孤高の牙姫は静かに蝕む
@idd11
伸びあがり
出会い
俺は窓際の席に腰を下ろし、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
身延線。
富士山麓を走り山梨へ抜けるローカル線だ。
2両編成の電車は富士山を横目に見ながらゆっくりと住宅街を走り抜け、何度も急カーブに車体をきしませながら急峻な山間部へ分け入っていく。
鬱蒼とした木々の間から巨大な清流が見え隠れする。雄大な景色だが、地元の人間は慣れたもので車窓に目をやることもなく、皆 手元のスマホをいじるか寝るかしている。
乗客といっても一車両に数人だが。
子供の頃、父と一緒にこの路線に乗った記憶が、ふと蘇る。
父は窓辺でずっとぼんやりと山を眺めていたっけ。俺の方も見ずに。
何か彼の心をとらえてやまない何かが山にあるように。
嫌な気分になり、俺は眉を顰め頭を振った。
不意に森がひらけ、電車は静かに島式ホームの駅へ滑りこんだ。
M町——俺の故郷だ。
4年ぶりの帰還。父の法事のためとはいえ、心の中は複雑な思いでいっぱいだった。
俺の名前は佐藤健一、26歳。
富士山麓の街で書店員として働いている。
毎日、店で本を仕入れ、レジを打ち込む単調な日々。
家では副業の同人誌作りに専念する。
ただ、仕事と趣味に没頭することで、心の空白を埋めているつもりだ。
父、佐藤浩二は五年前にこの世を去った。俺が高校を卒業して上京した頃から、父とはほとんど連絡を取っていなかった。
いや、正確に言うと、父が俺を遠ざけたんだ。電話をかけても、短くそっけない返事で切られる。
手紙を送っても、返信は来ない。父のそんな態度が、俺の心に深い棘を残していた。
なぜ俺を避けるのか。
子供の頃は、まだ普通の父子関係だったはずなのに。俺が思春期を迎えた後、父はますます内向的になり、俺に触れようともしなくなった。
子供が親にそっけなくなるケースは多いだろうが、逆がありえるのだろうか?
俺は思春期の少年ながら困惑した。
もしかして父にはアスペルガーとか、そんな発達障害があったのかもしれない。
それほど父と俺のコミニケーションは壊滅していた。
そして何より、父は俺に母親のことを教えてくれなかった。
物心ついたころには母はいなかった。
そして周りの親族も腫物に障るように、母の話題を避ける。
思春期の頃にそれとなく親族に尋ねたことがあったが、その親族も渋い顔で言葉を濁していた。
何度も父本人にも問いただしたが、父は寂しそうな顔をして俯くだけだった。
だから俺は母のことはあまり考えないようにした。
自分のルーツがわからないのは不安だったが、それを突き詰めて考えるのも怖かった。
法事の知らせが叔母から届かなければ、この街に戻る気など、きっと起きなかっただろう。
駅に到着し、ホームに降り立つ。深呼吸すると、爽やかな風が肺を満たす。
空は高く、険しい山脈が街全体を見下ろすようにそびえている。
駅前は変わっていなかった。
少し古びた商店街が広がり、地元の人が行き交う。
懐かしい匂いがする——地元の料理屋から立ち上る湯気の香りだ。
タクシーを拾い、実家に向かう。道中、街の風景がゆっくりと流れていく。
街の北側に近づくと、険しい山肌にへばりつくように畑と民家が散在している。
近くにとある宗派の総本山があるからか、小さな寺や地蔵が多い。
街の住人たちを静かに守っているようだ。
実家に着くと、叔母が出迎えてくれた。
「健一くん、久しぶりね。元気そうでよかったわ。」
叔母の目は少し赤く腫れていて、法事の準備で疲れている様子だった。
家の中に入ると、懐かしい畳の匂いが鼻をくすぐる。変わっていない。
父の部屋は空っぽで、仏壇に位牌が置かれている。
俺は線香を上げ、手を合わせた。
疎遠だったとはいえ、俺を高校卒業まで育て上げてくれたことは感謝している。
叔母が茶を淹れてくれる。
「法事は明日よ。今日はゆっくり休みなさい。」
「いや、手伝いますよ。俺ばかり休むのは悪いですし」
そもそも父亡き後、この家を管理してくれていただけでもありがたいことだ。
「いいのよ、健一くんは東京から帰ってきたばかりなんだから。」
叔母は優しく微笑んだ。
「休んでていいから」
圧が強いな。だが何もせずにゴロゴロするのも性に合わない。
「じゃあ、父さんの墓参りにでも行ってこようかな。」
「そうね、それがいいわ。きっと父さんも喜んでくれるわよ」
墓は家の近くにあり、綺麗な花が供えられていた。
管理も叔母がしてくれているのだろう。
足を向けて寝れないな。
手桶に水を汲み、墓石の汚れを簡単に拭き取る。そして線香に火をつける。
手を合わせて目を閉じれば、様々な思いが胸の中で交差する。
だが、感傷や寂しさといった感情ではない。
何か気まずさというか、所在なさげな感情が胸を去来する。
「お前、浩二のせがれか?」
鈴を転がすような美声が背後から聞こえた。
肩を跳ね上げて振り向くと、そこには少女が立っていた。
年の頃は10代後半だろうか、真っ黒なセーラー服。まるで蝋人形の様な白い肌。黒く艶やかな長髪。
すらりと伸びた体躯、スカートから伸びる健康な足。
そしてなにより芸能人か何かの様な整った顔。10人中、10人が綺麗だと答えるような少女だ。
「え?」俺は思わず聞き返す。
「だから、お前、浩二の息子か?」少女はもう一度同じ質問をした。
やはり、透き通った甘い声だ。
「あ……ああ」
俺は動揺しながら答える。こんな山奥で人に会うと思っていなかったから驚いたのだ。
だがそれ以上に少女の美貌に気圧されていたのかもしれない。
こんな田舎になぜ、これほどの美少女がいるのだろうか。
「そうか、そうか。ふーん」
少女は満足そうに微笑み、俺の顔をしげしげと見つめる。
「えっと……」俺はどうしていいかわからず、言葉を詰まらせた。
少女はそれっきり何も言わない。
夕暮れが迫る墓場で俺達は黙って見つめ合っていた。
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