髄を直接溶かすような、濃厚な甘い匂い。バニラだ。

 さっきまで教室に充満していた、昼休みのお弁当臭が上書きされていく。

 どうして、ぼくに?

 クラスカーストの頂点すら羨む、この学校の女王のような立場にいる彼女が、圏外のぼくに近づく狙いは何だ。

 昨日、ほんの少し一緒だったが、頭の中をぐるぐる回る。


「……あ、えと……何の、ご用、でしょう……」


 彼女の圧倒的な存在感を前に、声が尻すぼみ的に小さくなる。

 クラスカースト上位への痛烈な仕打ちを見た高揚感も、落ち着かなさを加速させる。

 情報量が多すぎて呆然としていたその時。


「粉くらい、自分で払えって。……ほら」


 キラキラしたネイルが施された細い指を、ぼくの頭に伸ばしてきた。

 ぽん、ぽん、と、さっき浴びたチョークの粉を、彼女が払ってくれる。

 冷たい指先の感触。

 触れられた頭皮から、ぞくぞくするような感覚が走って――。


「来て早々、胸ガン見とか。オスすぎ」


 ――心臓がきゅっと縮こまった。


「……! み、見てな……!」

「嘘バレバレ。入ってきた時から、ずっと視線くれてんじゃん。そんなに珍しい? オタク、もしかして女の子の谷間とか初めて見た?」

「ひぃっ!?」


 そ、そんなの、当たり前……!!


「い、いやっ! これは、その、不可抗力っていうか……!」

「は。不可抗力?」

「そ、そう! 視線が吸い寄せられるのは、あなたの、その……ステータスが、こう、魅了チャーム系だからでっ!」

「あなたって。オタク硬すぎな? てかチャームって何」

「あ、あのっ、ゲームとかラノベだと、相手を強制的に惚れさせるっていうか……! ぼくの意思とは関係なく視線を奪う、最強スキルで!」


 人生ラノベで体験した知識を必死に絞り出す。

 彼女はきょとんとした顔でぼくを見下ろし、次の瞬間。


「オタク、マジでオタクだな」


 あああ、終わった。

 ドン引きされた。キモいオタクだと思われた……。

 顔から火が出る思いで、恐る恐る見上げると。

 一瞬。ほんの一瞬だけ。


「ぷくく。わかったからさー。そんなにしょぼくれんなって」


 彼女の無表情な口元が、楽しそうに緩んだ。


「……ぁ」


 そんな表情、すると思わなかった。

 あまりの可愛さに、言葉が出ない。


「ん? どしたん、オタク。言いたいことあんの?」

「……あっ! いえ、ご、ごめんな、ひゃい……」

「まあ、見たいなら、ちゃんと見れば」


 ――へ?


「だからさー。そんなガン見するってことは、見たいんでしょ?」


 彼女はそう言うと、ぼくの机にグッと身を乗り出した。

 とんでもないものが目の前に迫る。

 パッカリと開いた胸元。この世に二つとないほど美しい、真っ白な鎖骨の下から伸びるものは。

 隠しようもなく、深くて、なっっがぁぁぁ……い。

 たぽたぽ揺れる、谷間。


 二つのデッカすぎる乳房が、重力に従って、真下へパンパンに垂れている。

 柔肉がシャツを引っ張って、乳の陰影を作る。黒ブラジャーの紐も、思い切り垂直に張っている。

 その圧倒的な膨らみの、真上。

 ぼくの顔を覗き込むようにして、ふっくらと色づいた、彼女の唇があった。


「……んっ」


 とろとろに濡れた厚い唇が、湿った音を立てて、擦れる。八重桜の花びらのようなピンク色。まるで蜂蜜を上掛けしたみたいに光っている。

 わずかに開いた隙間から、ぼくを試すような熱い息が漏れ出た。

 彼女が、身じろぎする。

 なっがい乳同士がぶつかって……たぱんっと、波紋が生じた。


「……重」


 机に、着地させる。

 むにゅり、と変形した。

 着地先でだぷだぷに広がり、シャツの縁で、信じられないほど乳肉が隆起する。

 こんな光景ありえるのか?

 すべすべで、シミひとつ見当たらない、眩しい白肌。甘いバニラの匂いが、さらに鼻腔を突き刺す……。


「――ひぃぃぃっ、むりむりむり!!! 近い近い近い!!」

「何。見たいんじゃないの」

「み、見たいけど見たら死ぬ……!! 刺激が強すぎて、これ以上は網膜が焼けます……!!」


 椅子ごとひっくり返りそうな勢いで仰け反ると、彼女は「ぷっ」と息を漏らした。

 そして笑った。

 教室に、彼女の笑い声だけが響き渡る。


「あー。ほんと、オタクって期待を裏切らないわ」


 目尻に浮かんだ涙を、きれいな指で拭いながら。さっきまでの無表情が嘘みたいに、けらけらと笑う。

 その拍子に流れた黒髪。

 インナーの藍色のそばの、真っ白だった首筋が、ほんのり赤く染まっていた。

 まるで太陽に照らされた雪のようだ。


「な、なんだあれ……」「妃がオタクを誘ってるぞ」「……信じらんない」「おい、直哉……顔、真っ赤だぞ」


 嫉妬と恐怖がないまぜになった視線に貫かれる。

 特に、さっき彼女に「雑魚」と一蹴された直哉のグループからの視線は、もはや殺意だ。やめてくれ。

 彼女はゆっくりと体を起こした。

 そして、座るぼくの真横に移動して、影を作る。


「おい、うつむくなー。こっち見ろ」


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